Koubun-Tennou-Ryou(弘文天皇陵)
Walking 6011 m, 8588 Steps
(Usual Course)
昨日はフェノロサの墓を訪れた後、弘文天皇陵まで歩いた。その動画を You-Tube に載せた。
(5) Walking from Grave of Fenollosa to Koubun-Tennou-Ryou(弘文天皇陵) - YouTube
フェノロサの墓から法明院の庭園に戻る。池の回りを歩き、東の台地に来る。ここからは琵琶湖が一望できる。おそらくフェノロサもこの景色が気に入っていたものと思う。
法明院を出て東方向の坂を下る。自動車の走る道の少し手前を右に折れてすぐのところが弘文天皇陵である。
天智天皇の第一子で天智天皇亡き後の天皇であるが、天智天皇の弟が壬申の乱を起こし、追い詰められ自害することになる。自殺するまでの半年は、弘文天皇であったとされる。
天智天皇の弟は壬申の乱の後天武天皇となるが、その時に編纂したのが日本書紀。この歴史書には弘文天皇のことは書かれていない。
結局明治維新になって、弘文天皇として認識されている。現在の弘文天皇陵付近で自殺したことからこの地に埋葬されており、おそらく天皇としてではなく大友皇子として埋葬されたものと思う。
大津京 弘文帝で 終焉す
(おおつきょう こうぶんていで しゅうえんす)
明治になって、御陵となったということである。いろんな歴史を思い出す散歩でもあった。
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