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2024年6月27日木曜日

Tokyo Gubernatorial Election(東京都知事選挙)

 

Otsu City Election Commission
Salary of Metropopolitan Governor : 1Yen /Month

(Public Commitment of One Candidate)

Absentee Voting(不在者投票)

  現在一年のほとんどは大津市に住んでいるが、住民票は東京都にある。来月7日には東京都知事選挙があるが、東京に戻る予定はないため不在者投票の申請をしていた。

  本日不在者投票の書類などが東京の選挙管理委員会から送られてきた。その中には選挙公報も入っていた。何と知事一人を選ぶのに立候補者が56人もいる。ある政治団体に至っては19人もの候補者を立てている。売名行為か、遊びか、全くばかげている。

  各候補の公約に目を通したが、現職候補は実績自慢ばかりでこの8年間の答弁拒否、ハグラカシ、隠蔽、粉飾などおおよそ民主主義とはかけ離れた行動については反省の謙虚な姿勢は全くない。

  神宮外苑開発に代表される密室での業者との癒着など、利権政治がまかり通っている。都民ファーストというが、利権者ファーストと言った方が良い。

  アメリカ大統領は二期八年が最大として決められているが、それ以上政権が続くと腐敗するというのが歴史である。

  現知事の体制の中でもすでに腐敗構造は見え隠れしているが、天下りなどその恩恵を受けている人は今回も現職を支持するのだろう。

  よく見てみると、現職以外の立候補者は現職に批判的な人がほとんどである。しかし選挙となれば投票するのは一人一票で、批判票が55人に分散することになる。結局、現職が再任されることを後押していることになる。そのことが理解できないのだろうか。  

  現職を批判しているが現職を再選させることが真の目的なのかもしれない。

  公約で一番特出しているのは、知事になれば月給は1円と公約している候補がいる。

  今までも述べているが、今の間接選挙ではほんとうの民主主義は維持できない。民主主義を健全に発展させるには、議会に代わって案件ごとに直接選挙で決めることが必須と考えている。

  議会は無報酬に近い一般人が無作為に選ばれて、案件の利点、欠点、背景にあるものの考察を行う場所とすればよい。

  現在の政治家たちの税金の浪費を考えると、政治家達は違法と共に合法的税金泥棒である。与党、野党、無所属とも、無報酬をとなえる人は皆無で当然のように税金を使いまくっている。

  そんな中で、一人だけ1円で良いとの主張である。注目すべき候補者である。

都知事選 月給一円 公約す
(とちじせん げっきゅういちえん こうやくす)

  今の間接政治ではすべての主張に賛同は出来ないのが現状であるが、政治に関わる唯一の機会であるので棄権は避けて、今回も比較的ましな人に投票した。

  グーミン(愚民?)が多い中で浮動票がどう動くかが大きなポイントになる。今まで半分以上の人が棄権しているが、投票率がどうなるかが気になるところである。

2023年4月20日木曜日

Absentee Voting(不在者投票)

 

Received Letter-Pack Plus from Tokyo Board of Election

Voting Paper for Tokyo Ward Assembly Election

  昨日、東京の選挙管理委員会からレターパックプラスを受け取った。来週日曜日に東京区議会議員選挙が行われるが、住民票は東京にあるため不在投票の依頼をしていたもの。

  投票用紙と共に、選挙公報も入っており、各候補者の主張が分かるようになっている。投票用紙を持って、大津市役所の選挙管理委員会に出かけた。

  いつものことであるが、候補者の主張にすべて賛成するものではないが、誰かに入れる必要がある。結局、比較的ましな人に入れることになる。

  棄権は政治に参加する唯一の機会をなくすることになり、結局今回も今まで通りの方針で投票した。

  すでにインターネットが世界的に普及した現代では、直接民主制度を実施することは簡単になっている。議員を選ぶのではなく、案件ごとに全国民の投票により決めるという方法である。

  そうすれば案件ごとに賛否を選べることになり、ましな人に入れるという今の制度の欠点をなくすることが出来る。

  議員は無作為抽出により選ばれた人がなり、議会は案件に関しての議論をする場とする。決議は国民投票で決するということになる。

  このような直接民主制度を主張する候補者は、相変わらず皆無である。その理由は、議員自ら自分たちの仕事をなくする制度になるからである。結局は、今の制度では議員を目指す人は、人々のために尽くすというよりも、まずは自分の利益、名誉が優先していると理解できる。

