2019年12月31日火曜日

Akechi Mitsuhide(明智光秀)

My Diary dated 2, 2, 1983
(Sentences after reading "Sanada Juyushi" written by Sasazawa)
Walking 6.25 km, 7459 Steps
(Usual Course)

  ブログを書き続ける中で、今年始めたことが2つある。一つは川柳風句を書くこと、それに若いころの日記を読み返しブログに載せることである。

  日記であるが、1983年2月2日の日記を読み返しブログにのせている。笹沢版「真田十勇士」の読後文を書いたものである。

  その中で、笹沢佐保は明智光秀が農民に殺されたとする歴史は間違いで、実際には生き延びたという説を述べている。殺されたのは影武者の進士佐久衛門で、伊勢助四郎と共に濃尾平野洞戸村へ逃げている。

  その後比叡山の僧、天海僧正となり、徳川家康に仕えたという。

  History(歴史) とは His Story のことで、権力者側から見た話である。権力者の都合の良いように書かれるのが通常である。

  日本書紀は壬申の乱で勝利した天武天皇が書かせたもの。同じように明智光秀が農民に殺されたとする歴史は、秀吉が事後書かせたもの。

  真実を知るには権力者の残した資料では片手落ちで、他のいろいろな資料をもって判断する必要がある。

  奇しくも来年はNHK大河ドラマ「麒麟がくる」が始まる。明智光秀をどう描くのか興味深い。

光秀の 生涯ドラマ 注目だ
(みつひでの しょうがいドラマ ちゅうもくだ)

  テレビのない生活をして久しいが明智光秀には興味があり、来年は You-Tube で成り行きを確認したい。

2019年12月30日月曜日

Kuretakeyu 2(呉竹湯2)

Tambabasgi Station of Kintetsu
 Front of Kuretakeyu
 Entrance of Kuretakeyu
 Shop Curtain (Noren) of Kuretakeyu
Announcement of Closing Kuretakeyu
 Inside of Kuretakeyu
 Keihan Electric Railroad Crossing near Kuretakeyu
Moving Trajectry
(JR Kyoto Station, Tambabashi, Kuretakeyu)
 Walking 6.82 km, 7907 Steps

  銭湯に入るのは60数年ぶりではないだろうか。温泉に入る機会はあっても、町の銭湯に行くことは子供時代以来なかったと記憶する。

  JR京都駅から近鉄で丹波橋に向かった。近鉄と京阪丹波橋駅はつながっており、京阪側から出て、歩いて5分ほどで呉竹湯である。

  60数年前と全く同じ場所である。暖簾がかかり、その左下壁に閉店の挨拶が張り出してあった。

  暖簾をくぐり引き戸から中に入る。靴を脱いでさらに引き戸を入ると、昔ながらの番台がある。ご主人がお客さんに対応している。

  450円を払って脱衣場に上がる。かなりのお客さんであるが、ロッカーは空いており、かごに衣服を入れる。昔と同じようにロッカーに入れるとゴム付きのカギがかけられる。足首にカギをつけた。昔も同じようにしていたことを思い出す。

  浴室に入る。昔は大きな湯船が一つであったと思う。今は小型の浴槽が3つ連なっており、サウナもある。浴槽の一つはジェット水流がでる。その水流を背中に当ててゆっくりと過ごした。マッサージしているようで気持ちがいい。

  30分くらい湯船で過ごしたであろうか。湯から上がると体はほこほこであった。

  帰りご主人に子供のころ来て以来ですと伝えると、もうこれで終了しますといっていた。お元気でと伝えて、呉竹湯を後にした。

  帰り近くの京阪電車踏切を通った。小さいころこの踏切近くでよく遊んだことも思い出される。ほこほこ気分で、近鉄に乗って帰宅した。

銭湯で 体ほこほこ 爽快に
(せんとうで からだほこほこ そうかいに)

2019年12月29日日曜日

Shimenawa(しめ縄)

 Shimenawa made of Synthetic Fibers is expanding
(WEB News)
My Hause Shimenawa made of Rice Straw
Walking 6.06 km, 8274 Steps
(Usual Course)

