Inisde of Otsu-City Buried Cultural Property Research Center
(大津市埋蔵文化財調査センター)
Tanben Hachimonrengemon Nokimarugawara
Oldest Roof Tiles in Otsu
(First Half of 7th Century)
Tanben Hachimonrengemon Nokimarugawara
Sokushigata-Rengemon Houkei Nokigawara
(側視形蓮華文方形軒瓦)
Encavated from Minami-Shiga Machi Haiji
(南滋賀町廃寺から出土)
Eaves Tile excavated from Ishiyama Kokubu Iseki Ato Kawaragama
(石山国分遺跡跡瓦窯出土軒瓦)
Roof Tiles were carried using Seta-River, Uji-River and Kizu-River
from Ishiyama-Kokubu to Fujiwara-Kyo before Nara Period
Hiunmon Roof Tiles(飛雲文瓦)
(Fujiwara Nakamaro in Nara Period)
Hiunmon Roof Tiles(飛雲文)
(Excavated from Souyama Iseki・大津惣山遺跡)
Roof Tiles excavated from Nishikoori-Iseki
(Middle of Heian -Period)
Red Roof Tiles of Sakamoto Castle
Mitsudomoemon Nokimaru-Kawara
(三巴文軒丸瓦)
Red and Black Roof Tiles of Sakamoto Castle
Walking 6199 m, 8857 Steps
(Oumi-Shrine, Buried Cultural Property Center)
本日の散歩は少し早い目に出かけ、昨日立ち寄った大津市埋蔵文化財調査センターを訪れた。玄関に入り左手の部屋が企画展「古瓦の世界」の会場であった。入場は無料である。
日本に瓦が伝わったのは、588年の飛鳥寺創建に伴い、百済から4名の「瓦博士」が来日したことによる。
大津でも飛鳥時代の瓦が前期穴太廃寺から出土している。7世紀の前半のことで、大津での最初の瓦の使用である。その瓦は「単弁八弁蓮華文軒丸瓦」と呼ばれる。蓮の花を上から見た文様である。
白鳳時代には、衣川廃寺、後期穴太廃寺、崇福寺、南滋賀町廃寺などの寺院が建立され、瓦を焼成する窯も構築されている。
南滋賀町廃寺から出土した軒瓦の文様は、蓮の花を横から見たもので、丸瓦ではなく、方形をしてる。「側視形蓮華文方形軒瓦」と呼ばれており、サソリに見えることから「さそり瓦」と呼ばれることもある。
持統天皇時代の694年に藤原京が造営されたが、近江の石山国分遺跡瓦窯で作られた瓦が使用されている。瀬田川、宇治川、木津川の河川を利用して運搬し、泉木津で陸揚げされ、平城山を越えて奈良橿原の藤原京へ運ばれたと考えられている。
近江製 かわらを奈良へ 運搬す
(おうみせい かわらをならへ うんぱんす)
奈良時代には流れる雲をデザインした飛雲文の瓦が作られ、国府跡から発掘されている。当時藤原仲麻呂は近江の守に任命されており、好みの瓦であった可能性がある。
錦織遺跡、穴太遺跡からも瓦が出土しており、平安時代に京都で作られたものもあるという。
明智光秀の坂本城は本能寺の変の後炎上消失するが、瓦が出土している。赤瓦と黒瓦の両方が出土している。赤瓦は炎上により変色したものではなく、もともと赤色に焼成した瓦であるとの調査結果が説明されていた。
本日は大津の歴史の一端を知る機会となった。