琵琶湖のほとり
2026年7月11日土曜日
Loofah(ヘチマ)
2026年7月10日金曜日
Izakaya Jurakudai(居酒屋「聚楽第」)
一番先に着いたが、まもなく二人もやってきて、懐かしい出会いとなった。私も含めて白髪になっており、外見は変わっているが、しばらくすると昔の面影を見ることができた。
一人は滋賀の草津に住んでおり、琵琶湖に住み始めてから何度も会うトライをしていたが、ようやく会えることになった。もう一人もドイツ時代のイタリアプロジェクトでの出会いから以来の再会であった。
しかしレクイムの演奏が終了し緊張が緩んだのか、昨日からたまに咳が出るようになり少々風邪気味である。
レクイエム 終わり気ゆるむ 風邪をひく
(レクイエム おわりきゆるむ かぜをひく)
草津に住んでいる同僚だった人は、免疫異常の病のため感染しやすく外出はできるだけ避けているという。このため、風邪をうつしてはいけないとして、私は居酒屋での飲食を辞退することにした。
お互いに再会できた記念に写真を撮りあった後、残念ながら別れることとした。二人はこの居酒屋で楽しんだことと思う。
またの会える機会を願っている。
2026年7月9日木曜日
Utusmi Satoru(内海聡)
久しぶりに内海聡医師の情報が載っていた。今まではYou-Tubeで見ることが多かったが、最近はFacebookによく意見が出ている。
本日もFacebookに「どうすれば病気にならないか」というテーマで意見を述べている。
・買う時にできるだけ食品添加物を避けること。
・無農薬の野菜を探す努力をする。
・肉は良い豚肉や良い鶏肉を主体に考える。
・魚は産地と青魚を重視する。
・全部を食べる(一物全採)ように意識する。
・甘いもの(砂糖、甘味料)は避ける。
・塩、酢、胡椒、油、醤油、味噌など調味料は厳選する。(これらには可能な限り社会毒を混ぜない)
・水は良い製品を買うか、浄水器で濾過。
・シャワーに浄水器をつける。
・フッ素やサッカリンなしの歯磨き粉を使う。
・マクドナルドやロッテリアなどのジャンクフードは食べない。
・トクホ商品や甘味料や異性化糖入りジュースは飲まない。
・コンビニの食品は食べない。
・チェーン店の食事は食べない。
・電子レンジは温める最終手段であり、基本的には使わない。
・牛乳や乳製品を避ける。
・トランス脂肪酸を常に避けるよう注意する。
肉・魚の項目以外は、全く同感である。世界で最も多い社会毒(添加物、農薬など)の使用が認められている日本では、上記の指摘は当然のことになる。さらには肉・魚なども汚染されており、動物性食品は完全に食べない方が良いと考えている。
健康に ビーガン食は 必須なり
(けんこうに ビーガンしょくは ひっすうなり)
ビーガン生活で十分栄養は取れることを、この20年で体験している。
2026年7月8日水曜日
Rainy Season ended(梅雨明け)
Second Leaving Swallow Nest at Garage near my Home
(燕の二度目の巣立ち)
2026年7月7日火曜日
Mori Ougai(森鴎外)
You-Tubeを見ていると、森鴎外の画面が出てきた。表題はクズ偉人伝である。
森鴎外は夏目漱石と並ぶ明治時代の文豪であるが、もう一つの仕事が軍医であった。文豪としては評価が高いが、医者としてはクズであったという記事である。
明治時代になり森鴎外は陸軍軍医として、兵隊の食事として白米を推奨していた。これに対して海軍は、脚気の原因は白米を食べることにあるとして麦も混ぜていた。しかし、陸軍の兵隊に脚気で亡くなる人が激増していた。一方海軍では脚気患者は少なかった。
それでも森鴎外は東大医学部の一員として脚気の原因は細菌であると主張し続けた。そのため、何万人という人が脚気で亡くなっていた。これがクズと言われる所以である。
脚気は玄米に含まれるビタミンBを摂取しないことが原因と、当時別の学者が証明していた。世界最初のビタミンが発見された偉業であったが、森鴎外をはじめとする東大医学部の学閥により無視された。
翌年にはヨーロッパでビタミンが発見され、発見者にはノーベル賞が授与されている。もし日本の学者の論文が英訳され発表されておれば、日本最初のノーベル賞になったと思われる。
