2021年8月1日日曜日

Swallowtail Buttefly(アゲハチョウ)

 

Swallowtail Butterfly in Net of Yuzu Tree at Bank of Yanagawa

Walking 5728 m, 8184 Steps

(Usual Course)

  柳川土手を散歩中、アゲハチョウが柚子の木にかけられたネットの中で飛んでいるのを見かけて、動画に収めた。

  昆虫は動きが早く動画にとることは難しいが、今回はネットの中で飛んでいるためじっくりと撮影が出来た。

Swallowtail Butterfly is flying in Net at Bank of Yanagawa (Dated 1st of August, 2021) - YouTube

  観察すると、本当に美しい色柄の蝶である。鱗粉からの色ということであるが、鱗粉の固有の色と、構造発色の色があるようである。

  構造発色で思い出すのはモロフォ蝶の鱗粉である。この蝶は基本的にブルーの色をしているが、このブルーは構造発色による。鱗粉に微細な規則的凸凹があり光の干渉でブルーに見える。

  現役時代、同じようなミクロの規則的凸凹を合成繊維で作ることに成功している。合成繊維の場合、そのミクロの凹凸の寸法を変えることによりブルーのみならずいろいろな色を発色することが出来る。

モロフォ蝶 染めず色出す 色原理

(モロフォちょう そめずいろだす いろげんり)

  ドレスなどの光沢ある色、繊維をカットし塗装に入れることにより光沢のある自動車などに実用化されている。

  帰宅してから調べてみると、アゲハチョウは柑橘類の葉を食べて成虫となるという。ネットの中にいるということは、この柚子の木で成虫となりネットから出られなくなっている可能性もある。明日もネットの中にいるようだったら出してやりたいと考えている。

2021年7月31日土曜日

Ito Kyoko passed away(伊藤京子さん死去)

 

Ito Kyoko passed away
(WEB News)
Walking 5712 m, 8160 Steps

(Usual Course)

  伊藤京子さんが亡くなったとのニュースがあった。94歳であった。

  中学から合唱を始めて、高校時代には今のロームシアター京都でオペラを見に行っていた。その時のソプラノ歌手の一人が伊藤京子さんであった。

  当時伊藤京子さんは35歳くらいだったと思う。一番声量の出ていた時ではないかと思う。生のオペラ歌手の歌声を聴いて、すごいと感じた。

ソプラノの 生歌声に 感激す

(ソプラノの なまうたごえに かんげきす)

  今年初めにはバスバリトンの岡本喬生さんも亡くなった。青春時代の憧れであった。そして伊藤京子さんの訃報である。時代の流れを感じる。

  岡村さんにしても、伊藤さんにしても人生を全うされたことと思う。それに対して若くして亡くなられた、ソプラノの佐藤しのぶさんの死は、急すぎて残念であった。今もなぜという思いが残っている。

2021年7月30日金曜日

Grass Cutter(草刈り機)

 

Grass Cutter works at Bank of Yanagawa

Bank of Yanagawa after mowing
Estuary of Yanagawa after mowing

Walking 6306 m, 9009 Steps
(Went shopping in Kyoto)
Moving Distance 30.3 km (Kyoto)

  柳川土手は昨年夏以来除草されていなかった。昨年秋にはススキも背丈以上に伸びていた。そのまま枯れて、新たに緑の雑草がやはり背丈以上になり、ジャングルのような様相であった。

  ようやく草刈り作業が行われた。今までは作業員がエンジンで動く回転刃で草を刈り、その後ユンボで道にばらまいていた。今年はユンボに草刈り機を装備した機械で作業していた。


  草をカットしてそれを粉砕し、そのまま地に散布する。一瞬にしてジャングルがなくなる。作業の後はカットした草で絨毯のようなフワフワの道になった。

草刈り機 切り刻んで ソフト道
(くさかりき くさきりきざむ ソフトみち)

  これからの毎日の散歩も歩きやすくなる。

2021年7月29日木曜日

Day of Amateur Radio(アマチュア無線の日)

 

29th of July is Day of Amateur Radio

(from Internet)

My License of Amateur Radio
Walking 6200 m, 8858 Steps

(Usual Course)

  本日はアマチュア無線の日という。昭和27年7月29日にアマチュア無線局の予備免許が初めて交付されたことを記念している。

  今ではインターネットを通じて世界の隅々までテレビ電話が可能になっているが、それ以前には外国との連絡は電話か、アマチュア無線でしかなかった。当時海外への電話代は大変高価なもので、アマチュア無線で連絡する人も多かった。

  若いころ海外との連絡に使えるとしてその免許を取っている。久しくお目にかかっていなかったが、若い時の写真付きの免許証が残っている。

  いずれ必要になれば開局して交信しようと考えていたが、まもなくインターネットが出来、その必要もなくなった。免許証は使うこともなくそのままになっている。

  災害などの時にインターネットが使えなくなれば無線の威力も発揮できるが、その可能性も少なく、これからもペーパー無線技士となるだろう。

アマチュアの 無線免許は 紙切れか

(アマチュアの むせんめんきょは かみきれか)

