2019年3月2日土曜日

Couple of Grebe(カイツブリ)

Couple of Waterfowl(Grebe)
 Couple of Waterfowl(Grebe)
 Couple of Waterfowl(Grebe)
 Couple of Grebe
Couple of Grebe
Walking 6.31km、8334Steps
(Usual Course)

  いつものコースを散歩したが、湖畔の水鳥はツガイで動き始めた。今までは群れで活動していたが、2羽づつで動いている。

  カイツブリも美しい姿の雄と、鴨に似たメスが寄り添って活動している。まもなく巣を作り卵を産むのではないかと思う。

  琵琶湖の水鳥は、巣を琵琶湖には作らないといわれている。葦などの隠れる場所が少なくなったためである。それで近くの沼、池で子育てしているそうである。

  今カップルが出来つつあるが、実際の巣作りは湖から離れた水辺でするのだろう。まもなく水鳥たちはこの浜辺から移動し、餌をとりに来る時だけ見られるものと思う。

  昨年は鴨が大津館前の湖で子育てをしていた。しかしヒナは成長することなく小さいままでいなくなった。一方、柳川土手に近い田んぼではケリのツガイが子育てをしていた。2羽が成長し、立派に巣立ちしたのを目撃している。

  まだ寒い日が続くが、動物の活動で春を知ることになる。今年はどのような光景が見られるか、興味深い。

2019年3月1日金曜日

50 Year Aniversary of FM(FM放送50年記念日)

 Special Program for FM 50 Year Aniversary
(13:00 ~ 18:50)
Special Program for FM 50 Year Aniversary
(19:30 ~ 23:00)
Walking 6.54km、7686Steps
(Usual Course)

  今日も朝はNHK-FMのクラシック番組を聴いている。午前中の番組が終わるころに、本日は、50年前に日本で最初にFM本放送が始まった記念日であるとの説明があった。午後1時から夜遅くまで、その記念の番組があるという。

  本日はクラシック音楽偏ということである。いつもの午後は他の音楽分野であるため、FMではなくCD、U-Tube、DVD、ビデオなどを聴いている。今日は午後もFM放送を聴くことにした。

  いつもの番組に出てくる司会者、アナウンサー、タレントなどが話し手となり、クラシック音楽にまつわる話題を織り込みながら、音楽のオンパレードであった。

  民放のFMはクラシック音楽はほとんどなく、NHKだけが頼りになっている。ヨーロッパではクラシック音楽ばかりを流しているFM局があり、自動車の運転中にはかけっぱなしのことが多かった。

  子供のころはAMしかなかったので、雑音のため音楽を聴く雰囲気ではなっか。しかし、FM放送が始まり状況は一変した。最初はモノラルであったが、まもなくステレオになり、さらに臨場感ある音楽を楽しめるようになった。

  大学生の時に初めてステレオラジオを買い、当時まだ実験放送であったFM放送をステレオで聴くと、音が部屋中に広がり感激したことを覚えている。

  最近ではラジオで聴くことはなく、パソコン、あるいはスマホをステレオにつないで6スピーカーで楽しんでいる。雑音は皆無である。

  これからもFMクラシック音楽番組が続くことを願う。と同時に、クラシック音楽だけを一日中流すFM局もあってもよいのではないかといつも思う。

2019年2月28日木曜日

Monument of Teradaya-Otose Home(寺田屋お登勢実家の碑)

Location of Teradaya-Otose Home
Maruyamachi Arcade
 
Shopping Street
 Site of Masuya(Now Japnese Sweet Shop)
 Monument of Teradaya-Otose Home
 Teradaya-Otose
 Explanation of Teradaya-Otose Home
 Father:Jusuke Masuya、Second Daughter : Otose
Walking 4.13km、5541Steps
(Aeon Style, Lake Side Park)

  坂本竜馬が襲われたのは京都伏見寺田屋であった。その寺田屋の女将が寺田屋お登勢である。その出身が大津であることは知らなかった。

  先日大津市内をサイクリングしていると、丸屋町商店街に寺田屋お登勢の実家跡との石碑があることに気が付いた。この頃はサイクリングもゆっくりとあたりを見学しながら走っている。

