2019年4月26日金曜日

Vegan Life(ビーガン生活)

Breakfast
 Brown Rice with Black Sesam Seeds
Natto with Green Onion, Olive Oil, Soy Sauce, & Mustard
Miso Soup with Tofu, Onion & Wakame (Seeweed)
Nori (Seeweed) & Salted Plum
 Orange
Lunch
Brown Rice Ball with Seeweed & with Salted Plum
Brown Rice Ball with Red Beans & with Salted Plum
Vegetable Pickles & Tsukudani of Enoki Muschroom
Afternoon Sandwiches
Natural Yeast Bread made in my Hause
Vegetable Margarine & Mustard
Cream like Egg
(Tofu, Vegetable Mayonnaise, Pumpkin, Onion, salt, Black Pepper) 
Carrot, Onion, Cabbage, Mizuna, & Lettuce 
Dinner
Spaghetii with Porcini, Eringi & Simeji Mushroom
Vegetable Salada
Walking 7.15 km, 8302 Steps
(Usual Course)

  完全なビーガン生活をして5、6年になる。手術後、鉄不足による貧血、亜鉛・ビタミン不足による味覚障害、カルシウム不足による骨粗鬆症などの後遺症に悩まされていたが、いつの間にか全く問題はなくなっている。 

  最初は栄養不足になるかと気にしていたが、むしろタンパク質、ミネラル、ビタミンなど栄養は十分のようである。また砂糖も全くとっていない

  毎日の朝食は玄米ご飯に黒ゴマをかけ、納豆を海苔巻きにして食べる。納豆にはたっぷりのネギ、洋からし、それにオリーブオイルを混ぜる。

  みそ汁は昆布だしで豆腐、玉ねぎ、わかめを入れる。そして残った玄米ご飯は梅干しを入れた海苔巻きにして食べきる。

  毎朝果物も食べるが、本日はオレンジであった。バナナ、リンゴの時もある。果物はなるだけ食事前に食べるようにしている。果物に含まれる酵素の働きが最大限発揮されるという。

  昼食は玄米わかめ梅干しおにぎりと小豆玄米おにぎりをとる。それに野菜の漬物、エノキだけなどの佃煮を添える。

  午後の間食としてはサンドイッチを食べる。家で焼いた天然酵母パンを使った、卵サンド風サンドイッチである。卵クリームは豆腐、植物性マヨネーズ、カボチャ、玉ねぎ、塩、黒コショウで作る。それに生野菜をはさむ。

  そして本日の夕食は茸スパゲッティであった。夕食だけは妻が作るが、朝食、昼食、午後の間食は自分で作っている。

  夕食を日本そばうどんにするときも麺は自分が手打ちで作ることになっている。

  夕食以外はほぼ毎日メニューが決まっているが、夕食は、植物たんぱくカツカレー、ラーメン、焼きそば、マーボ豆腐、水炊き(豆腐)、野菜天丼、グルテン肉入り焼き飯、すき焼き(豆腐、甘酒)、巻ずし、餃子(大豆たんぱく)、魚風揚げ物など、バリエーションに富んでいる。

  加えておやつ類は、スコーンガトーショコライチゴケーキぜんざい・おはぎ(コメ飴、メイプルシロップ)、パウンドケーキ水無月アンパン鯛焼きなど、自分で作って楽しんでいる。いずれも砂糖は使わない。

  健康診断ではすべての指標が正常値になっている。それとともに美味しいものばかりで、これからもビーガン生活を続けたいと思う。

2019年4月25日木曜日

Pajero(パジェロ)

Sale of Pajero in Japan stops
(WEB News)
Walking 7.03 km, 6887 Steps
(Bicycle Shop to repair Tire, Onumi-Shrine)

  昨日のWEBニュースで三菱自動車がパジェロの日本での販売を止めるという。日本での販売が落ち込んだことによる。海外では販売を続ける。

  パジェロといえば SUV 四輪駆動車を世界的に広げた車である。特にパリダカ―ルラリーでは大活躍し、当時は日本車としてはトヨタ、日産をしのぐ評価を得ていた。

  ドイツで生活していた時、スペインへも車でドライブしている。たまたまグラナダに宿泊したとき、ちょうどその日がパリダカ―ルラリーのスタートの日であった。この年はパリがスタートではなく、グラナダが出発点であった。

