2025年4月15日火曜日

Cherry Blossoms in Oujigaoka Park(皇子ヶ丘公園の桜)

Cherry Blossoms in Oujigaoka Park(皇子ヶ丘公園)
Cherry Blossoms at Oujiyama-Kofun(皇子山古墳の桜)
Jogging Trajectory of Today

(Oujigaoka Park Course)

  今朝は、皇子ヶ丘公園コースをジョギングした。

  桜は満開を過ぎ、かなり葉桜になりつつあった。皇子山古墳の桜も最盛期を過ぎていた。

皇子ヶ丘 桜の終わり みおさめか
(おうじがおか さくらのおわり みおさめか)

  それでも、まだまだ桜を楽しめるジョギングであった。

2025年4月14日月曜日

Cootamundra Wattle(ギンヨウアカシア)

 

Flowers of Cootamundra Wattle at Private Garden on Jingudo(神宮道)


Dandelion (Europe Type) at Bank of Yanagawa

   四月初め頃から、近江神宮への参宮道の民家の庭に、オジギソウのような葉の木に黄色の小さな花が束になって咲いている。

  すでに最盛期は過ぎたが、依然として参宮道で目立った存在になっている。

  調べてみると、オーストラリア原産の木である。葉がオジギソウににており、オジギソウの仲間でもある。

オジギソウ 黄色い花で 道飾る
(おじぎそう きいろいはなで みちかざる)

  そして柳川土手では、日本タンポポに続いて西洋タンポポも花を開かせた。日本タンポポが先に花を開かせ、まもなく西洋タンポポも咲くということも確認できた。

  寒くもなく、暑くもなく、いい季節になってきた。

2025年4月13日日曜日

Flowers of Lilac(ライラックの花)

Flowers of Lilac at Bank of Yanagawa

Cabbage White Butterfly at Citron Tree

Fallen Cherry Petals(桜の落花)at Oumi-Shrine

  桜も満開を過ぎ、昨夜来の雨でかなりの花が落下している。

  一方、柳川土手にあるライラックの花が咲き出した。少し紫かかったピンクの花である。当分、目を楽しませてくれるものと思う。

  また柳川土手の柚子の木にはモンシロチョウが留まっていた。昨年卵が植え付けられており、それが孵ったものと思う。

ライラック 花咲き蝶羽化 春の土手
(ライラック はなさきちょううか はるのどて)

  蝶々も、これから土手に舞うものと思う。

  桜も落花し、さらなる植物が芽を吹き花を開かせ、また動物も活発になる季節。春が進む。

2025年4月12日土曜日

Requiem of Faure(フォーレのレクイエム)

Faure Requiem in Dresden Church
(from You-Tube)
Moving Trajectory of Today
(Tokyo to Kyoto by Shinkansen Nozomi)

  友達の死去に伴う葬儀に参列し、今朝大津に戻った。

  家にはフォーレのレクイエムのCDがあり、今までも何回も聴いている。午後には、友達を偲んでフォーレのレクイエムを聴きたくなった。

  今日はいつものCDではなく、You-Tubeで出てくる演奏を聴いた。ドイツドレスデン教会での演奏であった。

  三大レクイエムとは、モーツアルトヴェルディ、そしてフォーレである。普通レクイエムには「怒りの日」という恐怖に満ちた強烈な響きのある曲が入っているが、このフォーレのレクイエムには「怒りの日」がない。代わりに「われを許したまえ」と「楽園にて」を加えている。

レクイエム 怒りの日なし フォーレ曲
(レクイエム いかりのひなし フォーレきょく)

  それゆえ全曲にわたって、穏やかな曲になっている。

  葬儀の際のバックグラウンド音楽としては最適であるため、先日の友達の葬儀でも使われたものと思う。

  今朝、東京自宅を出る時長女に伝えた。「人生いずれ死を迎える。葬儀の時にはフォーレのレクイエムを最初からずっと流してくれるといい」と。

  娘はうなずいていた。

  午後は、フォーレのレクイエムを聴いてゆっくりと過ごした。

2025年4月11日金曜日

Cherry Blossoms in Ueno Park(上野公園の桜)

