2020年2月7日金曜日

Houkou-Temple(方広寺)

Hondou of Houkou-Temple
(方広寺の本堂,  Video)
Bell Tower(鐘楼、Videos)
Inscription of Kokka-Ankou Kunshin-Houraku
(国家安康、君臣豊楽の銘文)
Site of Kyoto Great Duddha Image
(京都大仏跡, Videos)
Walking 4.90 km, 3822 Steps
(Yamashina Muji-Store)

  焼損した東大寺大仏殿に代わる大仏の建立を1586年に秀吉が計画している。そして、1595年に京都大仏が完成した。これが方広寺の始まりである。

  当時の寺の敷地は豊国神社京都国立博物館三十三間堂に至る広大なものであった。三十三間堂南にある太閤塀、南大門は当時のものである。東寺の南大門は方広寺の西門を明治になって移設したという。

  京都大仏は高さ19mにも及び、東大寺の大仏をしのぐ大きさであったという。その後伏見大地震により崩壊。秀頼のときに再建されたが幾度となく地震、雷、火事で消失し、江戸天保期に半身の大仏が再度造られた。1973年にはまた焼失し、そのまま再建されることなく、今はその一部が跡地として公園となっている。

  先週この方広寺附近も歩いたが、今では本堂と鐘楼が残っているだけであった。鐘楼は有名な銘文「国家安康、君臣豊楽」が記入された梵鐘で、東大寺、知恩院と合わせて、日本三名鐘の一つといわれている。

  家康が、この銘文は徳川家を冒涜するものとして、大阪の陣で豊臣家を滅ぼす口実にしたのは有名な話である。
 
  怖いもののたとえに地震雷火事おやじというけれど、長い歴史の中で京都大仏はおやじ以外の惨事をすべて経験している。秀吉を呪うものがあるのかと思う。

大仏の 惨事多発は 呪いでは
(だいぶつの さんじたはつは のろいでは)

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