  今の議員は、特権が認められた合法的な税金泥棒ではないかといつも思う。

  選挙に関してはもう一つ、投票する人の本人確認の方法である。名前と生年月日を申告するのであるが、これでは代替え投票は可能である。特に組織票といわれる集団では、組織的に不正を行うことは簡単である。

  世の中は性悪説で判断しないと間違える。表ざたにはなっていないが、実際不正が行われているものと推定している。

  今回も名前と生年月日を言うだけで、本人確認できたということで投票ができた。身分証明書を掲示しようとしたが、不要とのことであった。

  これでは、他人から依頼されて名前、生年月日を教えられて、本人に成りすまして投票可能では、と選挙管理委員の人に告げた。この発言に対しては無言で、完全にスルーされた。

  悪用可能な制度は、まずは一刻も早く改良すべきと考える。

選挙での 人確認に 証明書
(せんきょでの ひとかくにんに しょうめいしょ) 

2023年1月10日火曜日

Direct Democracy(直接民主制)

 

House of Councilors must be abolished and Refrendum instead of it
(Omae Kenich insisted, from WEB News)

  巷では、今年は新しい戦前になるとの話があるが、そのような事態にならないようにするには、直接民主制にする必要があると考えている。

  その必要性は、政治的に戦前になるとの意味のみならず、低下する経済力の回復にも必要であると考える。

  毎回選挙に行くが、今の間接政治では候補者の意見にすべて賛成でなくても、投票しなければならない。案件によって判断が異なるのである。

  今の選挙制度では、衆議院、参議院で決められることがすべて国民から支持されたこととは限らない。あくまで議員の多数決で決められたことで、案件ごとの国民の判断ではない。

  本来は案件に対して議論を尽くし、プラス・マイナス面も考慮した最終案で、全員一致で決めるのが理想である。しかし現実には、全員一致は独裁政治でない限りあり得ない。

  結局ベストではないが、多数決という手段を使わざるを得ない。

  以前から大前氏は現在の参議院は廃止し、その代わりに国民投票で決定するとの改革案を提案している。さらに衆議院は選挙で選ばれた100議席にし、案件の議論を進める場としている。

  小生も案件ごとの国民直接投票を提案しているが、違いは国会議員は有権者の無作為抽出による選出として、一般国民が務める点である。議員である期間は報酬を国から支給する。

  現代はインターネットが普及し、有権者全員に投票端末を支給し案件ごとに投票することは可能になっている。

  投票不正がはびこることが心配されるが、指紋・顔認証を使うことにより防ぐことが可能な時代になっている。むしろ現状より不正を防止できる。

  今の間接政治では、戦前のナチスが政権を取ったように、間接制度を悪用して新しい戦前になる可能性が強い。

直民主 新戦前を 防止する
(ちょくみんしゅ しんせんぜんを ぼうしする)

  大前氏の提案に対しての反響に期待したい。

2022年7月16日土曜日

Leaking Data of Basic Resident Register Network System(住民基本台帳ネットワークシステムデータ漏洩)

 

Leaking Data of Basic Resident Register Network System
(From WEB News)

  先日、住民基本台帳ネットワークシステムが実施されてるという事実を初めて知った。便利になるというメリット以上に、情報の漏洩を心配する点も述べた。

  案の定、WEBニュースで漏洩事件が報じられてる。役所の職員がシステムを使って情報を要求している人間にデーターを漏らしたという。

住基ネット データ漏洩 現実化

(じゅうきねっと データろうえい げんじつか)

  ハインリッヒの法則によれば、背景には幾多の同様の小さな事件が起こっているという。隠れたままの同様の漏洩は多々起こっていると考えてよい。

  ニュースによると、停職処分にしたとのことであるが、職務違反の重大な犯罪であり懲戒免職にすべきことではないか。

  システムが実施される前に漏洩問題は指摘されていたと思う。漏洩した場合は懲戒免職にするとの規定も必要ではなかったのか。国民の知らないところで決められ、実施されている。間接政治の闇である。

  直接民主制なら案件を必ず直接選挙により決めるので、国民の中での議論が進む。議員・役人が決めるのではなく、最終国民の手で決められる。

  今の間接政治では民主政治を続けることは不可能に近いと危惧する。直接民主制が益々必要に思う。

2022年7月11日月曜日

Basic Resident Register Network System(住民基本台帳ネットワークシステム)

 

Basic Resident Register Network System
(from Home Page of Ministry of Internal Affairs and Commnuications)

