2019年4月30日火曜日

Education(教育)

Why did Japan in Heisei-Era decline ?
(WEB News)
That is from Human Resources Degradation
(WEB News)
Walking 6.25 km, 8429 Steps

  本日で平成が終了する。先月のWEBニュースで、なぜ平成時代に日本は凋落したか? との記事が出ていた。

  世界の変化について行けなかったことが原因で、その根本には人的資源の劣化にあるという。

  それではこの人的資源の劣化の原因は何だったのかという疑問が出る。それは明治以降の教育にあるとする。23年前に述べている論旨と同じ内容であり注目している。

  日本の教育は明治維新以降、欧米の先進国に追いつくために今の教育制度を作っていた。戦後民主教育として改革されたが、その本質は何も変化していない。

  それは今までの知られた知識を駆使した問題を解くことにより高学歴が得られるという受験制度にある。今の高学歴者には、新しい前例のない世界の変化に対する創造力がないことが問題と指摘している。

  昭和時代の高度成長時代を経験しているが、その根本には欧米という前を走る姿があり、それに追いつく目標があった。それに加えて、工業の世界では基本発明、発見は欧米で、実用化は日本が世界最初という例が多く、日本の高度成長をけん引していた。

  ソニーのトランジスタラジオ、テープレコーダー、ビクターのビデオ、シャープの液晶、クラレのクラリーノ、私の仕事の関連では、乗用車ラジアルタイヤ用 HMLS ポリエステルタイヤコードなど取り上げれば暇はない。

  若干説明すると、このタイヤコードの最初の発明はアメリカセラニーズ社で、実用化できず諦めていた。それを日本の各社は実用化技術を開発し、世界で初めて商品化に成功している。

  今では世界のほとんどの乗用車用タイヤにはこのタイヤコードが使われている。しかし今ではコストの点から生産は中国などの国に代わってしまった。

  いずれも具体的達成したい目標があり、実現させる最適化の能力に長けていたということである。これは今の大学入試の試験に受かる能力と同じである。

  しかし平成以後は具体的目標はなく未知の世界を進むことになる。従来の概念から抜け出せないままになり、全く新しい世界を創造できないことを証明してしまった。

  今の日本は清朝の科挙試験制度による官僚政治の清朝末期と同じである。この科挙試験も日本の大学入試と同じで、今までの知識などを駆使して問題を解くという試験であった。

  その結果、世界の動き中での対応を誤り、中国が列強によって弱体化されるという歴史につながっている。魯迅が阿Q正伝で言いたかったのは、この事実であろうと思う。

  日本のこの凋落を食い止めるには、教育制度の根本的改革からまずは始める必要があるようである。

  23年前に書いているように、その方法は今までの入学試験制度を止めて、高校の種類別(公立、公立中高一貫校、私学、私学中高一貫校、工業などの職業高校、高等専門学校、大学入学検定試験)にそれぞれ別個に定員枠を決め、それぞれの高校の特質に合わせた選別方法で入学者を決めるというものである。
  
  このままでは、大地震・火山噴火による壊滅的災害、財政破綻などにより日本が沈没しても、グーミン(愚民?)は目覚めることなく沈んでいくことになるのかも知れない。

2019年4月29日月曜日

Koga-Shrine(久我神社)

Stone Pillar of Koga-Shrine
 Torii (Entrance Gate)
 Explanation of Koga-Shrine
 OOide River
 Morinosori-Bridge
 Main Building of Shrine
Explanation of Main Hall
Main Hall
Main Hall
Walking 6.20 km, 8404 Steps
(Usual Course)

  先日は「鳥羽の藤」を見学し、少し南下し桂川を渡って久我神社にも立ち寄った。

  古代豪族久我氏が祖先神を祀ったのが始まりで、その後桓武天皇が平安京を造成する前に長岡京に遷都したときの東北の守護神として崇敬された。今の本殿は天明4年(1784年)に再建されたもの。