日本初 ノーベル賞が 幻に
(にほんはつ ノーベルしょう まぼろしに)
森鴎外は小説家として名を残しているが、医者としては失格であったと言える。今の日本でも権威により事実を隠蔽、ねじまげることが行われており、明治時代にその土台は形成されたように思う。
2026年7月6日月曜日
Requiem(レクイエム)
2026年7月5日日曜日
German Requiem of Brahms(ブラームスのドイツレクイエム)
2026年7月4日土曜日
Mini Alumni Association of University(大学ミニ同窓会)
Lunch Dishes at Mumokuteki Cafe in Kyoto
本日は大学時代の同窓と約20年ぶりに会うことになった。前回は大学の恩師の退職記念パーティーの時であった。
ただ、初めて三組の夫妻で出会うことになった。お昼時に京都ムモクテキカフェに集まったが、一組は神戸から、一組は箕面から出てきている。一組の奥様は初めての出会いであったが、気さくな方で昔からの知り合いのように会話は進んだ。
80年余りの人生の色々な話が出てきて、時間はあっという間に過ぎた。午後2時半頃にはムモクテキカフェを出て、寺町、三条、三条京阪まで歩き、チョイスでお茶タイムを過ごした。
同窓の 夫妻で出会う 楽しさや
(どうそうの ふさいでであう たのしさや)
午後4時半には散会とした。この上なく楽しい時間が過ごせて、またこのような機会が持てるよう願っている。
2026年7月3日金曜日
Orchestra Rehearsal(オケ合わせ)
Joyo City Cultural Center
Main Hall
夕方から城陽市にある文化パルケ城陽に出かけた。本日はドイツレクイエム合唱団と京都市交響楽団とのオケ合わせの日であった。
近鉄京都駅から寺田駅まで乗り、歩いて10分のところに文化パルケ城陽があった。メインホールのロビーに集まり、午後5時半から発声練習、一部合唱の練習をして、ホールに入った。
舞台にはすでに楽団員が楽器のチューニングに入っていた。このホールにはパイプオルガンはなく、代わりに電子オルガンが置かれていた。まもなく指揮者である鈴木優人さんが指揮台に立った。
楽章ごとに色々な指摘があり、最後は本番で歌うソプラノのソリストも加わり、通しで歌い切った。ソリストの澄んだ声もホール中に響いた。
レクイエム ソプラノソロの 声響く
(レクイエム ソプラノソロの こえひびく)
最後に合唱の指導者からは、あと二日はドイツ語の歌詞の意味をもう一度読み返して、その意味を理解して本番では歌って欲しいとの要請であった。
この日曜日は朝からゲネプロ(リハーサル)、そして午後には本番となる。楽しみにしている。
2026年7月2日木曜日
Conductor's Lesson of German Requiem Choir(ドイツレクイエム合唱の指揮者レッスン)
(Conductor : Mr. Suzuki Yuto / 鈴木優人/ Center Black Costume)
ドイツレクイエム合唱の指揮者によるレッスンが、伏見丹波橋の京都市呉竹文化会館で実施された。夕方から近鉄京都線で丹波橋に出かけた。
数日前に近鉄京都駅で脱線事故があったが、すでに復旧し正常に電車は動いていた。
午後6時半からほぼ9時前までレッスンが続いた。本番では数名のプロの歌い手が加わるが、本日の私の隣ではテノールのプロが歌っていた。
通しの練習では、ソプラノソロのところはこのテノールがカウンターテノールで歌い上げた。全くソプラノの声である。合唱のところでは普通のテノールの声であった。
テノールが ソプラノ歌う カウンター
(テノールが ソプラノうたう カウンター)
帰宅後そのプロのカウターテナーを調べた。すると同志社大学グリークラブ出身で、大学卒業後京都市立芸術大学大学院声楽科を出てプロになった人であることが分かった。
大学時代のグリークラブ出身では、早稲田大学グリークラブ出身の岡村喬生と同じような経歴である。声楽は器楽と違って、成人してから目指してもプロになれる良い例の人物であった。
いよいよ明日は京都市交響楽団との初顔合わせの練習となる。