「高瀬川一之船入」の説明
高瀬川一之船入の石柱(左奥入江が船入)
高瀬川の石碑
角倉了以邸址
角倉了以別邸跡
角倉了以別邸跡(今は寿司店)
「島津製作所創業の地」の説明
島津製作所創業の地
島津製作所創業記念資料館
島津製作所創業記念資料館
本能寺総門
本能寺由緒
本堂
浮島ガーデン中庭
浮島ガーデン和室
高瀬舟で有名な高瀬川の船入が二条木屋町にある。森鴎外の「高瀬舟」はこの高瀬舟に載せられて高瀬川を下り、島流しにされる罪人との出会いを題材にしたものである。
病気の弟の苦しみを取り除くためにあやめたとの話。罪人は今までの世話の苦しさを思えば島流しの方が安らぎを感じるという。現代でも認知症老人、末期がん患者の介護疲れで、そして患者の苦しみを取り除くため人をあやめることが起こっており、これが罪なのかを問う小説である。
高瀬川は、江戸時代京都の中心と大阪との間の物流をたやすくするために、鴨川の水を流して伏見から淀川につながるように造られた。その開発者は有名な商人角倉了以であった。浅い川であるため、高瀬舟は底が平らであることが特徴である。
病気の弟の苦しみを取り除くためにあやめたとの話。罪人は今までの世話の苦しさを思えば島流しの方が安らぎを感じるという。現代でも認知症老人、末期がん患者の介護疲れで、そして患者の苦しみを取り除くため人をあやめることが起こっており、これが罪なのかを問う小説である。
高瀬川は、江戸時代京都の中心と大阪との間の物流をたやすくするために、鴨川の水を流して伏見から淀川につながるように造られた。その開発者は有名な商人角倉了以であった。浅い川であるため、高瀬舟は底が平らであることが特徴である。
その角倉了以の邸宅跡や別宅跡の石碑が残っている。別宅跡は今は寿司屋になっていた。その向かいは島津製作所創業の地になっている。父が若いころ勤めていた会社である。もともと理科学測定器で知られている会社であるが、今ではノーベル賞受賞社員が出たことで一般の人にも広く知られるようになった。
そして本能寺の変で有名な本能寺を見て、浮島ガーデンに入った。本日は中庭をはさんだ和室での食事である。隣テーブルの3人のおば様達は学校時代の同級生のようで、温泉に行こうなど楽しそうな会話がはずんでいた。
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