  パスポート申請に住民票がいるのではと思い、区役所を訪れた。

  結局現在は住民票は不要になり、戸籍謄本だけで手続き可能との説明であった。理由は、住民基本台帳ネットワークシステムが出来たためという。

  気になるのは、システムからの漏洩問題である。実際、当初実施しない地方自治体もあったという。最終、裁判所の決定で全国実施に至ったそうだ。

  メリットもあるが、心配な面は依然として残る制度である。直接民主制なら、このような案件も国民の知らないところで決められることなく、国民投票で決められる。

  民主政治の促進には直接民主制を目指すことが必要であることを、このシステムも例の一つとして理解できる。

  国民の知らないところで物事を決めるなら、間接制が適している。

間接の 政治体制 悪用
(かんせつの せいじたいせい あくようか)

2022年6月30日木曜日

House of Councillors Election(参議院選挙)

Ballot sent from Tokyo by Letter Pack plus 520
Absentee Ballot Place in Otsu City Hall

  参議院選挙が来月10日に実施されるが、いろいろな都合で東京に戻るのは10日過ぎになる。それで不在者投票の申請を東京に提出していた。

  早々と投票用紙が送られてきた。レターパックプラス520を使用しており、確実に届く。本日、大津市役所の選挙管理委員会に出向き投票を済ませた。

  唯一の政治に関与できる機会なので投票に行くが、実際には全く同調できる政党、候補者はいない。結局は比較的ましと思われる政党、候補者に投票することになる。

  今の間接政治では議員を選ぶことは出来るが、その議員の意見に全く同じではない。民主政治が維持されるには、それぞれの案件について賛否の意思表示ができることが必要と考える。

  案件ごとに投票する直接民主制が実施されて初めて、国民の正しい意思表示となる。今回の選挙公報に目を通したが、直接民主制を主張する政党、候補者は皆無であった。

  有権者すべてに投票の端末を支給し、案件ごとに投票することは可能な時代になっている。

  さらには、国会は衆議院のみ残し、議員は選挙ではなく無作為抽出で有権者から選ぶ。案件は衆議院で各方面からの議論を進め、その利点、欠点を明らかにするだけの機能とする。

  それらの協議結果は公表し、有権者全員の直接投票により案件は決定する。また首相も直接選挙で選び、選ばれた人が内閣を組閣し、行政を担当するという体制である。

  現状では、直接民主制を主張する政党、候補者はいないようで誠に残念である。自分で政党を立ち上げるしかないのか。

選挙制 案件ごとに 投票す

(せんきょせい あんけんごとに とうひょうす) 

2021年10月26日火曜日

General Election(総選挙)

Otsu City Election Commission
(大津市選挙管理委員会)

Absentee Ballot(不在投票用紙)

Cycling 5656m (Otsu City Hall)

Walking 1866 m, 2871 Steps

(Otsu City Hall)

  住民票は東京にあり、今回の総選挙も不在投票となる。申請書を出していたので、先週東京からその投票用紙が送られてきている。

  本日午前中に自転車で大津市役所の選挙管理委員会に出向いた。投票用紙は未開封のまま選挙管理委員会の職員に渡した。本人確認の後、投票用紙を再度受け取り小選挙区、比例代表と記入し、密封して職員に渡し、投票を終わった。

  最後に職員から最高裁判所裁判官国民審査用紙が渡された。これも密封して職員に手渡した。

  今回もこれぞと思う政党、候補者はいない。しかし政治に関われる唯一の機会なので、比較的ましな政党、人に投票することになる。

  今の間接政治では意思表示が難しく、いつも言っているが案件ごとに国民投票する直接民主制度に変革することが、民主主義を推進する必須条件ではないかと考える。

民主主義 議員制から 直接へ

(みんしゅしゅぎ ぎいんせいから ちょくせつへ)

2021年6月30日水曜日

Tokyo Metropolitan Assembly Election(東京都議会議員選挙)

Letter of Absentee Ballot(不在者投票)for Tokyo Metropolitan Assembly Election
Ballot of Election

Cycling 4763 m

Walking 2529 m, 3613 Steps
(Otsu City Hall)

  この日曜日は、東京都議会議員選挙である。住民票は東京にあるので投票できる。しかし、このために東京に戻る気にはならない。

  昨年の都知事選挙では東京オリンピックは争点にならず、そのままずるずるとオリンピックの準備が続行されている。

  今までも述べているように、東京オリンピックのみならずオリンピックそのものが不要の時代になっていると考えている。

  一部利権者へ金が動き回り、誘致には袖の下が効いてくる。そして選手は薬まみれの世界である。純粋なスポーツ精神とは全くかけ離れている。

  特に東京オリンピックは、首相の大ウソから始まり、安上がりの大会の当初の計画は反故になり何倍もの経費が使われた。追い打ちをかけるようにコロナ禍により延期になり、さらに追加の経費が掛かっている。

