2024年10月21日月曜日
Fragrant Orange-Colored Olive(キンモクセイ)
2024年10月20日日曜日
Chest Nuts and Beniharuka(栗と紅はるか)
Miidera Organic Market(三井寺オーガニックマーケット)
2024年10月19日土曜日
Smartweed(蓼)
Flowers of Smartweed at Bank of Yanagawa
蓼は辛みがあり、蓼虫しか食べないことから「There is no accounting for tastes.」(蓼食う虫も好き好き)という諺が生まれている。
英語では意味をそのまま表現しているが、日本語では自然の虫に例えて言いたいことを表している。表現の仕方が、西洋は直接的であるのに対して日本では間接的なものになっている。文化の違いのように思う。
柳川土手には、今年も秋の花であるその蓼の花が咲いている。
秋の土手 蓼の花咲く ピンク色
(あきのどて たでのはなさく ピンクいろ)
2024年10月18日金曜日
Chocolate Cosmos(チョコレートコスモス)
2024年10月17日木曜日
Kochia(コキア)
2024年10月16日水曜日
Tall Goldenrod(セイタカアワダチソウ)
2024年10月15日火曜日
Sprouts of Cabbage(キャベツの芽)
昨日はベランダのプランターで、大根の新芽を見ることができた。今朝は植木鉢に蒔いたキャベツの新芽が出ていた。まだ数本であるが、植木鉢内周辺にも種を蒔いているのでさらに芽が出てくるものと期待している。
キャベツの芽 一日遅れ 顔を出す
(キャベツのめ いちにちおくれ かおをだす)
一方プランターでは一斉に大根の芽が出て、プランターは賑やかになってきた。
成長を見守りたい。
2024年10月14日月曜日
Sprouts of Radish(大根の芽)
種を蒔いて四日経ち、大根の芽が出た。プランターの中央部の長さ方向に線状に蒔いたが、その一部が芽を出した。
大根の 種蒔き四日 緑の芽
(だいこんの たねまきよっか みどりのめ)
プランターには中央部のみならず、残りの種を端にも蒔いている。まもなくそれらも芽を出すものと思う。
端に蒔いた種から芽が成長すれば、葉はスムージなどに入れて食べるつもりである。
2024年10月13日日曜日
Yamamoto Naozumi(山本直純)
FM Program ; Kakeru Clasic(かけるクラシック)
毎週日曜日の午後にはFM放送で、「かけるクラッシック」という番組がある。日曜日に聴いたり、再放送の金曜日の朝に聴いたりして楽しんでいる。
毎月作曲家を選んで、その曲を聞かせてくれる「ーーー節」というコーナーがある。今月は「山本直純節」であった。
札幌オリンピックの入場行進曲、映画「寅さん」のテーマ曲、「大きいことはいいことだ」のチョコレートの宣伝曲など、有名な曲をたくさん作っている。
本日は「遠足」という児童合唱組曲を流していた。初めて聴いた曲であるが、本格的な合唱曲で聴きごたえがあった。
山本直純で思い出すのは、テレビ番組でゲストがオーケストラの曲を聴いて楽譜に書き上げるという催しをしていた。
唯一山本直純だけは、完璧な楽譜を書いていた。すでに頭に入っている曲だったかもしれないが、完璧にオーケストラのスコアーを書けるのには驚愕した。
直純の 聴音力は 抜群だ
(なおずみの ちょうおんりょくは ばつぐんだ)
斎藤秀雄門下の指揮者でもあるが、世界的に有名な小澤征爾は同門である。指揮者としても一流の能力を発揮していた。
懐しく、来週の金曜日にも再放送があるのでもう一度聴きたいと思っている。
2024年10月12日土曜日
War and Peace(戦争と平和)
Nobel Peace Prize of 2024 is NihonーHidankyou
自然科学分野のノーベル賞は日本からはもう出ないと予想しているが、自然科学以外の分野ではこれからも受賞があり得るようである。
昨日、今年のノーベル平和賞は日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に与えられるとの発表があった。平和賞はスエーデンではなく、ノールウエーで決められる。
今までも日本被団協はノーベル賞候補には上がっていたというが、アメリカをはじめとする国間の思惑から決めかねていたものと思う。
広島長崎の被爆はアメリカが落とした原爆の犠牲者であり、アメリカにとっては気分良いものではない。ノールウエー側に何らかの決断があったのではないかと推定する。
核兵器のみならず戦力があるから戦争が可能になる。完全な平和を確立するには、究極は核兵器のみならず兵力を無くすることが必須である。
核兵器とともに軍備を持つことにより平和は維持されるとの考え方もあるが、兵力をもっている限り必ず戦争は起こるというのが歴史的な現実である。
現に、ウクライナ、中東などで沢山の民間人が亡くなっている。ロシアにしてもイスラエルにしても国を守るための戦争と主張し、戦火を拡大している。
戦争は侵略を公言して始まるものではない。戦争は防衛のためであるとして始まっている。戦前の日本も同じであった。アジア諸国を侵略しますとは一言も公言していない。国及びアジアを守るためと国民を鼓舞して戦争は泥沼に入って行った。
防衛のためなら戦いは地球上で認められた当然の権利であるという考え方がある限り、戦争はこの地球からは無くならないと断言できる。