  この神社の森は久我の杜として知られていたが、50年ほど前からは宅地開発がすすめられ、回りは住宅街となっている。

  先日はこの後、桂川、鴨川を渡り、久世橋通りをサイクリングし、大宮九条、今熊野、滑石街道を通って東山を越えた。そして、山科から国道1号線で自宅に戻った。32kmのサイクリングであった。

2019年4月28日日曜日

Imakumano-Shrine(新熊野神社)

 Stone Signpost of Imakumano-Shrine
 Torii (Gate of Shrine)
Explanation of Imakumano-Shrine
Shrine Precincts(境内)
Explanation of Main Hall(本堂)& Camphor Tree(クスノキ)
Main Hall
Inside of Main Hall
 Camphor Tree (Natural Monument)
 Goshirakawa Retired Emperor planted Camphor Tree
(about 830 Years ago)
 Camphor Tree
Stone Sign Post of Kumanokodou
 Entrance of Kumanokodou
 Explanation of Yatagarasu(八咫烏)
 Yatagarasu(八咫烏)
 Kumanokodou
 Seated Image of Goshirakawa Retired Emperor
 Kumanokodou
 Exit of Kumanokodou
Explanation of Imakumano Sarugaku
 Picture of Imakumano Sarugaku
Stone Monument of Zeami(世阿弥)& Yoshimitu(義満)
Stone Monument of Nou(能)
Walking 6.16 km, 8497 Steps

  昨日「鳥羽の藤」を見学する前に新熊野神社を訪れている。この神社は後白河上皇が紀州熊野詣をする代わりに、京都で熊野詣ができるように1160年に建立したものである。

  境内入った左手に大きなクスノキがある。840年ほど前に、後白河上皇が紀州熊野から移植したもので神木として信仰されている。

  右手には観阿弥・世阿弥親子が足利義満の前で舞った場所との説明碑が置かれている。当時今熊野猿楽と言われていたが、この時点から能として発展してくことになる。

  本堂の背後には熊野古道が作られている。本堂の左奥から入り、この道には熊野の神の化身である八咫烏の説明もあり、お参りすることができるようになっている。

  今もこの熊野古道を歩く人がいるのであろう。

2019年4月27日土曜日

Wisteria Trellis(藤棚)

Toba Water Environmental Protection Center
(Kyoto)
「Wisteria of Toba」opens to Public
(26th ~ 28th of April)
 Gate of Center
 
Explanation of Seseraginohiroba(せせらぎの広場)
Babbling Stream(せせらぎ)
Flowers of Wisteria
 Wisteria Trellis(藤棚)
Wisteria Trellis (Video) 
Wisteria Trellis
Cycling Trajectry 
(Kazandou, Imakumano-Shrine, Toba, Koga-Shrine)
 Cycling Distance 32.32 km
Indication of Kazandou(花山洞)
Kazandou(花山洞)

  朝のラジオ番組で京都の「鳥羽の藤」が満開との話しがあった。昨夜来の雨も止み天気が良いので、朝からサイクリングして見に行くことにした。

  国道1号線で逢坂の関跡を通り、さらに東山にあるトンネル「花山洞」を抜けて東山五条に着いた。東山通りを南下し、まずは新熊野神社を訪問し、その後上鳥羽にある鳥羽水環境保全センターに向った。

  ここにはせせらぎ広場が作られており、そこから藤棚が120mに渡って続き、紫色の世界が広がる。一般公開は4月26日、27日、28日に実施されている。

  臨時バスも出されており、たくさんの見学者が訪れていた。東京の亀戸天神、草津の三大神社の藤棚も見ているが、これらに比べて一番長くて壮大な藤棚であった。

  このセンターは学生の頃、上鳥羽下水処理場と称していたと思う。その後処理能力をアップし大きな処理場になり、加えて市民の集える広場も作ったようである。

  藤を楽しんだ後、さらに南にある久我神社に向かった。