  その経費には税金が使われているのである。コロナが終息に向かう気配すらない状況で、オリンピックを強行するのは狂気の沙汰と考える。

  戦前に日本軍が犯したインパール作戦などの大きな犠牲を出した無謀作戦と全く同じである。有名な登山家の言、「ほぼ遭難することが分かっている登山を強行するのと同じ」。

  昨今では、オリンピック反対の集会、デモ、加えてインターネット署名の提出など動きがあったが、国、東京都、推進している組織は全く無視している。

  今回の都議会議員選挙はオリンピック中止への最後の都民の意思表示の機会である。昨年の都知事選では中止を公約にした候補はいなかったが、今回は明確に公約として中止を掲げる候補者がいる。

  どれだけの力になるか分からないが、中止への動きを促す意味で応援したい。

  本日午後大津市役所を訪れ、選挙管理委員会で不在者投票を済ませた。今まで投票していないグーミンが関心を持ち、投票率が上がることを期待している。

  間接民主政治の限界を感じる現状であるが、将来的には直接民主制で案件ごとに住民投票で決める体制が出来ないかと思う。

直接の 政治に変える 運動を

(ちょくせつの せいじにかえる うんどうを)

2021年3月26日金曜日

Shibuya Eurospace Kinohaus(渋谷ユーロスペースキノハウス)

Shibuya Eurospace Kinohaus

 

Lobby of Eurospace Kinohaus

Inside of Eurospace Kinohaus

Walking around Shibuya Area
(Shibuya Eurospace Kinohaus)
Walking : No Record due to Soft Damage
(Estimated 5.7 km, 8507 Steps)

  本日は午後から渋谷に出かけた。渋谷駅から映画館であるユーロスペースに向かったが、道玄坂から入った路地の中は複雑で、映画館を見つけるのに時間がかかった。


  京都みなみ会館と同じような規模で、観客は我々と同じような年代の人が多かった。佐古忠彦監督の「生きろ 島田叡(あきら)」の映画を鑑賞した。

  先の戦争末期、アメリカ軍が沖縄に上陸する直前に沖縄県知事に指名されたのが島田叡であった。大阪に家族を置いて単身で沖縄に赴任している。

  アメリカ軍の上陸に備えて、大規模な疎開、米の確保などの施策を実施した。アメリカ軍上陸後は、壕(自然の洞窟)に移動しながら行政を続けた。

  証言者の話を挟みながら、県民が戦闘に巻き込まれ日々命を落としていき、軍部から理不尽極まりない要求と住民第一主義にの信念との板挟みに苦渋の選択を迫られる様子が語られる。

  壕を転々とし行政を指揮するが、軍部は組織としての活動を停止する。兵隊にはゲリラとして活動し続けるよう指示し、司令官自身は自決する。このため戦闘は終戦後も続き9月になってようやく終了することになる。

  県庁自体も解散を決断、部下、住民には自由に行動し生きながらえよとの言葉を残して、行方不明になる。住民にはアメリカ軍に投降しても危害を受けることはないとして生きろと伝えている。

  この時代、捕虜になるよりも自決や玉砕こそが美徳として人々は刷り込まれていた。証言者も、島田叡から生き続けよと直接言われた時には違和感を感じたという。戦後、刷り込まれていたことを認識することになる。

  この島田叡の発言で、壕に隠れていたたくさんの住民が投降し、命が助けられた。

  むしろ、壕の中で子供が泣くと居場所が分かるとして日本兵が子供を銃殺、白旗を上げて投降しようとする住民を日本兵が切り殺すなど、日本兵による残虐行為が行われていた。

  アメリカ軍が日本兵をどう扱うかという中で、助けられた住民からは殺してほしいという発言が多かったとの証言も紹介されていた。

  戦後、島田叡は自殺したとの証言も出たが、その場所には遺体は発見されなかった。今も真相は不明である。

  大阪の家族とは沖縄に赴任した後、会うことはなかった。赤紙一枚で招集され戦死した一庶民と同じように、戦争の悲劇であったと思う。

  権力者への忖度、隠蔽、不正、偽装、改ざんなど今も理不尽な出来事が多い。また原発の安全神話ワクチンのような医療行政オリンピックなど、国・マスコミから利権者の都合の良いように刷り込まれている時代でもある。