  世界の車が順次出発していくが、歓声の上がるのは三菱パジェロとフランスシトロエンであった。この年もパジェロとシトロエンが上位を独占した。

  普通の道を走るのであれば四輪駆動の車は必要ではない。しかし、砂漠、雪道、山道などでは威力を発揮する。

  この冬、ウィーンからイタリアへドライブしたが、アルプス越えは雪に見舞われた。高速道路は大渋滞で、普通の山道を走った。レンタカーは日産のSUV車で、雪の山道を何の問題もなく走り抜けた。

  初めての経験であったが、SUV車の威力を知った次第である。

  しかし、アルプスなどに住んでいる人には必須と思うが、日本の普通の生活には必ずしも必要でなく、ブームは終わったように感じる。

  それよりも車に関して今考えなければならないのは、高齢者運転の事故が頻発していることである。若い人が巻き込まれるという痛ましい死亡事故ばかりである。犠牲になった方々の家族はどこにそのやりきれない思いをぶつければいいのだろう。

  少なくとも加害者になることは避けたいと思う。自分だけは大丈夫と思うことが次の加害者になるということを肝に銘じたい。

  次回の更新時か、遅くとも80歳までには返上する考えである。行政は返上しやすくするために、年間タクシー券を支給するなどの対策が必要な時期に来ているのではないかと思う。

2019年4月24日水曜日

Takio-Shrine(瀧尾神社)

 Takio-Shrine
Explanation of Takio-Shrine
 
Dance Hall(舞殿)
 Main Shrine(本殿)
 Walking 2.77km, 3490 Steps (Dentist)
Walking 6.92 km, 8690 Steps
(Usual Course)

  先日今熊野観音を訪れた際、旧奈良街道と泉涌寺道の角にある瀧尾神社にも立ち寄っている。東福寺駅から北すぐのところに位置している。

  大黒天、弁財天、毘沙門天の三神が祀られている。創建は不詳とのことであるが、応仁の乱で焼失し近くの日吉坂に移転、天正年間に今の場所に戻ったという。

  現在の社殿は、江戸後期に大丸創業家である下村家により整備され造られたもの。

  本殿拝殿天井には龍があり、全長8mに及ぶ彫刻であるという。しかし、中を見ることは出来なかった。

  大丸との関係は、創業者である下村彦右衛門正啓が自宅の伏見京町から行商に行くとき毎朝欠かさず参拝していたことから始まっている。

  その後の大丸の繁栄はそのおかげとして代々、今も崇敬してきているとのことである。

2019年4月23日火曜日

Raigouin-Temple(来迎院)

 Way to Imakumanokannon & Raigouin-Temple
Torii-Bridge (Imakumanokannon)
 Gate of Raigouin-Temple(来迎院)
 Explanation of Raigouin-Temple
 Approarch to Main Hall (Left) & Koujin-Hall (Center)
 Steps to Koujin-Hall
Koujin-Hall(荒神堂)
 Sanpoukoujin enshrined
 Ship with Hoteison-Doll
 Hoteison-Doll(布袋尊人形)
 Viewing from Koujin-Hall
 (Japanes Maple Trees, right : Main Hall)
Walking 6.53km, 8535 Steps
(Usual Course)

  今熊野観音参道の鳥居橋手前で右に折れると、来迎院がある。昨日は今熊野観音に行く前に、この来迎院を訪れている。

  来迎院は泉涌寺の塔頭の一つで、今熊野観音と泉涌寺との間に位置している。

  境内に入ると、左には本堂があり、まっすぐ階段を上ると荒神堂に至る。ここには三宝荒神が祀られており、不浄、災難を除去する神様として信仰されている。また、この神様は台所、かまどに祭ることも多い。

