2017年12月14日木曜日

融(とおる)神社

 国道161号線から県道315号線を西に向かう
県道315号線
 県道47号線で雪で覆われた仰木の棚田を見る
融神社石標
 融神社の説明
 由緒
 石灯篭と参道
 鳥居
鳥居の扁額に書かれた 融神社
 二の鳥居
 歌碑の説明
 歌碑
 舞殿(奥に左右二つの社殿がある)
 源融をお祀りする社殿(右)
 源融の母(大原全子)を祀る社殿(左)
国道161号線から県道315号線・47号線へ
(融神社経由新知恩院へ)
往き最大高度 190m
新知恩院から国道477号線を堅田へ
帰りの高度推移(新知恩院⇒堅田)
サイクリングの距離 23.7km
+10km(堅田⇒自宅)

  今朝は全国的に寒波が押し寄せ、琵琶湖も北部では雪である。大津でも早朝には雪が降っていたが、午後には雪・雨ともやみサイクリングに出かけた。

  国道161号線を北上し、雄琴を過ぎたところから西に向かう県道315号線を上がった。最初傾斜は緩やかであるので自転車をこいで走れるが、県道47号線手前でとうとう歩いた。47号線を走ると雪に覆われた仰木の棚田が綺麗に見える。

  何回かアップダウンを繰り返し、伊香立のはずれにある融神社に着いた。この神社は、源氏物語の光源氏のモデルである源融をお祀りしている。

  嵯峨天皇の子である源融は京都六条河原近くに邸宅(現在は本覚寺付近)を持っていたが、閉居としてこの地にも住んでいた。死後鏡を埋めたといわれ、平安中期になってそれが見つけだされその鏡と融、それに母であるを大原全子を祀って神社が創建されている。

  その後、信長の延暦寺焼き討ちの際に焼失したが再建されて今に至っている。

  源融は京都六条河原に住んでいたことから河原左大臣ともいわれており、その名前で百人一首にも選ばれている。

  この後、伊香立の中心地にある新知恩院に向かった。

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