今にこそ 島田叡が 必要だ
(いまにこそ しまだあきらが ひつようだ)

  島田叡のような良心を貫く政治家、官僚がいてほしいものである。

2020年7月5日日曜日

Annular Solar Eclipse(金環蝕)

My Diary dated 11st of February, 1983
(Description of reading Novel 「金環蝕」)
Walking 6.43 km, 8128 Steps
(Usual Course)

  1983年2月11日の日記には、長文の文章を書き残している。石川達三の「金環蝕」を読んだ感想文である。ほぼ40年ぶりに再度この小説に接することなった。

  この小説自体は、1966年に石川達三が週刊誌に連載している。九頭竜川ダム汚職事件を題材にしている。そしてこの本を読んだのは、その17年後になる。

  記憶に残るのは小説の最後の言葉である。

「(この大汚職事件を)一般庶民は何も知らなかった。彼らは営々として働き、その収入から高額の租税を納めていた。文字通り血税と云われるような税金であった。それが政治の上層部では個人的な権勢慾や野心や名誉慾のために濫費されたのだった。しかし彼等は庶民の上に立ち、権力をふるい、そして赫々たる栄誉をあたえられているのだった。」

  この日記にも記載されているが、1983年は中曽根と中川が保守政党総裁選を戦った翌年である。中曽根が首相になった後、中川が自殺している。この小説を読んだ直後に、この自殺は殺人であることを直感している。

  日本の保守政権がいかに腐敗しているかを知ることが出来る小説である。またこの腐敗体質はその後も延々と続き、今でも加計学園問題で自殺者が出るなど、同じような出来事が続いている。東京オリンピックも全く同じ構造である。

  この小説で描かれている半世紀以上も前の不正が、今も脈々と行われているのである。告発された裁判も不正の事実を黒塗り資料でまかなうという、今では司法も役目をはたしていない。

  不正を正す残された道は選挙しかないが、この選挙も金で買収という不正が行われている。今問題になっている議員の選挙買収事件は氷山の一角であろう。

腐敗した 保守政権が 生き残る
(ふはいした ほしゅせいけんが いきのこる)

  日記はかなり長い文章であるが、怒りも感じながら一気にブログに書き移した。

  昔と違ってインターネットが普及し、国民一人一人が案件ごとに投票することはいとも簡単になっている。直接民主制度の必要性を再度認識する日となった。

2020年6月25日木曜日

Official Gazette for Election(選挙公報)

Official Gazette for Tokyo Metropolitan Governor Election
Cycling 6.45 km, 2893 Steps
(Otsu City Office)

  東京都知事選挙の公報を入手した。立候補者22人に対して、21人が公約を載せている。1名は提出がなかったようである。

  さて東京オリンピックに対する公約を確認した。オリンピック中止の公約は皆無で、コロナ対策がほとんどである。8人がオリンピックにも触れているが、いずれも開催するとのコメントである。

  立候補記者会見でオリンピック中止を主張していた山本太郎候補は、公報ではオリンピックについては一言も触れていない。公約にはしなかったということである。理由はいろいろあるとは思うが残念である。

  結局中止を公約として主張する人は誰もいないため、投票すべき人がいなくなった。間接民主制度の大欠点である。直接民主制度により案件ごとに国民投票する制度なら、その意思表示ができる。間接選挙では自分の主張を一票にできない。

  しかし政治に唯一関われるのが選挙である。結局今までと同じように、妥協して比較的ましな人に投票するしかないことになる。

  本日、市役所に出向いて不在投票を済ませた。7月5日までにその投票用紙は東京に送られるものと思う。

  昨年の11月からの消費税アップにより、昨年12月の経済状況は前年比マイナス7%であった。過去の消費税アップによる経済下落の回復には何年もかかっている。

  さらには今年に入ってコロナ問題が顕在化し、さらに二けた以上のパーセントの経済下落が起こっている。これからは、戦後今までに経験したことのない経済混乱が現実化してくるのは間違いない。

  そのことを考えれば、オリンピックをしている場合ではないのである。一日でも早く中止し、国力をコロナ対策、地震・災害対策に集中すべきと考える。

  今の選挙制度では投票に虚しさを感じ、直接民主制度の必要性を強く認識する日となった。

議案ごと 各自投票 民意知る
(ぎあんごと かくじとうひょう みんいしる)

2019年8月13日火曜日

JOC(日本オリンピック委員会)

