2021年3月8日月曜日

Oyaubi-Shift Keyboard(親指シフトキーボード)

 

Fujitsu finished selling Oyayubi-Shift Keyboard
(WEB News)

Walking 5702 m, 8147 Steps
(Usual Course)

  1980年代、NECの16ビットパソコン98が発売されるまでは、ワープロ専用機を私的に購入し使っていた。当時は各社製造販売していた。

  その中で富士通だけが親指シフトキーボードを使ったワープロ、オアシス(Oasys) を製造販売していた。最初は東芝のワープロ ”ダイナブック” を買ったが、親指シフトの方が日本語入力がしやすいとのことで切り替えた。

  まもなくNECが16ビットの98PCを発売し、98パソコンとモニター、それにカラー印刷機を自宅に導入、ソフトは一太郎、花子、ロータス123を使って、ワープロ、図書き、表計算など、仕事に、私用に重宝した。

  その後富士通のワープロは使わなくなったが、ドイツに赴任するときには携帯用として持参した。1990年当時は、まだ会社ではパソコンは導入されておらず、事務所に自前のワープロを持ち込んで文書作成をしていた。

  まもなく事務所にもパソコンシステムが導入され、富士通のワープロもお役御免となった。

  富士通だけの親指シフトが今まで続いていたことを知らなかった。日本語入力を早くする専門の仕事としては、親指シフトが有利であることは、昔ワープロコンテストで、上位に入賞する人はほとんど親指シフトであったことからはっきりしている。

  しかし現在では、その速さと正確さからすると、キーボードの入力の速さより、人工頭脳の機能によるところが大きくなっている。

  日本語だけに使える入力ボードであり、人工頭脳の発展によりその優位性が無くなったといえる。40年の歴史に幕を下ろしたと言うことで、若きころ使っていた親指シフトを懐かしく思う。

富士通の 親指シフト 幕下ろす

(ふじつうの おやゆびシフト まくおろす)

2021年3月7日日曜日

Horsetail(土筆)

 

Horsetails at Bank of Yanagawa

Muscari at Bank of Yanagawa

Hyacinth

Ipheion Uniflorum(ハナニラ)

Dandelion

Walking 5541 m, 7917 Steps
(Usual Course)

  柳川土手に土筆が現れた。昨年より早く、年々早くなっている感じである。

土筆見て 春を感じる 季節かな
(つくしみて はるをかんじる きせつかな)

  土筆のみならず土手には、ムスカリ、ヒヤシンス、ハナニラが新たに花を持ち、今まで咲いていたタンポポに加えて、花盛りになってきた。

  花を見ながらの散歩は気分がいい。 

2021年3月6日土曜日

Walking to Mii-Temple(三井寺へウォーキング)

 

Mii-Temple(三井寺・園城寺)

Walking Trajectory
 (Koubun-Tennouryou, Mii-Temple)
Walking 6865 m, 9808 Steps

  本日の散歩は、弘文天皇陵から三井寺を通り自宅に戻るコースを歩いた。

  先日は弘文天皇陵までを You-Tube に載せているので、弘文天皇陵から三井寺までの行程をビデオにとった。


  弘文天皇陵の東には石の鳥居がある。ということは神社があるということで、この方向に進んだ。

  まもなく階段があり、その上には神社の本殿があった。円珍が三井寺を創建するときに新羅明神(三井寺の守護神)像を祀った新羅善神堂である。その像は国宝になっている。

  元の道に戻って山道を登る。まもなく道標があり三井寺と新羅三郎の墓の方向に分かれる。

  ちなみに新羅三郎を調べてみると、平安時代の武将で源義光のことで、この新羅善神堂で元服したことから新羅三郎と呼ばれているという。

  三井寺の方向に進んだ。この道からは東海自然歩道になる。崖のようなところもあるが山登りをした後下ると、三井寺の領域に入る。

  大きな看板には東海自然歩道の説明があった。東京高尾から大阪箕面までの1300kmにわたる歩道である。

  この道は、この後三井寺を通って、逢坂山につながっている。

三井寺に 自然歩道が 通っている
(みいでらに しぜんほどうが とおっている)

2021年3月5日金曜日

Corona Pandemic started before Bukan of China(コロナ禍は武漢以前に発生)

 

Corona Pandemic started before Bukan of China

(WEB News)


Neanderthal Gene caused Serious Damage of Corona Disease

(from "Nature", Max-Poulenc Institute of Germany)

Percent of Neanderthal Gene Carrier : 

16% in Europe,  South Asia 40%, 4% in East Asia

Walking 5440m,7772 Steps

(Usual Course)