  今ではアマチュア無線はマニアの娯楽として使われている面が大きいようである。

2021年7月28日水曜日

Ears of Rice appeared(稲穂が出る)

 

Ears of Rice appeared in Rice Field near Yanagawa
Walking 5268 m, 8810 Steps
(Usual Course)

  昨日はスイカをこの夏初めて食べて、これから夏を満喫するところであるが、柳川近くの田んぼではすでに稲穂が顔を出した。

  あと一か月もすれば稲穂も垂れて、収穫されるものと思う。それまで台風などの被害のないことを願う。

  日本人にとってはお米は生命の源である。お米さえ食べておれば生きていける。遺伝子にそのような情報が組み込まれていると考えてよい。

  しかし白米では栄養素が足りない。明治時代まではお米といえば玄米であった。

  しかし、明治以降脚気患者が急増する。当時の権威ある東大の学者は伝染病説を主張し、玄米に含まれるビタミン不足との白米説は否定されていた。

  しかし、まもなく海外の研究でビタミン不足が原因と判明し伝染病説は葬られた。

日本人 健康維持には 玄米を

(にほんじん けんこういじには げんまいを)

  弥生時代から続く長いお米の日本の歴史の中で、玄米こそが日本人の活力と健康を維持する元であるということを認識し、これからも玄米を食べ続けるつもりである。

2021年7月27日火曜日

Day of Watermelon(スイカの日)

27th of July is Day of Watermelon

(WEB News)

Yamato Ohtama Suika
Walking 7144 m, 10206 Steps
(Usual Course + Takkyubin)

  本日はスイカの日である。スイカの縞模様を綱に例えて「夏の綱(つな)」ということで7月27日をスイカの日に制定したとのこと。

  もともとスイカはアフリカ砂漠地帯の植物であったという。突然変異であの縞模様が出来、その実を食べた鳥が種を世界にばらまいたとされている。

  本日に合わせたわけではないが、先日奈良のスイカを注文していた。偶然であるが本日、大和大玉スイカが届いた。

  早速冷蔵庫で冷やし、夕食の後この夏初めてのスイカを味わった。暑い時には果物はスイカが一番である。

夏の夜に スイカ食べつつ 夕涼み
(なつのよに すいかたべつつ ゆうすずみ)

  おおきなスイカであるので一週間は楽しめそうである。これから夏本番であるので、さらに注文したいと思う。

2021年7月26日月曜日

Potsdam Declaration(ポツダム宣言)

 

Schloss Cecilienhof(ツェツィーリエンホーフ宮殿)in Potsdam

(Visited in August of 1993)

Potsdam Declaration in 26th of July, 1945
(from Internet)

Walking 6014 m, 8592 Steps
(Usual Course)

  本日は7月26日で、ポツダム宣言の日である。第二次世界大戦の戦勝国であるアメリカ、イギリス、中華民国、ソ連が1945年にポツダム会議を開き、戦後処理について協議している。

  開催されたのはポツダムにあるツェツィーリエンホーフ宮殿で、今ではホテルとなっている。何回か訪れ、宿泊もしたことがある。

  ドイツ、イタリアはすでに降伏しており、日本だけが戦争を続けていた。宣言により日本に無条件降伏を要求している。

  それ以前の5月8日にもアメリカ、イギリス、中華民国による日本に対する降伏の勧告を実施しているが、日本政府軍部は徹底抗戦をあらためて表明している。

  ポツダム宣言も無視する形で拒否し、8月6日、9日の原爆投下の事態を迎える。この時点でも軍部は徹底抗戦を主張するが天皇の決断により、無条件降伏を受託することなる。

  もしポツダム宣言をすぐに受け入れておれば、原爆投下はなかったということは明白である。当時の政府軍部の責任は重大である。おそらく日本の科学者には原爆が開発されていることを助言していた人もいたことと思う。全く耳を貸さないことから、大変な犠牲者が出たことになる。

  東京オリンピックも、昔の政府軍部と同じような体質の人々が動かしていると考えてよい。中止の判断が出来ず、ずるずると開幕に突入した。

  その姿勢は昔とかわっていない。その根底にあるのは、利権重視と人命軽視である。おそらく、今のオリンピック推進者は原爆が落とされても続けると主張するのであろう。

  戦争時代の体質と何ら変わらない現在の政治である。グーミン(愚民?)たちは、敗戦直後と同じような混乱が近づいていることも知ろうとしないで、テレビに浮かれている。

オリンピック 終了後には 庶民に苦

(オリンピック しゅうりょうごには しょみんにく)