  本日のWEBニュースにしめ縄が最近は合成繊維が使われてきているとの記事があった。

  しめ縄の材料はもともと麻と稲藁であった。麻は麻薬の関係から栽培が少なくなり稲が主流になったという。しかし最近では、稲藁の入手が難しくなっている。

  昔は稲刈りした後、天日干しした後脱穀して稲藁がたくさんできた。しかし今ではコンバイン機により米と藁を取り出し、藁は裁断されて出てくる。

  しめ縄業者は稲藁の獲得が難しくなり、合成繊維を使いだしている。神との境界に飾るというしめ縄は毎年新しいものを使うのが習わしであるが、この合成繊維製は長持ちするため毎年新調する必要がなくなる。

  我が家もしめ縄を購入したが、これは昔ながらの稲で、本来の稲穂前の青の稲である。やはり合繊繊維より稲藁の方が清らかな感じである。

しめ縄に 青い稲藁 清らかに
(しめなわに あおいいねわら きよらかに)

2019年12月28日土曜日

Sasanqua(山茶花)

 
 Flowers of Sazanqua on Stream at Lakeside Park
 
Sazanqua Trees at Lakeside Park
Leaves of Sasanqua (Jag Shape)

  柳が崎湖畔公園には一級河川である柳川に加えて小川も流れている。散歩しているとこの小川の河口に花が浮いているのを見つけた。

  湖畔公園の境にはたくさんの山茶花の木が植えられており、花が咲いている。小川には完全な姿の花が水の上にそのまま浮いている。風情のある光景であった。

小川には 冬花浮かび 水清し
(おがわには ふゆばなうかび みずきよし) 

  この時期、椿と山茶花との区別がつかない。葉に違いがあり、山茶花にはギザギザがある。さらに調べると、椿は完全な花の姿で落下するが、山茶花は花弁一枚ずつ落下していくと言う。

  小川には完全な花の姿で浮いており、椿ではないかと思った。しかしこの辺りには椿の木は見当たらない。おそらく誰かが山茶花を摘んで小川に浮かべたのではないかと思う。

  野花が見られなくなった公園で、彩を添えている。

  本日はスマホを忘れて、散歩の記録はない。いつものコースであるので8000歩前後と思う。

2019年12月27日金曜日

Mt. Hira with Snow(雪の比良山)

 Mt. Hira with Snow
 Oumi-Fuji & Rainbow from Chinaberry with Seeds
Walking 6.31 km, 8324 Steps
(Usual Course)

  昨夜は雨であったが比良山山頂では雪が降り、この冬初めて白い比良山となった。初冠雪は11月下旬であったが、琵琶湖からは白い山頂は見えなかった。

白い比良 琵琶湖に浮かぶ 冬景色
(しろいひら びわこにうかぶ ふゆげしき)

  この1週間前には山頂スキー場が開場しており、これからスキー客で賑わうものと思う。

  散歩していると、近江富士近くに虹がかかっていた。ちょうど湖畔公園の実が残った栴檀の木からの眺めである。

  だんだんと寒さも厳しくなってきた。散歩には手袋、マフラー、毛糸帽子が必須となった。

2019年12月26日木曜日

Kuretakeyu(呉竹湯)

 Public Bath "Kuretakeyu" closes at End of This Year
(WEB News)
Announcement of Closing Public Bath(呉竹湯)
Walking 6.22 km, 7758 Steps
(Usual Course)

  本日の WEB News で、京都伏見の呉竹湯が今年いっぱいで閉店になるということを知った。その店主の閉店のお知らせが話題になっているという。

  小学校4年までは伏見の大手筋近くに住んでいた。借家で土間には竈もある古い京町屋であった。しかし風呂はなく、いつも家族で近くの銭湯に通っていた。特に冬の寒い夜、銭湯でほこほこになって気持ちよく夜道を帰ったときのことを今も覚えている。

寒空に 銭湯帰り ほっこりす
(さむぞらに せんとうがえり ほっこりす)

  その一つがこの呉竹湯である。60年以上たつが今も営業していたとは予想もしなかった。

  店主も91歳になり、設備も、建物も老朽化し、閉店することになったという。 お知らせには、自分の歩いてきた道も紹介されている。

  石川県の出身で、学校出て軍需工場に勤めるが、愛国心にかられて海軍に志願する。特攻潜航艇の訓練の毎日であったが、もう少し戦争が長引いていたなら特攻に行っていたという。

