2021年3月26日金曜日

Shibuya Eurospace Kinohaus(渋谷ユーロスペースキノハウス)

Shibuya Eurospace Kinohaus

 

Lobby of Eurospace Kinohaus

Inside of Eurospace Kinohaus

Walking around Shibuya Area
(Shibuya Eurospace Kinohaus)
Walking : No Record due to Soft Damage
(Estimated 5.7 km, 8507 Steps)

  本日は午後から渋谷に出かけた。渋谷駅から映画館であるユーロスペースに向かったが、道玄坂から入った路地の中は複雑で、映画館を見つけるのに時間がかかった。


  京都みなみ会館と同じような規模で、観客は我々と同じような年代の人が多かった。佐古忠彦監督の「生きろ 島田叡(あきら)」の映画を鑑賞した。

  先の戦争末期、アメリカ軍が沖縄に上陸する直前に沖縄県知事に指名されたのが島田叡であった。大阪に家族を置いて単身で沖縄に赴任している。

  アメリカ軍の上陸に備えて、大規模な疎開、米の確保などの施策を実施した。アメリカ軍上陸後は、壕(自然の洞窟)に移動しながら行政を続けた。

  証言者の話を挟みながら、県民が戦闘に巻き込まれ日々命を落としていき、軍部から理不尽極まりない要求と住民第一主義にの信念との板挟みに苦渋の選択を迫られる様子が語られる。

  壕を転々とし行政を指揮するが、軍部は組織としての活動を停止する。兵隊にはゲリラとして活動し続けるよう指示し、司令官自身は自決する。このため戦闘は終戦後も続き9月になってようやく終了することになる。

  県庁自体も解散を決断、部下、住民には自由に行動し生きながらえよとの言葉を残して、行方不明になる。住民にはアメリカ軍に投降しても危害を受けることはないとして生きろと伝えている。

  この時代、捕虜になるよりも自決や玉砕こそが美徳として人々は刷り込まれていた。証言者も、島田叡から生き続けよと直接言われた時には違和感を感じたという。戦後、刷り込まれていたことを認識することになる。

  この島田叡の発言で、壕に隠れていたたくさんの住民が投降し、命が助けられた。

  むしろ、壕の中で子供が泣くと居場所が分かるとして日本兵が子供を銃殺、白旗を上げて投降しようとする住民を日本兵が切り殺すなど、日本兵による残虐行為が行われていた。

  アメリカ軍が日本兵をどう扱うかという中で、助けられた住民からは殺してほしいという発言が多かったとの証言も紹介されていた。

  戦後、島田叡は自殺したとの証言も出たが、その場所には遺体は発見されなかった。今も真相は不明である。

  大阪の家族とは沖縄に赴任した後、会うことはなかった。赤紙一枚で招集され戦死した一庶民と同じように、戦争の悲劇であったと思う。

  権力者への忖度、隠蔽、不正、偽装、改ざんなど今も理不尽な出来事が多い。また原発の安全神話ワクチンのような医療行政オリンピックなど、国・マスコミから利権者の都合の良いように刷り込まれている時代でもある。

今にこそ 島田叡が 必要だ
(いまにこそ しまだあきらが ひつようだ)

  島田叡のような良心を貫く政治家、官僚がいてほしいものである。

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