My Diary dated 11st of February, 1983
(Description of reading Novel 「金環蝕」)
Walking 6.43 km, 8128 Steps
(Usual Course)
1983年2月11日の日記には、長文の文章を書き残している。石川達三の「金環蝕」を読んだ感想文である。ほぼ40年ぶりに再度この小説に接することなった。
この小説自体は、1966年に石川達三が週刊誌に連載している。九頭竜川ダム汚職事件を題材にしている。そしてこの本を読んだのは、その17年後になる。
記憶に残るのは小説の最後の言葉である。
「(この大汚職事件を)一般庶民は何も知らなかった。彼らは営々として働き、その収入から高額の租税を納めていた。文字通り血税と云われるような税金であった。それが政治の上層部では個人的な権勢慾や野心や名誉慾のために濫費されたのだった。しかし彼等は庶民の上に立ち、権力をふるい、そして赫々たる栄誉をあたえられているのだった。」
この日記にも記載されているが、1983年は中曽根と中川が保守政党総裁選を戦った翌年である。中曽根が首相になった後、中川が自殺している。この小説を読んだ直後に、この自殺は殺人であることを直感している。
日本の保守政権がいかに腐敗しているかを知ることが出来る小説である。またこの腐敗体質はその後も延々と続き、今でも加計学園問題で自殺者が出るなど、同じような出来事が続いている。東京オリンピックも全く同じ構造である。
この小説で描かれている半世紀以上も前の不正が、今も脈々と行われているのである。告発された裁判も不正の事実を黒塗り資料でまかなうという、今では司法も役目をはたしていない。
不正を正す残された道は選挙しかないが、この選挙も金で買収という不正が行われている。今問題になっている議員の選挙買収事件は氷山の一角であろう。
腐敗した 保守政権が 生き残る
(ふはいした ほしゅせいけんが いきのこる)
日記はかなり長い文章であるが、怒りも感じながら一気にブログに書き移した。
昔と違ってインターネットが普及し、国民一人一人が案件ごとに投票することはいとも簡単になっている。直接民主制度の必要性を再度認識する日となった。
昔と違ってインターネットが普及し、国民一人一人が案件ごとに投票することはいとも簡単になっている。直接民主制度の必要性を再度認識する日となった。
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