  戦後石川県の知り合いが京都で銭湯をしており、誘われてそこで働くことになる。その後店主となり今まで業務を続けてきた。ホッとする反面、寂しいとの言葉で締めくくられている。
 
  小さいころ通っていた時の店主と同じ人物であると思う。懐かしいばかりである。閉店までもう少し日があるので、ぜひとも呉竹湯に行ってみたと思う。

  銭湯に行くのは本当に久しぶりとなる。

2019年12月25日水曜日

Dentist(歯医者)

 New Dentst
(Branch Otsukyo Dental Clinic)
Walking 2.96 km, 4184 Steps
(Takayama Dental Clinic)

  先週から右前歯上の歯茎が痛み出し、特に噛むときに痛みがひどくなってきた。とうとう今日、歯医者に行くことにした。

  この秋から自宅マンションの真向かいに新しい歯医者(ブランチ大津京デンタルクリニック)も開業している。一度かかってみたいと思っていたが、今までの所の方が過去の情報もあり、的確な処置ができると判断し、JR駅前の高山デンタルクリニックに出かけた。

  治療した歯の根元が割れて、そこにばい菌が入り膿んでいるという。よく噛むことが日常になっているが、その影響の可能性もある。

  年末で治療が中途半端になるので、かぶせた前歯をすべてはずして、割れたところの膿をとり消毒し、仮の入れ歯を作ってくれた。

  次回1月7日までこの仮入れ歯で過ごすことになった。痛みは残り、抗生物質を処方された。

  午後6時から8時までの処置時間となったが、入れ歯をその場で作るというなかなかの腕前に感心した。

歯医者は 医者というよりも 技術力
(はいしゃは いしゃというよりも ぎじゅつりょく)

  今回、今までの歯医者にしたことは正解であった。地理的に近い新しい歯医者にはこれからも縁がなさそうである。

2019年12月24日火曜日

Yellow Seeds of Chinaberry(黄色い栴檀の実)

Seeds of Chinaberry turned to Yellow Colour after Leaves Falling
(Yanagasaki Lakeside Park)
Walking 6.12 km, 8007 Steps
(Usual Course)

  柳が崎湖畔公園の浜辺には栴檀の木がある。この夏花が咲き緑のがなっていた。

  冬になり葉はすでにすべてなくなった後、実だけが残っている。色も黄色に変化している。

  この実は薬用には使われるが、人は食べると毒になる。しかしヒヨドリなどの鳥には餌となり、いずれ鳥に食べられるものという。

  今年になってこの木の名前を知ることになった。自然には知らない事が多く、吉野博士の言葉でもないが、自然をこれからも興味を持って観察したものだ。

自然界 観察すると 新知識
(しぜんかい かんさつすると しんちしき)

2019年12月23日月曜日

Field Caviar(とんぶり)

 
FM Program "Kirakura"
Fukawa Ryo and Endo Mari
(ふかわりょう、遠藤真理)
" Song of Tonburi" composed by Fukawa Ryo
(Piano : Fukawa Ryo)
"Merry Christmas Mr.Laurence" composed by Sakamoto Ryuichi
(Cello : Endo Mari)
Walking 6.03 km, 8199 Steps
(Usual Course)

  毎週月曜日の午前中のFM放送では、ふかわりょうと遠藤真理による”きらクラ!”という番組をやっている。クラシック音楽を面白いやり方で楽しむ番組である。

  例えば、有名な小説の一節、詩などのバックグラウンド音楽を公募しその評価をしたり、最初のわずかな音で曲の名前を当てるなどの遊び心満点の番組である。

  今日は特別に、出演しているふかわりょうとチェリストの遠藤真理が関係する曲である。

  ふかわりょうが自ら作曲した”とんぶりの唄”を自演のピアノで聴かせてくれた。テレビで活躍するタレントであるが、その多才ぶりに驚かされる。とんぶりの宣伝大使もしているという。

ふかわりょう 多才な素質 素晴らしい
(ふかわりょう たさいなそしつ すばらしい)

  遠藤真理はこのクリスマスシーズンにバイオリン、ピアノとのトリオで坂本龍一とショスタコーヴィチの曲を演奏する会を持つという。その一つである坂本龍一の”戦場のメリークリスマス”を演奏していた。

