2024年9月29日日曜日
Ipomoea Lacunosa & Little Bell(マメアサガオとホシアサガオ)
2024年9月28日土曜日
Clematis Meyeniana(ヤンバルセンニチソウ)
2024年9月27日金曜日
Strawberries(苺)
2024年9月26日木曜日
Rice Husk(籾殻)
2024年9月25日水曜日
Loofah Sponge(ヘチマたわし)
Fruit of Loofah at my Balcony
Fruit of Loofah
2024年9月24日火曜日
Red Spider Lily(曼珠沙華)
Flowers of Red Spider Lily at Bank of Yanagawa
Flowers of Cosmos
2024年9月23日月曜日
Returned to Biwa-Lake(琵琶湖に戻る)
(Tokyo ⇨ Kyoto ⇨ Otsukyo)
一週間あまりの東京滞在を終えて、新幹線で京都に向かった。
帰りの新幹線でWEBニュースを読んでいると、能登半島での豪雨による洪水崖崩れに関し石川県知事が災害現場を視察し、支援物質を届けると強調したという。
能登地震が発生してすでに9ヶ月が過ぎた。未だにビニールハウスで生活している人、崩壊した家の解体作業も進んでいない人など、被害者が大勢取り残されている。
追い打ちをかけるように、今回の被災者住宅の洪水も含めた災害である。洪水危険地区に被災者住宅を建てたという。場所がなく仕方がなかったとの弁明である。
能登地震直後には、万博を中止してでも能登地震被害対策に資金、人的資源を集中的に投入すべきとの意見に対して、石川県知事は「万博は万博で進めてもらって、こちらで対策は進めると」言明している。
知事なら、「万博を中止してでも地震災害対策を最優先でことが進むよう国などに強力に要請する」というのが被災者に対する誠意というものである。
被災者を二の次にしていた結果が、今回の災害である。豪雨は自然現象であるが、その被害を食い止められなかったのは人災と見ざるを得ない。
現在、政権党では総裁選が行われている。災害多発の日本で、国土強靭化を強力に主張する候補者は誰もいない。興味は利権者への配慮だけのようである。
日本で大災害が起こっても、素知らぬ顔でアメリカに出向いている首相もいる。今の政治は、一部の利益を享受している人のためのものと思わざるを得ない。
グーミン(愚民?)が目覚めるのはいつになるのだろうかと思いつつ、琵琶湖に戻った。
グーミンが 目覚めなくては 国沈下
(グーミンが めざめなくては くにちんか)
彼岸が過ぎて、随分涼しくなった。戻るとエアコンは不必要になっていた。
2024年9月22日日曜日
Azabudai Hills(麻布台ヒルズ)
Azabudai Hills near Tokyo Tower
(Tower Plaza, Residence-B/under Construction, Residence-A)
Tower Plaza
2024年9月21日土曜日
Corporate Strategy Meeting(経営方針説明会)
Hibiya City
地下鉄霞ヶ関駅を降りてすぐのところに飯野ビルはある。現役時代は本社がこのビルにあり、毎日通っていた。
その後会社は虎ノ門のビルに移ったが、飯野ビルも高層ビルに建て替えられた。その4階には飯野ホールがあり、本日の説明会の会場となっていた。
開催の一時間前に着いたので、近くの日比谷公園、日比谷シティを散歩し昼食もとった。日比谷シティは飯野ビルに勤めていた時は、そのテラスで昼休みのコンサートなどを聞いたところである。懐かしく感じる。
13時30分から説明会が開始された。会場は500名の席があるが、ほぼ満員であった。現在の社長から経営方針について説明があった。
今の社長は、研究所時代の部下である。粛々と説明をしており、また質問に対しても的確な回答をしていた。すでに立派な社長になっている。
今回の説明会は、この10月に一番の稼ぎ頭であるIT事業を売却することについての説明が目的だったように感じた。
世界的に企業買収などを進めてマテリアル事業の成長を促進していたが、赤字事業となっておりその対策としてIT事業売却益で建て直そうとするもの。
ちょうど、規模は違うが東芝が原発事業に失敗して、利益を稼いでいた医療機器、半導体事業、ダイナブックなどを売却したのと同じ話である。
今後の成長戦略も説明があったが従来の事業範囲での話で、新しい事業への挑戦はなく少々期待外れであった。
新しい事業にはリスクがつきもの。リスクを考えると、小規模でお試し展開を数多く手がける必要があると考えている。選択と集中ではリスク大きく、失敗する確率が大である。
新事業 小規模資金 数多く
(しんじぎょう しょうきぼしきん かずおおく)
後輩のこれからのさらなる活躍を願って、15時頃には会場を出た。