2024年10月21日月曜日

Fragrant Orange-Colored Olive(キンモクセイ)

 
Flowers of Fragrant Orange-Colored Olive at Jigudo(神宮道)
Blue Morning Glory(ノアサガオ) at Bank of YUanagawa
Flower of Tatarian Aster(シオン)at Bank of Yanagawa

   近江神宮一の鳥居に向かう神宮道の歩道には、キンモクセイが植えられている。先週末ぐらいから近くを通ると、いい匂いがしていた。

  本日、そのキンモクセイに花が咲いていた。芳香は付近にさらに広がり漂っていた。

秋晴れに キンモクセイの 花かおる
(あきばれに キンモクセイの はなかおる)

  そして柳川土手では、依然としてノアサガオが紫の大きな花をつけている。おそらく年末まで咲続けるのではないかと思う。

  柳川土手に一時野菊が咲いていたが、消えて久しい。久しぶりにまたその土手には野菊の花が咲いた。

  秋が深まる。

2024年10月20日日曜日

Chest Nuts and Beniharuka(栗と紅はるか)

 

Miidera Organic Market(三井寺オーガニックマーケット)

Chestnut Okowa(栗おこわ)
Sushi Roll with Red Jiger
Beniharuka (Sweet Potaoes)

Chestnuts
Green Onions

  本日は、月一回の三井寺オーガニックマーケット。朝食後に自転車で出かけた。

  秋も深まり、栗、サツマイモ(紅はるか)などが出ていた。昼食には栗おこわ、いつもの巻き寿司を買って、帰宅後味わった。

栗おこわ 秋の味覚は 格別だ
(くりおこわ あきのみかくは かくべつだ) 

  本日はたまやが出ておらず、いつも楽しみにしているライスハンバーガーは食べられなかった。たまやは草津のファーマーズマーケットに出店しているとの話で、最近は奥さんが忙しくてご主人だけが来ていた。またの機会としたい。

  サツマイモは早速焼いて、おやつとして食べた。また栗も購入したので、秋の味覚を楽しむつもりである。

  この他、毎日の納豆に入れるネギも購入した。

2024年10月19日土曜日

Smartweed(蓼)

 

 Flowers of Smartweed at Bank of Yanagawa

  は辛みがあり、蓼虫しか食べないことから「There is no accounting for tastes.」(蓼食う虫も好き好き)という諺が生まれている。

  英語では意味をそのまま表現しているが、日本語では自然の虫に例えて言いたいことを表している。表現の仕方が、西洋は直接的であるのに対して日本では間接的なものになっている。文化の違いのように思う。

  柳川土手には、今年も秋の花であるその蓼の花が咲いている。

秋の土手 蓼の花咲く ピンク色

(あきのどて たでのはなさく ピンクいろ)

2024年10月18日金曜日

Chocolate Cosmos(チョコレートコスモス)

Chocolate Cosmos in Private Garden of Yanagawa Bank
Nemesia(ネメシア)
Angelonia(アンゲロニア)
White Rain Lilies(タマスダレ)at Bank of Yanagawa

  柳川土手には野生のコスモスが満開であるが、土手に作られた花壇にはチョコレート色の花が咲いている。調べると、その色ずばりのチョコレートコスモスであった。

コスモスに チョコレート色 重厚だ
(コスモスの チョコレートいろ じゅうこうだ)

  メキシコ原産で、大正時代に日本に渡来したという。すでに野生の種は絶滅し、観賞用だけが育てられている。

  この花壇にはキバナコスモスも満開であるが、その他ネメシア、アンゲロニアの花も満開である。

  ネメシアは南アフリカ原産、アンゲロニアは中南米原産で、観賞用として日本に移入された。

  この他、柳川土手には野生のタマスダレも白い花をつけており、秋の花盛りとなっている。

2024年10月17日木曜日

Kochia(コキア)

Kochia at Private Garden of Yanagawa Bank

Flowers of Red Morningglory(マルバルコウ)at Bank of Yanagawa

  柳川土手にあるプライベートガーデンには、コキアが植えられているが、緑からようやく赤い色に変わってきた。

秋の空 コキア色付く 土手の庭
(あきのそら コキアいろづく どてのにわ)

  同じく柳川土手には、マルバルコウも小さな赤い花をつけた。

  いづれも緑の土手に、赤い色彩が際立っている。

  秋が深まるにつれて、ますます赤色が映えるものと思う。

2024年10月16日水曜日

Tall Goldenrod(セイタカアワダチソウ)

Tall Goldenrod at Yanagasaki Lakeside Park
White Crow(白いカラス)

  柳が崎湖畔公園をジョギングしていると、久しぶりに白いカラスが飛び回っていた。以前からこの付近に生息しているカラスと思われる。

湖畔には 白いカラスが 飛び回る
(こはんには しろいカラスが とびまわる)

  そして湖畔にはセイタカアワダチソウの黄色い花が咲いた。日本の原種であるススキは柳川土手では一時見られたが、湖畔にはまだ現れていない。今年もセイタカアワダチソウとススキの共演がまもなく見られるのではないかとものと思う。

  今年はどちらが優勢になるか、興味深い。秋が深まる。

2024年10月15日火曜日

Sprouts of Cabbage(キャベツの芽)

Sprouts of Cabbage in Plant Pots of my Balcony
Sprouts of Radish in Planters of my Balcony

  昨日はベランダのプランターで、大根の新芽を見ることができた。今朝は植木鉢に蒔いたキャベツの新芽が出ていた。まだ数本であるが、植木鉢内周辺にも種を蒔いているのでさらに芽が出てくるものと期待している。