  心地よい時間を過ごしたが、とんぶりとは何なのか知らなかった。しらべると畑のキャビアといわれ、その小さな実のプチプチ感を味わう食べ物であるという。もともと生薬として使われていたが、秋田地方では食べ物として工夫されて食べられている。

  味付けをうまくすれば、タラコの代わりにも使えるそうである。一度試したく思う。

2019年12月22日日曜日

Retiring by Myself(自らの定年)

 
Sentences after reading Novel "Retiring by Myself"
(My Diary dated 29, January, 1983)

  本日も過去の日記を読み返した。1983年1月29日の日記である。この日も小説の読後感想文を載せている。小説は、高杉良の「自らの定年」である。

  自分の信念と、会社勤めの使命とのギャップがあるとき、どのように生きるかを問う小説である。

  主人公は、自分の信念を曲げてまで会社で働くことを良しとせず、若くして会社を辞する。生きることとは、自分の信念を貫くことと考えている。

  管理職になり、部下の首切りをしなければならないときどうするか。自分自身の体験ではそのような場面に遭遇することはなかったが、若いころ有名な大屋社長夫妻の公私混同で我が社も傾き、倒産しかけた時がある。

社長妻 人事に手だし 社傾く
(しゃちょうつま じんじにてだし しゃかたむく) 

  その時には各課当てに、2名の割り当てで希望退職を募るという合理化策が実施された。当時まだ若かったので声はかからなかったが、年ゆきの人には声がかかった。当時の課長は大変だったと思う。

  しかし労組との間で合理化案は結ばれており、むしろ労組がその人を説得するのが現実であった。何のための労組か疑問に思ったものだ。

  大屋社長死去の後業績も回復し、その後このような人員整理の話はなかったのは幸いであった。

  やめて行った人には割増退職金があったが、その後決して幸せな生活ではなかったと記憶している。

  小説の主人公は英語が達者で、会社を辞めて英語塾をしてその後を過ごしたようである。

  会社を辞めてまで信念を貫くには、会社に依存しない自分を確立しておく必要があるのは言うまでもないが、自分の信念とどこまで折り合えるかが決断のポイントと思う。

  本日は外出する機会が取れず、散歩の記録はない。

2019年12月21日土曜日

Symphony NO.9(第九交響曲)

Pamphlet of Concert
(Conductor : Mitsuhashi Keiko)
 Biwako View from Biwako-Hall Foyer
 Biwako Hall Foyer
 Before Concert
 Cycling 8.10 km, 2497 Steps
(Biwako Hall)

  一年前はウィーンで毎日音楽三昧であった。大晦日にはベートーベンの第九交響曲も聴いた。

  今日は琵琶湖で初めて第九を聴きに出かけた。琵琶湖大ホールでの演奏であるが、ホール内は満員であった。

  指揮は三ツ橋敬子、ソプラノ森麻季、アルト小林久美子、テノール山本康寛、バリトン萩原寛明、合唱は350名に及ぶKEIBUN第九合唱団、管弦楽は大阪フィルハーモニー交響楽団であった。

  指揮の三ツ橋敬子は初めて聴いた。小柄にもかかわらずダイナミックな指揮であった。ソプラノは有名な森麻季で衣装といい容姿といい際立っていた。

  KEIBUN第九合唱団はしがぎん経済文化センターが運営する公募による合唱団である。これだけの大合唱を聴くのは珍しい。やはり人数の力はすごく、合唱がホール内に響き渡った。

第九聴く 大合唱に 音響く
(だいくきく だいがっしょうに おとひびく)

  また大フィルは久しぶりであった。学生のころ、朝比奈隆指揮でよく聴いている。

  中学の一年先輩が音大へ行き大フィルの打楽器奏者をしていたが、その後学校の音楽教師に転身したということも思い出した。

  今年も無事過ごせたことに感謝している。今年は東京と琵琶湖を行き来する年となった。高速バス青春18きっぷなどを使って、ゆっくり旅を楽しんだ。

  東京のマンションの大規模修繕工事も終了し、きれいな装いとなった。来年も同じように琵琶湖湖畔の生活を楽しむとともに、東京での生活も楽しみたいと思う。