Shinobazunoike(不忍池) in Ueno Park
Cherry Blossoms at Shinobazunoike
Cherry Blossoms at Main Street in Ueno Park
Cherry Blossoms in front of National Science Museum
(Sculpture of Blue Whale / シロナガスクジラ  behind of Cherry)
Breakfast of Today at Vegan Restaurant Nezunoya

 Lunch Plate of Ikada-Age

  朝の散歩ジョギンはしないで、ヨガ・柔軟体操・筋トレなどを実施後根津の谷で朝食をとった。

  根津の谷に着いた時刻はすでに昼時で、本日のランチ定食は筏揚げであった。

  練りレンコンで作った筏揚げで、タレがうまく絶妙の味であった。この他、春雨サラダ、大根そぼろ味噌のせ、サツマイモの天ぷら、それに味噌汁がついていた。

  お腹がいっぱいになって、近くの上野公園を散策することにした。

  不忍池にはたくさんのボートが出ている。桜は満開で、外国からの観光客でいっぱいであった。

  上野公園のメインの桜並木は満開を過ぎて、葉桜になりつつあった。ここも外国からの観光客で賑わっていた。

上野の地 桜満開 外人も
(うえのち さくらまんかい がいじんも)

  建物の前にあるシロナガスクジラの造形物で知られる国立科学博物館前の桜も満開であった。

  この後、JR山手線鶯谷駅まで歩き帰宅した。東京でも桜を楽しむ日となった。

2025年4月10日木曜日

Funeral(告別式)


Funeral Place
Name Plate of TEIJIN Limited President at Altar

  本日は、亡くなった友達の告別式に出席した。

  会場の祭壇には弔花がたくさん置かれていたが、その中には現役時代の会社の現社長の名前も見られた。

  告別式にも僧侶、神主の姿はなく、読経、祝詞もなく無宗教の式であった。結局本日は、故人の経歴の詳しい説明と、友人の逸話ばなしで故人を偲ぶ会であった。バックグラウンド音楽として、グリークラブの歌声などが静かに流れていた。

  無宗教とは言いながら参列者全員が焼香をした後、棺に愛用していた楽譜、そして花などを入れて最後の別れの時間を過ごした。その間音楽はフォーレのレクイエムに変わり、荘厳な雰囲気の中で棺は閉じられ告別式は終わった。

  この5年ほど身近な人の死に接しても、コロナ禍のため葬儀に出席することはなかった。久しぶりの出席であったが、従来の葬儀とは全く異なった無宗教の式で、初めての経験であった。

初めての 無宗教での 葬儀かな

(はじめての むしゅうきょうでの そうぎかな)

  これからはこのような葬儀が普及していくような気がする。

2025年4月9日水曜日

Funeral Wake(通夜)

Full Bloom of Cherry at my Residencial Building in Tokyo

Tamanagayama Memolead Hall
Vegan Ramen of Afuri in Roppongi
Menma

  亡くなった友達の通夜、葬儀に出席するため、朝から東京に向かった。

  東京自宅に着くと、自宅マンションの桜も満開である。このマンションができてすでに44年経つ。今では立派な木に成長し、誠に美しい光景を作り出している。

  夕方から、多摩永山メモリードホールで通夜が執り行われた。

  通夜の席には、以前のカルテットのメンバーが勢ぞろいしていた。今回の通夜は普通の通夜とは違って宗教色は全くなく、故人が生涯楽しんだ合唱の披露が中心であった。

  故人が活動していた多摩地区の3つの合唱団と、大学時代のOBグリークラブの合唱を聴かせてくれた。

  特に最後に演奏した大学時代のOBによる合唱は、グリークラブ独特のハーモニーが素晴らしく、久しぶりに生のハモる歌声を堪能させてもらった。

  演奏の後、通常の焼香をしている。その後別の部屋で食事を取りながら歓談して、個人を偲んだ。

通夜の席 合唱でしのぶ 生き様を
(つやのせき がしょうでしのぶ いきざまを)

