2018年1月9日火曜日

藤原鎌足

 藤原鎌足の万葉歌碑(大津京シンボル公園)
歌碑の説明
散歩の軌跡(近江神宮福王子神社
本日の散歩 距離 5.09 km、歩数 7085

  近江神宮の南隣に大津京シンボル公園がある。そこには大津京に関係する歌碑が設置されている。その中に、日本史で習った大化の改新の中臣鎌足である藤原鎌足の歌碑もある。

  大化の改新後、天智天皇時代に内大臣になった藤原鎌足が采女であった安見児を妻として迎えた喜びを歌ったものである。

  大化の改新は蘇我入鹿が政治の実権を握っている時に、中大兄皇子が中臣鎌足の協力を得て入鹿を殺害し、実権を天皇家に戻した事件として知られている。その後中大兄皇子は天智天皇として大津京を造営する。

  この歴史は唯一日本書紀に書かれていることから事実とされているが、疑問視する学者もいる。なぜなら日本書記は天智天皇が亡くなった後、壬申の乱を起こして勝利した弟の天武天皇が書かせた歴史であるからである。

  歴史書というのは誰が書いたかによって、内容が変わってくる。天智天皇、天武天皇の都合の良いように書かれている可能性が残る。入鹿を悪人に仕立て上げている可能性があるということである。

  ほとんどの歴史は勝利した側、あるいは権力者側からの観点で書かれたものと思ってよい。その時代の本当の歴史を知るには敗者側、庶民側からの歴史も見る必要がある。ただこのような資料は少ない。

  結局史実は、他の書物、遺跡などの発掘による証拠品などいろんな方面からの考証が必要である。これからの研究により、今までの日本史が書き換えられる可能性は残っているようである。

  別の観点から歴史を想像すると善悪が逆転することも多く、興味深いものがある。明智光秀もその例の一つと思う。

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