  寺田屋事件の時は竜馬の妻お竜も泊っており、お竜の機転んで難を逃れている。竜馬が各地を奔走しているとき、お登勢がお竜の面倒を見たという。

  ご主人は酒飲みで家業を顧みず、若くして亡くなっている。その後も家業を切り盛りしたそうである。

  実家は升屋という旅館(今は和菓子屋になっている)で、次女として生まれている。18歳で寺田屋に嫁入り、寺田屋をめぐる波乱の人生を送り47歳で亡くなっている。

  寺田屋をめぐる歴史の一端を知ることになった。

2019年2月27日水曜日

Broken Command(破戒)

Kyoto Culture Museum Building
(Film Theater on third floor)
Poster of Film Theater
(Film Music of Composer Yasushi Akutagawa)
Poster of Today's Film
(Broken Command)
Inside of Theater
Title of Film
(Broken Command)
Old Kyoto Branch of Japan Bank
 
Building of old Kyoto Branch
 Inside of old Kyoto Branch
 Ceiling and Upper Windows
Moving Trajectory(Kyoto Culture Museum)
Moving Distance 14.32km、8481Steps

  重要文化財である旧日本銀行京都支店のレンガ建ての建物の北にある7階建てのビルが京都文化博物館本館である。旧日本銀行建物はその別館として保存されている。

  この本館3階にはフィルムシアターがあり、この2月は芥川也寸志の映画音楽の世界として特集を組んでいる。芥川也寸志が担当した映画は約100作品あるといわれているが、それらの一部を上映している。

  明日で終わりとのことで、見に出かけた。本日は島崎藤村原作の「破戒」(Broken Command)である。この映画を見るのは初めてであった。

  1962年の映画で、白黒映画である。出演者は懐かしい俳優ばかりであった。市川雷蔵、藤村志保、三国廉太郎、岸田今日子、長門裕之、船越英二、中村鴈治郎、杉村春子、加藤嘉、浦部粂子など。特に藤村志保はデビューの映画で、誠に若くて美しい。

  芥川也寸志は現代音楽の中でも好きな作曲家であった。特に記憶に残っているのが、NHKの大河ドラマ「赤穂浪士」のテーマ曲である。忠臣蔵といえば、芥川也寸志の曲と言われるくらい浸透している。

  重苦しい映像から始まり、流れる音楽は前衛的抽象音楽で、なんとも不穏な雰囲気を醸し出す。終盤の児童の前で告白する場面では音楽は一転し、レクイエムのような荘厳な雰囲気となる。

  最後は清らかなテーマ曲で終わる。

  芥川也寸志の龍之介譲りの感性を存分味わえる音楽であった。毎日自宅では CD、U-Tube、DVD で音楽を聴いているが、芥川也寸志の曲も日ごろの聴く曲の中に含めたいと思う。

  島崎藤村の「破戒」は中学生の時に読んでいるが、衝撃を受けたことを覚えている。映画では、音楽がさらにその衝撃を増長させる。映画音楽のすごさを再度実感した。

  そして、住井すゑの「橋のない川」も思い出すこととなった。支配者の大きな過ちにより、その後たくさんの人々が苦しんできている事実を鋭く指摘した小説である。

  それにしても、60年ほど前の藤村志保の清楚な若い姿は広隆寺の弥勒菩薩に重なって見える。青春時代の思いもよみがえる日となった。

  いろんなことが頭を駆け巡る映画であった。

2019年2月26日火曜日

New Driving License(新運転免許証)

New Driving Lisence
(Valid untill Heisei Year of 34)
Moving Distance 16.53km、10526Steps
(Otsu Police Station、Oumi-Shrine)

  新しい自動車運転免許証を受け取りに大津警察署に出かけた。かなり暖かくサイクリングしていても気持ちが良い。

  新しい免許証を見ると、有効期限は平成34年となっていた。まもなく平成の時代も終わるが、実際にはありえない年号が書き込まれている。

  次期元号は検討中とのことであるが、すでに決まっているものと思う。早く発表すれば年号記載の場面で新しい元号を使用できる。特にシステム関係の変更には時間がかかり、またカレンダー業者も困っていることと思う。

  それよりもむしろ元号制度をやめて、すべて西暦にすれば何の問題もない。民間ではかなりの企業で書類は西暦のみのところが多い。国際的に通用させるには西暦を使用せざるを得ないからである。

  元号制度をやめるか、あるいは西暦をメインにして元号は括弧つき併記にするなど、何らかの改革が必要のように思う。

2019年2月25日月曜日

Celestial Raiment of Angel(天女の羽衣)