Board of JOC Directors not open to Public
(WEB News)
Walking 6.59 km, 7913 Steps
(Usual Course)

  先日のWEBニュースで JOC(日本オリンピック委員会)が理事会を今まで公開していたが、これからは非公開にするとの記事が出ていた。

  とうとうここまできたかとの印象を受ける。もともと首相の大嘘で始まった東京オリンピックである。その背景には国民には知られたくない不都合なことがたくさんあることと思う。

  それでも、いままでもいろいろな問題が明らかにされても、うやむやのまま事は進行している。

  その極めつけは、前会長の誘致時の贈賄疑惑である。前会長はもともとアクセサリー的存在であり、組織的な事件と思われ直接贈賄の件にはかかわっていないかもしれない。しかし在任中はちゃんとトップとしての高額の報酬を受けており、責任は免れない。

  フランス当局が捜査を続けているというが、前会長の退任後は新しい情報は出てこない。おそらく理事会での議題の中で、この贈賄問題も出てくるものと思う。その時に報道陣がいては困るのである。

  大変な税金を使っている事業である。その事業の内容について国民には知る権利がある。今回の非公開とする決定は、情報公開の原則からして逆行する決定と思う。

  この決定でかえって、今回のオリンピックには国民には知られたくない不正が多々あると推測することになる。

  現会長は非公開の理由を闊達な議論ができるようにとの説明であるが、これはまさしく報道陣の前で発言できないことがあるということを暴露したのと同じである。

  すでにオリンピックは、スポーツマンシップを発揮する場から、利権をあさる政治的道具として利用されているといわざるを得ない。

  現会長も不正の世界に仲間入りということで、現役時代のスポーツマンとしての評価に自ら泥を塗っていることを意識していないようである。

スポーツマン 若き栄光に 泥を塗る
(スポーツマン わかきえいこうに どろをぬる)

2019年7月22日月曜日

Direct Democracy(直接民主制)

Why did N-koku Party get a Seat ?
(WEB News)
Party insisted not only NHK Matter but also Direct Democracy
(WEB News)
Walking 6.90 km, 9496 Steps
(Usual Course + Convenience Store)

  昨日は参議院選挙であった。候補者の中で「NHK・・・党」が NHK に関する主張の他に、直接民主制の検討も主張していたとのWEB記事を見た。

  NHKの問題よりも、この直接民主制を主張した政党は初めてではないかと興味を持った。

  以前から今の日本の政治は人間の理性とはほど遠いことがまかり通っており、民主政治とはいいがたいと思っている。そして政党、候補者の主張することにすべてに賛成でなくても、投票をしなければならないという現状がある。

  今回の投票率は50%を切っており、有権者の半分以上は棄権している。その理由はいろいろあるが、全面的に賛成できる政党、候補者がいないことが大きいと思う。

  結局、比較的ましな政党、候補者に入れるという妥協がないと投票できないことになる。

  今の制度では、たとえ過半数の議員を確保したとしても、50%のうちの過半数、すなわち25%以下(選挙区の格差から)の有権者の意向で物事が決めていかれることになる。

  今の間接政治の大きな欠点であり、少しでもましな政治にするならば直接民主制の導入しかないと考えている。

  今回初めて直接民主制を唱える政党が現れてきたことは知らなかった。今回の選挙公報ではNHKのことは主張していたが、直接民主制については一言も触れていなかった。

  次回総選挙でも出馬するとのことで、その時にはNHKの件よりも直接民主制への改革を第一政策にして、実現への具体的道順を提案してもらいたいと思う。

直接の 民主制度で 良き国に
(ちょくせつの みんしゅせいどで よきくにに)

2019年3月4日月曜日

Rojin(魯迅)

Sendai City made a Plan to make Memorial Place of Rojin
(WEB News of Yesterday)
Cycling 9.51km、3467Steps
(Shopping、Seibu Department)

  魯迅といえば阿Q正伝である。学生時代に読んでいるが、中国が清朝から中華民国に変貌する時期の一人の庶民を題材にしている。

  魯迅は若いころは医者を目指して、日本の今の東北大学医学部で学んでいる。その時の下宿跡が残っており、仙台市はその場所に魯迅記念広場を作るという。

  魯迅は、この小説で憂いているように、中国庶民のその日かぎりの思慮のない生活ぶりに落胆し、国民を目覚めさせなければいけないと考えるようになる。

  結局、医者の道には進まず文学者、改革者として活動していく。彼の影響を受けてかなりの中国の人々は目覚め、革命が進んで行った。

  考えてみると今の日本、政府官庁は嘘と不正・隠蔽、それに統計データーまで改ざんなど、おおよそ人間の理性とは相反することが続々と判明している。以前にも述べているがハインリッヒの法則に従えばこれらは氷山の一角で、公にされていない不正、嘘、隠蔽、改ざんは膨大なものになっていると推定する。