キャベツの芽 一日遅れ 顔を出す

(キャベツのめ いちにちおくれ かおをだす)

  一方プランターでは一斉に大根の芽が出て、プランターは賑やかになってきた。

  成長を見守りたい。

2024年10月14日月曜日

Sprouts of Radish(大根の芽)


Sprouts of Radish in Planter of my Balcony

  種を蒔いて四日経ち、大根の芽が出た。プランターの中央部の長さ方向に線状に蒔いたが、その一部が芽を出した。

大根の 種蒔き四日 緑の芽

(だいこんの たねまきよっか みどりのめ)

  プランターには中央部のみならず、残りの種を端にも蒔いている。まもなくそれらも芽を出すものと思う。

  端に蒔いた種から芽が成長すれば、葉はスムージなどに入れて食べるつもりである。

  一方、植木鉢に蒔いたキャベツはまだ芽は出ていない。芽が出るのが待ち遠しい。

2024年10月13日日曜日

Yamamoto Naozumi(山本直純)

FM Program ; Kakeru Clasic(かけるクラシック)

Yamamoto Naozumi composed Choral Music

  毎週日曜日の午後にはFM放送で、「かけるクラッシック」という番組がある。日曜日に聴いたり、再放送の金曜日の朝に聴いたりして楽しんでいる。

  毎月作曲家を選んで、その曲を聞かせてくれる「ーーー節」というコーナーがある。今月は「山本直純節」であった。

  札幌オリンピックの入場行進曲、映画「寅さん」のテーマ曲、「大きいことはいいことだ」のチョコレートの宣伝曲など、有名な曲をたくさん作っている。

  本日は「遠足」という児童合唱組曲を流していた。初めて聴いた曲であるが、本格的な合唱曲で聴きごたえがあった。

  山本直純で思い出すのは、テレビ番組でゲストがオーケストラの曲を聴いて楽譜に書き上げるという催しをしていた。

  唯一山本直純だけは、完璧な楽譜を書いていた。すでに頭に入っている曲だったかもしれないが、完璧にオーケストラのスコアーを書けるのには驚愕した。  

直純の 聴音力は 抜群だ  

(なおずみの ちょうおんりょくは ばつぐんだ)

  斎藤秀雄門下の指揮者でもあるが、世界的に有名な小澤征爾は同門である。指揮者としても一流の能力を発揮していた。

  懐しく、来週の金曜日にも再放送があるのでもう一度聴きたいと思っている。

2024年10月12日土曜日

War and Peace(戦争と平和)

 
Nobel Peace Prize of 2024 is NihonーHidankyou

  自然科学分野のノーベル賞は日本からはもう出ないと予想しているが、自然科学以外の分野ではこれからも受賞があり得るようである。

  昨日、今年のノーベル平和賞は日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に与えられるとの発表があった。平和賞はスエーデンではなく、ノールウエーで決められる。

  今までも日本被団協はノーベル賞候補には上がっていたというが、アメリカをはじめとする国間の思惑から決めかねていたものと思う。

  広島長崎の被爆はアメリカが落とした原爆の犠牲者であり、アメリカにとっては気分良いものではない。ノールウエー側に何らかの決断があったのではないかと推定する。

  核兵器のみならず戦力があるから戦争が可能になる。完全な平和を確立するには、究極は核兵器のみならず兵力を無くすることが必須である。

  核兵器とともに軍備を持つことにより平和は維持されるとの考え方もあるが、兵力をもっている限り必ず戦争は起こるというのが歴史的な現実である。

  現に、ウクライナ、中東などで沢山の民間人が亡くなっている。ロシアにしてもイスラエルにしても国を守るための戦争と主張し、戦火を拡大している。

  戦争は侵略を公言して始まるものではない。戦争は防衛のためであるとして始まっている。戦前の日本も同じであった。アジア諸国を侵略しますとは一言も公言していない。国及びアジアを守るためと国民を鼓舞して戦争は泥沼に入って行った。

  防衛のためなら戦いは地球上で認められた当然の権利であるという考え方がある限り、戦争はこの地球からは無くならないと断言できる。

  原爆をはじめ先の戦争の悲惨さから、戦後日本国憲法では「すべての戦力を永遠に持たない」とした。しかし御用学者の「憲法を超えて、人類にとって防衛力は認められたものである」という説明を背景にして、防衛力だけなら憲法違反ではないとして自衛隊が強化されてきている。

  ノーベル平和賞はすでに佐藤栄作元首相が核三原則(核を持たない、製造しない、持込ませない)を堅持したということで受賞している。

  その流れを継いでいる政府は、被爆者をはじめ多くの人々が要望する核拡散防止条約を批准していない。今の政権は全く矛盾した行動をしている。

  今回のノーベル平和賞に政府は祝辞を述べているが、それが誠なら一刻も早く核拡散防止条約を批准する方向で動くべきと考える。

  世界平和を沢山の人が望んでいるが、世界平和を叫ぶだけでは戦争は続く。この世から核兵器を始めとする兵器を無くすると主張することだけが、平和という言葉を使える資格があると考える。

平和には 防衛用も 武器なくす
(へいわには ぼうえいようにも ぶきなくす)

  武器があることから平和が保たれているとか、この世界から武器を無くすることは不可能であるという見方が多いが、武器を無くすることが不可能という事ならこの地球から永遠に戦争は無くならない。
 
  防衛のためと称して、今も戦争が続いている。