Muscari at Bank of Yanagawa
Hyacinth
Ipheion Uniflorum(ハナニラ)
Dandelion
Muscari at Bank of Yanagawa
Hyacinth
Ipheion Uniflorum(ハナニラ)
Dandelion
Corona Pandemic started before Bukan of China
(WEB News)
Neanderthal Gene caused Serious Damage of Corona Disease
(from "Nature", Max-Poulenc Institute of Germany)
16% in Europe, South Asia 40%, 4% in East Asia
(Usual Course)
おそらく規制が緩和されれば、また感染が増加するものと思われ、これからはこのウイルスと共存する生活になるものと思う。インフルエンザの一つになるということである。
ようやく世界的に新コロナウイルスの研究が進み、その本質が判明してきた。その第一が予想通り、中国武漢で新コロナが発見される前から、新コロナは発生していたということである。
その証拠は下水の分析結果にあった。スペイン、イタリア、ブラジルなど世界各地での下水からその痕跡を発見している。小生も2019年12月初めに今までに経験したことのない激しい咳に見舞われたのは新コロナだったと述べているが、それ以前に新コロナは世界に蔓延していたのである。
武漢で新コロナと初めて判明するまでは、普通のインフルエンザとして扱われていたということである。
イギリスではバングラディッシュ出身者の死亡が極端に多い事実が判明。加えて、欧米での死者数が多く、日本、台湾など東アジアでは低い理由もはっきりしてきた。ドイツのマックスプーランク研究所の分析で、ネアンデルタール遺伝子が関係していると「Nature」に発表した。
ネアンデルタールの遺伝子保有者は、南アジア40%、ヨーロッパ人では16%であるのに対して、東アジアイ人では4%に過ぎないという。具体的に遺伝子の何が重症化につながるのかは記事には説明がないが、現象としては理解できる。
2002年にSARS、2012年にはMERSが流行、そして今新コロナである。おおよそ10年ごとの流行は自然現象とは思えない。今回のニュース記事では人工的に作られたウイルスである可能性については全く触れていない。
生物化学兵器の開発は禁止されており、絶対に公にされることはない。人工ウイルスを作れる施設は世界に存在しており、日本にもある。
WHOは武漢へ調査団を派遣したが、何の結果も出さずにお茶を濁しているのが現状である。
日本人は遺伝子的に重症化しにくいとはいえ、免疫力を維持する努力は今を生きるそのものではないかと思う。
免疫を 保つ努力で 今生きる
(めんえきを たもつどりょくで いまいきる)
(Usual Course)
啓蟄の 亀の動きは まだ鈍い
(けいちつの かめのうごきは まだにぶい)
亀と出会うのは今まで夏が多く、近づくとすぐに湖に逃げて行っていた。動きが鈍いのはまだ冬眠状態なのかもしれない。
Peach Blossoms of Ohina-sama
Vegan Sushi Rolls
(Usual Course)
Walking 5742 m, 8204 Steps
(Usual Course)
3月に入った。今日は暖かな一日で、春そのものであった。
いつもの散歩コースを歩いていると、柳川では鴨たちが遊んでいた。5羽のうち、一見雄が2羽である。しかしよく見ると雌と同じ茶色の一羽は、そのくちばしは黄色い。
雄はくちばしが黄色いことで判断できる。茶色い雄は、まもなく色が雄特有の鮮やかな羽に変化するところということである。
くちばしが黄色の茶色の1羽と、くちばしが茶色のもう一羽。この2羽が寄り添って動いている。カップルであろう。
少し離れたダムに近いところでは雄2羽に、雌1羽が遊んでいる。三角関係になっているようで、どうも雌が雄を品定めしているところのようである。
雄はきれいな色をしており、餌をとりつつ雌に好かれるようアピールしているようでる。鴨の様子を動画にとり You-Tube に上げた。
(7) Wild Ducks of Yanagawa in Spring - YouTube
いずれにしてもまもなくカップルとなり、巣作りに入るのであろう。生き物の活動が開始された春の始まりである。
弥生の日 生きもの動き いきいきと
(やよいのひ いきものうごき いきいきと)
Walking 6011 m, 8588 Steps
(Usual Course)
昨日はフェノロサの墓を訪れた後、弘文天皇陵まで歩いた。その動画を You-Tube に載せた。
(5) Walking from Grave of Fenollosa to Koubun-Tennou-Ryou(弘文天皇陵) - YouTube
フェノロサの墓から法明院の庭園に戻る。池の回りを歩き、東の台地に来る。ここからは琵琶湖が一望できる。おそらくフェノロサもこの景色が気に入っていたものと思う。
法明院を出て東方向の坂を下る。自動車の走る道の少し手前を右に折れてすぐのところが弘文天皇陵である。
天智天皇の第一子で天智天皇亡き後の天皇であるが、天智天皇の弟が壬申の乱を起こし、追い詰められ自害することになる。自殺するまでの半年は、弘文天皇であったとされる。
天智天皇の弟は壬申の乱の後天武天皇となるが、その時に編纂したのが日本書紀。この歴史書には弘文天皇のことは書かれていない。
結局明治維新になって、弘文天皇として認識されている。現在の弘文天皇陵付近で自殺したことからこの地に埋葬されており、おそらく天皇としてではなく大友皇子として埋葬されたものと思う。
大津京 弘文帝で 終焉す
(おおつきょう こうぶんていで しゅうえんす)
明治になって、御陵となったということである。いろんな歴史を思い出す散歩でもあった。