Synthetic Fiber Fabrics being higher price than Silk are sold well in Milan
(WEB News)
Walking 6.06km、7679Steps
(Usual Cource)

  琵琶湖最北に余呉湖がある。ここの有名な伝説に余呉の羽衣伝説がある。この羽衣は天女の羽衣(Celestial Raiment of Angel)として知られている。

  そのイメージは柔らかい透けるような薄い布である。そのような織物を合成繊維で商品として展開し、ヨーロッパで商圏を増やしている会社がある。

  合成繊維工業は、ナイロン、ポリエステル繊維そのものを製造販売する化学企業としての機能を持つと同時に、その繊維を使用してテキスタイルを製造販売するテキスタイル会社としても機能している。

  繊維そのものは自家工場で製造するが、テキスタイルは主に北陸などの織編物染色会社に委託生産する。近年中国にその生産技術が移り、コスト安からかなりの生産は北陸地区から無くなっていった。

  その中で北陸の織物会社が独自に極薄織物の製造技術、製品開発を進めて成功した話が本日のWEBニュースに出ていた。

  石川県長尾にある天地合繊という40名の小さな会社である。合繊会社からの下請け注文が無くなり、倒産寸前にまで追い込まれた。それで独自の商品技術を開発、まずはミラノの展示会に出展。そのとき僅か6社の名刺しかもらえなかったが、そのうちの1社はミラノファッションのデザイナーで、天女の羽衣のような織物を探していたという。

  さっそく商売が始まり、その素材の評判が広がりヨーロッパの有名ブランドが採用することにより、会社自体が立ち直ったという。

  絹より細い合成繊維で製織技術は難しいものがある。しかし、透明感のあるしなやかな風合いはシルクでも難しく、価格はシルクより高くても売れる。

  今では汎用の合成繊維商品の生産は中国などのコスト安の国に移転してしまったが、日本独自の生きる道はあるということの証明である。

  ヨーロッパ、とくにイタリア人には新しい素材を掘り出す天性の遺伝子があるようである。日本で開発された本革以上の特性を持ったアルカンターラ(エクセーヌ)も日本では全く売れず、まずはイタリアで花咲いている。同じ歴史である。

  ところで、今まで日本で開発された技術がいとも簡単に周辺諸国に移転してしまっている。一つの大きな要因の一つが、研究者・技術者の待遇問題である。中国などからの技術者の誘いに、年収2000万円、3000万円などの額を示されると、その誘いに乗る人がほとんどであった。

  開発国にとって、そのノウハウが僅か2~3000万円で入手できるので安い投資である。日本の工業技術発展に重要な役割を果たした研究者・技術者は、ほとんど普通のサラリーマンと同じ待遇で終わっている事実がある。

  ようやく、特許をとった人にはかなりの高額の報償制度もできつつあるが、まだまだ不十分と思う。私の場合も数億円単位で他社に売れた特許の実施賞はわずか十万円であった。

  同じ歴史を繰り返さないためには、研究者・技術者の待遇改善、文化功労者などに与えられているような年金制度改革も重要な課題ではないか。そうでないと人材が工業技術関連職に集まらず、日本は益々じり貧状態になると危惧する。

2019年2月24日日曜日

Silkworm(蚕)

解雇
Sericulture by Artificial Feed
(WEB News)
Walking Distance 6.21km、8427Steps
(Usual Cource)

  なぜ蚕は桑の葉しか食べないのか。この疑問に対する研究はもう60年以上前に実施され究明されている。京都工芸繊維大学などの研究で、桑に含まれるある物質(モリン、イノシトールなど)が発見され、その物質を添加すると桑でなくても蚕は食べることが確認されている。

  蚕の人工飼料が可能になった結果であり、その後も実用化の試みは続けられていたと思う。しかし、中国からの安い生糸が輸入され国内の養蚕業はほとんど壊滅し、その後の進展はさほどなかったようである。

  本日のWEBニュースで、「人工飼育による無菌周年養蚕技術確立」との記事があった。京都工芸繊維大学と京都丹後市が共同開発して年間を通じて養蚕が可能な技術を確立したという。

  生糸のみならず、蚕を使った医薬品・化粧品など新しい技術・商品開発に結び付けることが目的であるが、問題はやはりコストであるという。中国産並みに下げることがポイントになるようである。