  12月から始まったこの冬の新コロナ感染のピークはインフルエンザと同じで冬場の流行と考えてよい。

  おそらく規制が緩和されれば、また感染が増加するものと思われ、これからはこのウイルスと共存する生活になるものと思う。インフルエンザの一つになるということである。

  ようやく世界的に新コロナウイルスの研究が進み、その本質が判明してきた。その第一が予想通り、中国武漢で新コロナが発見される前から、新コロナは発生していたということである。

  その証拠は下水の分析結果にあった。スペイン、イタリア、ブラジルなど世界各地での下水からその痕跡を発見している。小生も2019年12月初めに今までに経験したことのない激しい咳に見舞われたのは新コロナだったと述べているが、それ以前に新コロナは世界に蔓延していたのである。

  武漢で新コロナと初めて判明するまでは、普通のインフルエンザとして扱われていたということである。

  イギリスではバングラディッシュ出身者の死亡が極端に多い事実が判明。加えて、欧米での死者数が多く、日本、台湾など東アジアでは低い理由もはっきりしてきた。ドイツのマックスプーランク研究所の分析で、ネアンデルタール遺伝子が関係していると「Nature」に発表した。

  ネアンデルタールの遺伝子保有者は、南アジア40%、ヨーロッパ人では16%であるのに対して、東アジアイ人では4%に過ぎないという。具体的に遺伝子の何が重症化につながるのかは記事には説明がないが、現象としては理解できる。

  2002年にSARS、2012年にはMERSが流行、そして今新コロナである。おおよそ10年ごとの流行は自然現象とは思えない。今回のニュース記事では人工的に作られたウイルスである可能性については全く触れていない。

  生物化学兵器の開発は禁止されており、絶対に公にされることはない。人工ウイルスを作れる施設は世界に存在しており、日本にもある。

  WHOは武漢へ調査団を派遣したが、何の結果も出さずにお茶を濁しているのが現状である。

  日本人は遺伝子的に重症化しにくいとはいえ、免疫力を維持する努力は今を生きるそのものではないかと思う。

免疫を 保つ努力で 今生きる

(めんえきを たもつどりょくで いまいきる)

2021年3月4日木曜日

Turtle waked up from Hibernation(冬眠から覚めた亀)

 

Turtle waked up from Hibernation at Beach of Yanagasaki Lakeside Park
Walking 5295 m, 7565 Steps

(Usual Course)

  明日は啓蟄。冬眠から覚めた動物が動き出す季節である。昨日、柳が崎湖畔公園柳川河口砂浜で動きの悪いに出会った。

  たまに手足、首を動かすが全く動こうとはしない。甲羅干しといったところか。

啓蟄の 亀の動きは まだ鈍い

(けいちつの かめのうごきは まだにぶい)

  亀と出会うのは今まで夏が多く、近づくとすぐに湖に逃げて行っていた。動きが鈍いのはまだ冬眠状態なのかもしれない。

2021年3月3日水曜日

Peach Blossoms(桃の花)

 

Peach Blossoms of Ohina-sama

Vegan Sushi Rolls

Hina-Dolls and Vegan Sushi Rolls

Walking 5660 m, 8087 Steps
(Usual Course)

  床の間の切花である桃の花が満開である。お雛様に合わせて花が開いている。

  朝から妻がビーガン巻きずしを作った。朝食はいつもの納豆ではなく、巻きずしで済ませた。いつもながらおいしい。

  昨日、現役時代の会社の同期会の案内があった。毎年開催しているのであるが、昨年はコロナ禍で中止となっている。来年で50周年となることから、今年も中止として、来年の秋に開催する予定でいるとの連絡である。

  ビーガン食砂糖をとらないノンアルコールの生活をして以来参加していないので、次回も不参加になる。現役時代の思い出はすでに過去のものとして、今を生きていきたいと思う。

現役時 過去のこと捨て 今生きる
(げんえきじ かこのことすて いまいきる)

2021年3月2日火曜日

Great Crested Grebe(カンムリカイツブリ)

 

Great Crested Grebe at Yanagasaki Bay of Biwa-Lake

Only One Male Wild Duck in Yanagawa

Walking 5679 m, 8813 Steps

(Usual Course)

  琵琶湖ではカイツブリはいつでも見られるが、カンムリカイツブリは見かけるチャンスは少ない。本日の散歩中、ツガイと思われる2羽が泳いでいるところを通りかかった。


  一方いつも見かけるカイツブリは群れをなして、湖で安らいでいる集団、浜辺の芝生で餌をあさっている集団など様々な姿である。


春になり 琵琶湖で目立つ カイツブリ
(はるになり びわこでめだつ カイツブリ)