  この寺には、泉山七福神の4番、布袋尊があり、荒神堂の横の船には布袋尊人形がたくさん奉納されていた。

  荒神堂から本堂を見下ろすと、もみじの木が茂っているのが分かる。ここも秋には紅葉がきれいになることと思う。

  昨日はこの後鳥居橋まで戻り、橋を渡って今熊野観音へ向かった。

2019年4月22日月曜日

Imakumanokannon-Temple(今熊野観音寺)

JR Tofukuji Station
 Guidepost of Saigoku No.15 Imakumanokannon-Temple
 Indication of Sennyujimichi
 Sennyujimichi
 Gate of Sennyuji
 Approaching to Senyuji
Way to Imakumanokannonji
 
Approach to Imakumanokannon-Temple
Torii-Bridge
 Explanation of Imakumanokannon
Indication of Main Hall
Main Hall
 Principal Image (Juichimenkanzeonbosatsu)
 Taishi-Hall
 Stone Images of Saigoku-33-Kannon
Stone Image of kyoto Kiyomizu Kannon (No.18)
 
Stone Images of Saigoku-33-Kannon
Indication of Isei-Hall
 Isei-Hall
 Viewing from Isei-Hall
 (Many Japanese Maple Trees)
 Temple Bell
Moving Trajectry (Imakumanokanon-Temple)
Moving Distance 15.13km, 10202 Steps

  京都東山にある泉涌寺には今まで何回か来ているが、近くにあるその塔頭の一つである今熊野観音寺は訪問することはなかった。本日初めて行くことにした。

  JR東福寺駅を降りて、泉涌寺道を東に上り、泉涌寺門を通る。参道を進み、泉涌寺手前で左に折れると今熊野観音寺の参道となる。

  まもなく赤い鳥居橋があり、さらに歩くと本堂に至る。本堂には十一面観世音菩薩が本尊として祀られ、拝むと頭痛・ボケ防止に効くという。さらに境内を歩くと弘法大師像が安置されている大師堂がある。

  小高い山には多宝塔の医聖堂がある。そこに至る山道には西国33観音の石仏が祀られ、これらの石仏を拝むことにより33観音を回ったことになるという。

  医聖堂は昭和59年に完成しており、平安時代から現在に至る医学に貢献した人々を祀っている。

  ここから下にある本堂を見ると、境内はもみじの木々で覆われているのが分かる。晩秋には紅葉がきれいなことと思う。

  今熊野観音寺には巡礼者が見られたが、泉涌寺も含めてこの辺りには観光客はほとんどいなかった。静かな落ち着いた散策が楽しめるところである。

  秋の紅葉の季節はどうであろうか。また訪れたいと思う。

2019年4月21日日曜日

Oumi Fest(近江まつり)

Otsukyo became to be Capital in 20th of April of AD 667
Oumi Fest (21st of April Sunday, Video)
Portable Shrine for Children
Portable Shrine for Children
 Sweets Presents for Children
Many People were gathering in Oumi-Shrine
 
Portable Shrine was moving by Children
Portable Shrine for Children in Town
Cycling 6.83km, 2306 Steps
 (Miidera Organic Market)
Walking 7.72km, 8771 Steps
(Usual Course)

  西暦667年4月20日は天智天皇が飛鳥から大津京に都を移した日である。毎年4月20日は遷都の日として近江神宮では例祭が執り行われる。

  そして直後の日曜日である本日は子供神輿が参集し、近江まつりが行われた。近江神宮外拝殿には近くの町内会の子供神輿が集まり、祭事が行われていた。

  近江神宮の奥の山麓には宇佐八幡宮もあり、各町内会はこの神社の氏子でもある。歴史的には近江神宮は昭和初めに設立されており、宇佐八幡宮の方がはるかに古い。

  宇佐八幡宮の祭は壮大な大人の夜祭で長い伝統がある。それ故、近江神宮のお祭りは子供の祭りとして新たに催されるようになったのではないかと思う。

  祭事が終わった後、子供たちにはお菓子がくばられ、各町内会に戻っていった。