2024年5月29日水曜日

Kumagawa-Juku(熊川宿)

 

JR Bus from JR Oumi-Imazu Station for JR Obama Station

Saba-Kaidou Kumagawa-Juku

Stone Signpost (約16km/四里 to Obama)

Old Houses along Saba-Kaidou(鯖街道)

Historic Residence of Ogino Family

Old Residence of Henmi Kanbei (First Kumagawa Village Headman)

Matsunoki Shrine (Enshrined Matsunoki Shouzaemon)

  先日小浜から鯖街道をJRバスで通り、途中熊川宿があったことに気がついていた。しかし通り過ぎただけであった。昨日来の雨もやみ天気が良くなったので、本日見に行くことにした。

  JR近江今津駅から、JRバス小浜行に乗った。約30分ほどで熊川宿に着いた。

  丁度お昼になったので、熊川宿道の駅で蕎麦を食べた。残念ながら本格的な手打ちそばではなかったが、それでもお腹が空いていたので完食した。

  そして旧鯖街道を散策した。熊川宿は小浜に向かって約16kmのところにある。街道筋には昔ながらの家並みが続いている。屋根は茅葺から新しい屋根に吹き替えられているが、昔の趣は残っている。

  中ほどに旧逸見勘兵衛の家があった。逸見勘兵衛は熊川村の初代村長であった。そして息子である逸見竹之助は熊川村で生まれ、伊藤忠商事の創始者である伊藤忠兵衛の娘婿になっている。その後、伊藤竹之助として伊藤忠商事の社長を勤めている。

  伊藤忠商事の歴史の一部を知ることになった。

  街道筋には神社もあった。松木神社といい、松木庄左衛門を祀っているという。小浜城築城の際、農民は多額の年貢と労役を負担させられ苦しんでいたことから、庄屋たちは領主に年貢などの軽減を直訴している。投獄された庄屋の一人松木庄左衛門は、拷問されてもその要求を貫いたが、28歳の若さで磔の刑で処刑された。

  処刑の後まもなく、年貢などの軽減が実施されたとの歴史である。農民達が後に義民として祀り、松木神社となったということであった。

江戸時代 年貢苦しむ 農民や
(えどじだい ねんぐくるしむ のうみんや)

  江戸時代は、いかに農民が搾取されて苦しんでいたかを知る貴重な神社遺産と思う。

  今も為政者の税金無駄使いがあまりにも多く、江戸時代と変わらないような気がする。ただ異なるのは江戸時代は異論を唱えると命も落とすことになるが、今は選挙で世の中を変えることは出来る。

  ただグーミン(愚民?)が多いことが問題であるが。

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