  このような状況は、辛亥革命前の中国と似ているようである。変えるにはまずは庶民が目覚めることが必須であると歴史が教えてくれている。

  今のテレビ、新聞など、日常流れるマスメディアではお上の都合の良いことだけしか報道されず、しかもその発表している情報でさえ信ぴょう性が疑われる。民主国家との体裁はあるが、実質周辺の独裁国家と同じではないかと思う。

  日本にも魯迅のような人材が必要のようだ。今の間接政治体制では改革は難しく、それ以上にこのままではナチスのように悪用することも簡単にできてしまう。少しでもましな政治にするには直接民主体制に変革するしかないと考える。

  賛同する人が増えてほしいものである。

2018年10月23日火曜日

改ざんは日本のお家芸

データ改ざん「日本企業のお家芸に」
(WEBニュース記事)
散歩の記録 7.74km、9196歩

  本日のWEBニュースに「データ改ざんは日本企業のお家芸に」との記事があった。最近でもその例を挙げれば限りがない。

  この一年でも神戸製鋼、三菱マテリアル、東レ、シチズン時計、宇部興産、日本ガイシ、日立化成、日産自動車、スバル、マツダ、ヤマハ、クボタなど、つい最近では免振不正のKYBなど、日本のそうそうたる企業で不正が発覚している。

  それどころか、企業のみならず政府、官庁でも文書改ざん、障害者数不正など改ざんが日常化し、公の機関でも改ざんが指摘されている。日本中が改ざんだらけである。

  周辺の独裁国家の不正を指摘している場合ではない。その周辺国家からでさえも「改ざんは日本のお家芸では」と思われてきているようである。

  企業の不正の場合、顧客離れが進むことから是正がある程度効くが、政府・官庁の不正については是正される様子はない。本来なら罰せられるものであるが。

  政府・官庁の不正の場合、現在の法律で処罰することが出来ないのか、出来ないとしたら不正に対する的確な罰則も含めた法律が必要と考える。

  しかし議会政治の中でそのような動きは見られない。次回の選挙の時にはまた忘れられるのであろう。

  今の間接政治の欠陥を再度認識させられる。直接民主政治の必要性を益々思う。

2018年10月6日土曜日

直接民主政治

東京五輪の経費が3兆円以上になるとの報告
(WEBニュース)
西武百貨店へサイクリング 9.01km
散歩の記録 6.63km、8250歩

  会計検査院から東京オリンピックの経費が3兆円を超えるとの報告があった。もともと誘致の時の予算はどこへ行ったのであろうか。

  これだけのお金があれば、記事にあるように地震対策、津波対策、崖崩れ対策、洪水対策などに使えばどれだけの人の命が救われることであろうか。

  このオリンピック、最初から首相の大嘘で始まったプロジェクトであるが、もっと大きな嘘が明らかになった。経費7000億円くらいの簡素なオリンピックを提案して、IOCで承認された行事である。

  最初の計画は完全に反故にされており、当初から7000億円の経費で遂行する考えは全くなかったのであろう。IOCでの招致活動さえ成功すれば、その後はどうでもいいとの判断だったと思う。

  誘致時の嘘は他にもある。「マイルドな気候で好天の日の多いこの時期はアスリートがベストな状態で競技が出来る」と宣伝しているが、当時からすでに猛暑が続いていた。真っ赤な嘘であった。

  嘘を堂々と言う体質は、詐欺師と全く同じである。このようなでたらめなことが進行していても、それを止めることが出来ない。会計検査院も報告し対策を要請するのみである。今の政治制度の欠点を感じざるを得ない。

  現在の間接民主政治のもう一つの大きな欠点が見えてきた。都議会で決めたようであるが、今都民の過半数がこの件に関して賛成かどうか、はなはだ疑問である。

  それともこれだけのでたらめなことを問題ないと思っている人が多いのであろうか。おそらくそのような人は、このプロジェクトで恩恵を得ている人ではないかと思う。広告代理店、建設業者、スポーツ関連業者など利権を持っている人たちである。

