床の間に飾られた広隆寺弥勒菩薩
京都地下鉄東西線太秦天神川駅
太秦の地
広隆寺楼門
聖徳皇太子殿の石柱
広隆寺境内
講堂
上宮王院太子殿
霊宝殿
霊宝殿入口
霊宝殿前庭
蚕養神社の鳥居
蚕養神社の参道
木島座天照御魂神社の石柱
木島坐天照御魂神社(蚕の社)由緒
舞殿
本殿
東本殿(蚕養神社、蚕の社)
元糺の池
石製三柱鳥居
嵐電
嵐電蚕の杜駅
四条大宮駅終点
嵐電四条大宮駅
床の間に広隆寺の弥勒菩薩の写真を飾っている。広隆寺には今まで何度か訪れ、その時に購入したものである。久しぶりに本物を見に行くことにした。
京都地下鉄東西線の終点、太秦天神川駅で降りる。歩いて広隆寺に向かう。懐かしい嵐電が路上を走っている。昔に比べてモダンな車両になっている。楼門前には聖徳皇太子殿との石柱がある。
境内に入ると、講堂があり、突き当りが本堂の上宮王院太子殿である。広隆寺は飛鳥時代に聖徳太子が建立したといわれ、本堂には聖徳太子像が祀られている。毎年11月22日に開扉される。
本堂左側に霊宝殿の入場受付がある。700円払って入る。霊宝殿室内は写真厳禁である。仏像が並んでいるが、中央に弥勒菩薩が置かれてる。写真を撮りたいが残念である。じっくりと見つめる。何とも言えない清楚な美しさで、気持ちが落ち着く。
西欧の哲学者がこの仏像を見て、ギリシャ、ローマ時代のどんな芸術よりも、人間実存の最高の姿と絶賛したのはうなずける。この寺は、他の京都の社寺と比べて人もまばらで静かなたたずまいの空間である。京都近くに移ってきて、これからも見に行きたいときにはいつでも行けることをありがたく思う。
広隆寺を出て、近くの神社に向かった。鳥居には蚕養神社と書かれている。養蚕に関する神社のようである。もともと太秦は中国秦の始皇帝とつながりのある秦氏が古墳時代に帰化して住み着いたところ。養蚕技術や機織りなどいろいろな文化も持ち込んでいる。その関係でこの神社があるのであろう。
つくばにも蚕影神社があった。日本での養蚕の始まりがつくばであったと聞いている。おそらく秦氏が持ち込んだ技術が東の方へ伝わり、そこで産業として始まったのではないかと推測する。
本殿は木島座天照御魂神社といい、その東に東本殿がある。これが蚕養神社(蚕の社)である。本殿西には元糺の池があり、その中には京都三鳥居の一つである石製三柱鳥居がある。泉が湧いているといわれるが、今は枯れていた。
帰り、近くの嵐電蚕の杜駅から電車に乗った。電車内はほぼ満員である。観光客が多く、嵐山からの帰り客のようだ。かなりの人が外国人である。この一両編成の小さな電車は、東京荒川都電に似ていて風情があっていい。15分のほどで、終点四条大宮駅に着いた。
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