  今後民間企業との開発により養蚕業の復活をはかる計画とのこと。人工飼料による生糸が何か他の付加価値のある性能を持っておれば、コスト問題も乗り越えられる。

  繊維産業に従事していたものにとって、新技術により蚕から新しい価値を生むものが出て、養蚕業が復活することを期待している。

2019年2月23日土曜日

Otsu Incident(大津事件)

Sighn Board of Old Tokaido
Old Tokaido
 
Kyomachi 2 chome
(Place of Monument)
 Explanation of Otsu Incident
Monument of Otsu Incident
 Cycling Distance 10.87km、3321Steps
(Otsu City、Monument of Otsu Incident)

  買い物ついでに大津市内をサイクリングした。行きは大津港経由で、西武百貨店で買いものして、その後旧東海道を走った。

  今までも何回もこの道は走っているが、中心部京町の角に石碑があることに初めて気が付いた。「此附近露国皇太子遭難の地」とある。

  日本史で習った大津事件である。明治維新後24年はまだ日本は弱小国であった。強国帝政ロシアの皇太子を切りつけたということで、政府はロシアの武力報復を恐れて犯人を死刑にしようとした。しかし裁判所は無期徒刑とし、司法の独立の意識が広がった事件として知られている。

  結果としては報復もなく、むしろ犯人を捕らえた人力車夫にロシアから勲章と年金が与えられたという。年金はロシア革命により帝政が崩壊するまで続いたそうである。

  注意して町を見て行くと、いろいろ発見があり知識も増える。興味深いものがある。

2019年2月22日金曜日

Ukiya(十割そば有喜屋)

Aneyakoji-Dori
 Takakura-Dori
 Kyoto Culture Museum
Sighn Board of Handmade Soba
 
Entrance of Ukiya
 Seiro Soba(Buckwheat 100%)
Moving Trajectory
(Ukiya、Tokyo Mitsubishi UFJ Bank)
Moving Distance 13.49km、9084Steps

  朝食後、京都に出向いた。三条京阪で地下鉄を降りて、買い物しながら高倉姉小路まで歩いた。その角には京都文化博物館があり、その一階に手打そばの有喜屋がある。今までも他の場所にある有喜屋でそばを食べている。

  お腹もすいてきていたので食べることにした。国内産のそばで十割そばもある。十割そばせいろを頼んだが、極細のそばで、塩だけでもおいしく食べられた。

  出汁はカツオ出汁で甘みがある。むしろ塩だけの方がそば独特の香りがあり美味しい。

  昼食の後、高倉通を南下し、四条通にある東京三菱UFJ銀行で口座の手続きをした。今使っている口座以外にあと3つの口座があることが分かった。

  UFJ銀行の前身である三和銀行時代、会社の社内預金用口座として普通預金、定期預金、それにクレジットカード用の口座もあった。しかしこれらの印鑑が不明である。東京自宅に置いている可能性もあり、来月東京に戻ってから解約手続きをすることにした。

  本日で銀行口座の処理は終わりにするつもりであったが、もうしばらく時間がかかることになった。

2019年2月21日木曜日

Mizuho Bank(みずほ銀行)

 Mizuho Bank
Cycling & Walking、14.06km、10176Steps
(Mizuho Bank、Post Office、Oumi-Shrine)

  昨日、みずほ銀行の口座を一つ閉めた。もう一つは印鑑が分からず、昨日家で再度探した。少し大きめの印鑑が3個出てきたので、それを持って本日再度自転車で銀行に出向いた。

  結局合致する印鑑が分かり、これからもこの口座は使えるようになった。そしてカードの暗証番号も知らせてもらえて、これからはATMでも扱えるようになった。

  大津には大手都市銀行はこのみずほ銀行しかないため、いつも使用している銀行の他にこの口座は残しておくことにした。

  また散歩の時には郵便局にも立ち寄り、郵便貯金の口座も生きているか確認した。ほとんど残額はゼロに近いが、これからも使えるのでこのままにしておくことにした。

  あと使っていない口座は東京三菱UFJ銀行があり、この銀行は大津にはないため明日京都に出向き口座を閉める予定でいる。

  仕事の関係で作っていたが、今現在使用していない銀行、郵便局の口座の確認整理が終わり、印鑑も残すべきものがはっきりした。これで一段落である。