Otsu-City Buried Cultural Property Research Center
(大津市埋蔵文化財調査センター)
Special Exhibition
"Ancient Tom of Otsu and Peaple from Overseas"
Anou-Nozoe Aicient Tombs
Gold Utsurotama excavated from Anou-Nozoe Aicient Tombs
Oldest Top in Japan excavated 2 Years ago from Minamishiga Ruin
Top excavated again this Year from Minamishiga Ruin
Roofing Tiles excavated from Minamishiga Ruin
Earthenware (Sueki/須恵器)excaveted from Shigasato Ruin
Roofing Tiles excavated from Anou Ruin
Earthenware (Sueki/須恵器) excavated from Anou Ruin
Model of Horizontal Stone Chamber
(Tumulus Period/古墳時代)
Seta-Shijimi Clams excaveted from Awazu(粟津)Lake-Bottom Ruin
(about 4500 Years old/縄文時代)
I had Shijimi-Soup(シジミ汁) at 13-Lake(十三湖)in Aomori Prefecture last Time
(dated 18th of July, 2013)
ここ大津京駅近くの錦織、南滋賀、滋賀里、穴太、坂本にかけての山の斜面には後期古墳時代(1500~1400年前)の1000を超える古墳がある。
近年になって道路建設や宅地開発に伴い発掘調査が行われ、新しい発見となっている。その一つがこれら古墳群には、遠く大陸から海を越えて「渡り来た人々」渡来人との関りがあることが分かってきたことという。
日本書紀や古代の戸籍には、錦織から坂本にかけて大陸から移り住んだ渡来人たちを祖先とする志賀漢人と呼ばれる人々が暮らしていたと記録されている。
穴太村主、錦織村主、大友村主などに分かれていたそうである。(村主/すぐり、渡来人に与えられていた姓)
大津市埋蔵文化財調査センターでは、この志賀漢人との関りの強かった遺跡、遺構などの発掘結果を企画展として展示している。
667年に天智天皇は奈良飛鳥の地から大津京に都を移したが、先進的な知識と技術を持った渡来人が多く住む地域であったことも、遷都の理由の一つと考えられている。
企画展見学の帰り、センターの人から粟津湖底遺跡から出土した約4500年前(縄文時代)の瀬田のシジミをお土産にもらった。
京都伏見に住んでいた子供時代、瀬田シジミを売りに来ていた行商のおじさんを思い出した。シジミは味噌汁に入れており、その時から好きな食べ物である。
瀬田シジミ 縄文時代 同じ味
(せたシジミ じょうもんじだい おなじあじ)
ビーガンになって久しいが、シジミも最後に味わったのは2013年の夏、青森、秋田をドライブした時、青森十三湖のシジミ汁である。
味は今も縄文時代も変わらないものと思う。