  カルテットのメンバー以外にも昔の会社時代の同僚に出会うこともできて、懐かしい限りであった。

  今までにない通夜の内容で、個人の生き様をしみじみと懐かしむ日となった。

  帰り、六本木の阿夫利に立ち寄り、メンマ付きビーガンラーメンを食べて東京自宅に戻った。

2025年4月8日火曜日

Orbituary(訃報)

 

Full Bloom of Cherry in Yanagasaki Lakeside Park

  本日メールで、高校時代からの同級生が亡くなったとの連絡が入った。大学は違ったが就職も同じ会社になり、生涯の友達であった。

  高校は新設の高校で、早速合唱部を立ち上げた。その時に集まった中にその同級生もいた。混声四部合唱の中で貴重なテノールであった。

  彼は高校卒業後も大学で合唱を続け、卒業後偶然にも同じ会社に入ることとなった。小生は就職後、一時合唱をトライしたが出張が多く練習に行けないことから諦めていた。

  しかし彼は、大学OB合唱団などいろいろな合唱活動を続けていた。退職してからも、会社同期でダークダックスのようなカルテットを結成し、小生も参加しお互いに楽しんでいた。

  東京を離れてからはカルテットに参加することはなかったが、この3月まで月一の練習には参加していたという。

  その仲間の話によると、昨年の秋ごろから腰が痛いと嘆いていたそうである。そしてこの4月初めに心不全で亡くなったとの訃報である。

  癌経験者から推測するに、すでに昨年には内臓の癌による痛みが腰に来ていたものと推定する。本人は今まで至って健康で活動的であり、癌など考えても見なかったのではないかと思う。

  転移などしすでに手遅れになり、最終的には心不全で亡くなったのではないかと思う。身近な人がどんどん癌で亡くなっていく

  生物学的には生涯の細胞分裂の回数から、人は本来120歳まで生きられるという。この120歳というのは、究極のヨガの世界で125歳まで生きられるという年齢に近い。

  この世の中残念ながら、大気汚染、放射能、添加物、農薬、水道の塩素、それに肉、牛乳などの動物性食品など、正常な細胞を阻害するもので覆われている。それゆえ、120歳には届かないのである。

  この1月の日本の死亡者は前代未聞の数に激増しているそうである。火葬場待ちが日常化しており、この友達の葬儀も10日遅れになっている。

  少しでも有害物質を取り込まない努力と、動物性食材を摂らないビーガン生活を心がけておれば、もう少し長生きできたものと残念に思う。

  今の生活を続けることの重要性をますます感じる日となった。

  一方、悲しい連絡とは関係なしに大津も桜が満開になった。

友の死に 桜満開 慰めや
(とものしに さくらまんかい なぐさめや)
   
  せめてもの慰めである。

2025年4月7日月曜日

Hanging Scroll(掛け軸)

Hanging Scroll ( Written by Hashimoto Hogyoku/橋本峰玉) until Now
New Hanging Scroll (Written by my Wife) from Now

  あかつきの会のかな書展は、昨日終了した。そして出展していた妻の作品が自宅に戻ってきた。

  早速和室の簡易床間にある掛け軸を、従来の橋本峰玉書から妻の書に取り替えた。

万葉集八巻より 尾張連(おわりのむらじ)の歌

うちなびく はる来るらし 山のまの
とほきこねれの さきゆく見れば

  和室の趣も変わり、当分はこの掛け軸を味わうことになる。

2025年4月6日日曜日

Swallows arrive(玄鳥至/ツバメきたる)

Swallow in Nest of neighboring Residence Building 

  暦では、4月4日から8日を玄鳥至(ツバメきたる)と言ってツバメがやってくる時期としている。

  今朝ジョギングから帰る時、隣のマンションのツバメの巣にツバメがいるのに気がついた。

桜咲き 玄鳥至の 時期となる

(さくらさき ツバメきたるの じきとなる)

  もう一羽が近くを飛び回っており、ツガイが戻ってきた。本日は4月6日で、暦通りの来日である。

  すでに巣はあるため、これから卵を産み抱卵し、子育てに入るものと思う。

  今年も子育ての様子を観察したい。