  日本の財政は1000兆円以上に達する累積赤字があり、さらに増えている。そしてこのオリンピック負債も加わる。恩恵を税金から得た業者は富を得、借金だけが国民の負担に残る。さらに子孫に先送りになるのだろう。

  待っているのは増税、財政破綻など、いずれ日本沈没が具体化しそうである。

  今のままの間接民主政治では、不正を含めたでたらめな政治を是正することが困難であることがはっきりしてきた。

  いつも言っていることであるが、直接民主政治で案件ごとに投票を行う選挙制度にすればもう少しはましな政治になるのではないかと思う。

2018年8月23日木曜日

大前研一

 
大前研一のWEBニュース
 (衆議院を大選挙区制にして議員100人に)
  参議院は廃止して国民投票で議決
このままでは日本は沈み他の国の独裁国家を笑えない
本日の散歩 6.05km、8362歩

  今の日本の政治は嘘、不正、改竄が蔓延しておりそれを是正できない状況で、周辺の独裁国家と同じように、おおよそ民主政治とは程遠いものがある。

  今の間接民主政治の大きな欠点が露呈している。歴史的に見てもドイツワイマール民主政治体制から間接民主制を悪用しナチス政権が出来た時と同じような動きを感じる。

  リンカーンのいう「人民のための人民による政治」ではなく、「利権を持つ人のための利権を持つ人による政治」となっている。

  その打開策は国会と選挙制度の改革しかない。それは世界に先駆けて直接民主政治に変換することではないかと思う。

  改革について、先日のWEBニュースで大前研一の記事を見つけた。彼によると、衆議院を10の道州制にして各州から10人を選び議員は100人に減らす。参議院は廃止して、議決は国民投票で決めるというもの。

  すでに私案を述べているが、国民投票で議決するのは同じ考え方である。違いは国会議員の選び方である。私の考えは今と同じような選挙ではなく、議員はランダム抽出によって被選挙権のある国民から抽選で選ぶ点である。

  さらに言えば、首相も国民投票で決めて、指名された首相が内閣・政府をつくればよい。これで行政と議決が完全に分離され、議案ごとに判断が出来、三権分立がはっきりすることになる。

  今の間接民主制度の問題点を指摘する人が出てきたことに、ようやくとの感じを受けている。

  どんどん同じような意見が出てきて、具体的な動きになることを期待したい。

2018年4月10日火曜日

立て看板

 東山東一条通
京都大学正門
東一条 東山通の立て看板
  東一条通の立て看板
  東一条通の立て看板
  東一条通の立て看板
  東一条通の立て看板

  東一条通の立て看板
  東一条通の立て看板
  東一条通の立て看板
  東一条通の立て看板
百万遍交差点
 百万遍交差点の立て看板
百万遍交差点の立て看板
吉田寮
吉田寮入口の立て看板
吉田寮入口の立て看板
本日歩いた軌跡
(京都駅、鴨川、京都大学、百万遍、府立医大、四条通)
歩いた距離 17.87km、歩数 20302

  京都市が5月には、大学前の公道に置いている立て看板を撤去するとのニュースが昨日流れた。京都市は景観の問題から立て看板を禁止している。

  我々の学生時代にはどこの大学にも立て看板が置かれ、政治的な主張が書かれていた。白地に黒と赤の独特の文字であった。

  しかし、今ではほとんどの大学からその姿が消えている。東京大学では見たことがないが、京都大学では今でも存在しているのを確認している。

  現状どうなっているのか知りたくて、本日は京都大学周辺を歩いた。

  吉田神社参道につながる東山東一条通には相変わらず立て看板がたくさん置かれていた。昔のような白地に黒か赤の文字だけのものはなく、カラフルな彩色になっている。

  看板の中には、立て看板を撤去することに賛成のものと、反対調のもの(昔と違って直接的に反対とは言わず、どんどん立て看板を作ろうとの書き方である)もある。

  百万遍交差点でも同じようにカラフルな立て看板が並んでおり、また東山通の吉田寮前にも立て看板が置かれていた。

  政治的な看板は一つあったが、ほとんどはクラブの勧誘、サークルの催し案内などで、アニメもあり、デザインもイラスト調でアートの雰囲気もある。

  このような立て看板の風景を見られるのもあとわずかと思うと、我々の学生時代の風物詩がまた一つ消え、昭和の時代が遠くなって行くのを再度感じる。

  ところで、看板の中に京大合唱団の演奏会がこの4月21日に開催されるという記載があった。ぜひ聴きに行きたいと思う。看板のおかげで情報が得られることもある様である。