  柳川ではカイツブリを見ることはない。今日の柳川では、鴨の雄1羽だけが寂しげに餌を探していた。昨日の三角関係で、ふられた雄ではないかと思う。 

柳川の 雄鴨一羽 寂しげや
(やながわの おすかもいちわ さびしげや)

2021年3月1日月曜日

Wild Ducks of Yanagawa(柳川の鴨)

 

Wild Ducks of Yanagawa

Walking 5742 m, 8204 Steps

(Usual Course)

  3月に入った。今日は暖かな一日で、春そのものであった。

  いつもの散歩コースを歩いていると、柳川では鴨たちが遊んでいた。5羽のうち、一見雄が2羽である。しかしよく見ると雌と同じ茶色の一羽は、そのくちばしは黄色い。

  雄はくちばしが黄色いことで判断できる。茶色い雄は、まもなく色が雄特有の鮮やかな羽に変化するところということである。

  くちばしが黄色の茶色の1羽と、くちばしが茶色のもう一羽。この2羽が寄り添って動いている。カップルであろう。

  少し離れたダムに近いところでは雄2羽に、雌1羽が遊んでいる。三角関係になっているようで、どうも雌が雄を品定めしているところのようである。

  雄はきれいな色をしており、餌をとりつつ雌に好かれるようアピールしているようでる。鴨の様子を動画にとり You-Tube に上げた。

(7) Wild Ducks of Yanagawa in Spring - YouTube

  いずれにしてもまもなくカップルとなり、巣作りに入るのであろう。生き物の活動が開始された春の始まりである。

弥生の日 生きもの動き いきいきと

(やよいのひ いきものうごき いきいきと)

2021年2月28日日曜日

76th Biwako Mainichi Marathon(第76回 びわ湖毎日マラソン)

 

76th Biwako Mainichi Marathon
Comparison of GDP among Japan, USA and China
(from You-Tube)
Walking 5112 m, 7304 Steps
(Biwako Mainichi Marathon, Oumi-Shrine)

  琵琶湖での最後のマラソン大会になった第76回びわ湖マラソン大会で日本記録が出た。本日は朝から柳が崎交差点でその動画を撮影した。


  優勝したのは鈴木健吾選手。すでに懸賞金制度はなく1億円はもらえないそうである。先の日本記録者はあまりにも運が良すぎたようだ。
  今回をもって琵琶湖でのマラソンは終了し、来年からは大阪マラソンに統合されるという。日本は世界との比較で、いろんな分野で停滞、縮小の時代であり、身の丈にあった社会にすることが必須と思う。この意味で当然の判断と考える。

身の丈の 社会作りで まともな世
(みのたけの しゃかいづくりで まともなよ)

  You-Tube のデーターに示すように、すでに日本とアメリカ、中国の国力の差は雲泥の差となっている。さらには、2020年代後半には中国がアメリカを追い抜く勢いである。

  まずはこの事実を認識することが、政治経済ともどうしようもない今の日本を再建するスタートといえる。

2021年2月27日土曜日

Walking to Poem Monument of Manyousyu(万葉集歌碑へウォーキング))

 

Poem Monument of Takechi Kurohito(高市黒人) in Oumi-Shrine

Poem Monument of Kakinomoto Hitomaro(柿本人麻呂)in Yanagasaki Lakeside Park

Walking 5752 m, 8218 Steps
(Usual Course)

  散歩はいつものコースを歩いたが、途中万葉集の歌碑に立ち寄った。一つは近江神宮にある高市黒人で、もう一つは柳が崎湖畔公園浜辺にある柿本人麻呂の歌碑である。


  天智天皇時代の都は大津京であった。第一子の弘文天皇が自害することにより、次の天武天皇は都を奈良飛鳥に移すことになる。

  その後、大津京は荒廃する。数十年後に訪れた万葉歌人が歌を残しており、その歌碑が残されている。

  近江神宮楼門を下りて右手に進んだところに高市黒人の歌碑がある。昔栄えた都が荒廃し、悲しんでいる歌である。

  柳川を下り湖畔の浜辺には柿本人麻呂の歌碑もある。やはり都がなくなり寂しげな湖には水鳥だけが昔と変わっていないと嘆いている。

万葉の 人が悲しむ 天智の地
(まんようの ひとがかなしむ てんちのち)

  人の世は変わっても、自然の趣はそのまま続くことを、これからも願うばかりである。