2023年8月28日月曜日

Mt. Tsubokasa(壺笠山)

 

Mt. Usa(宇佐山), Mt.Hiei(比叡山) and Mt. Tsubokasa(壺笠山) from Esturay of Yanagawa

Mt. Tsubokasa (Background : Mt.Hiei)
Mt. Usa

  毎朝の散歩はまずは柳川土手を歩いて、柳川上流の方に向かう。上流の北方向には、宇佐山壺笠山、そして一番高い比叡山が位置している。

  これら三つの山は歴史的な出来事の舞台であった。宇佐山には織田信長が森可成(森蘭丸の父)に命じて宇佐山城を築いている。この宇佐山は北陸、湖北からの朝倉・浅井軍勢が京都に向かうときに必ず通るルートになる。

  その故監視の目的で築城されたが、織田信長が大阪摂津攻めしている間に、朝倉・浅井軍が京都に向って進軍している。この時、坂本、宇佐山で森可成との合戦が起こった。

  朝倉・浅井軍は比叡山麓の壺笠山に陣を敷き、森可成らと戦っている。結局、森可成は討ち死にし、宇佐山城も落城しかけるが、急遽織田信長が摂津から駆け付け戦況を挽回、和睦に持ち込んだ。

  この戦いで比叡山延暦寺の僧兵は朝倉・浅井軍に加わっている。

  この戦いの後、織田信長は明智光秀を宇佐山城の城主に任命し、比叡山焼き討ちを命じている。比叡山焼け討ち事件の実働部隊は、宇佐山城から出陣した明智光秀であった。

  織田信長は朝倉・浅井軍との戦いで、延暦寺を憎んでいたのであろう。

  明智光秀は命令に従うしかなく、残虐な事件を起こしたということになる。光秀にとっては本意ではなかったと推定される。この事件も、本能寺の変の原因の一つではないかと思う。

朝散歩 光秀歴史 思い出す
(あささんぽ みつひでれきし おもいだす)

  このような歴史を思い浮かべながらの散歩である。

0 件のコメント:

コメントを投稿