2018年1月29日月曜日

白河天皇陵

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油小路通りに面する白河天皇陵
 石標
 白河天皇陵

  城南宮の東、油小路通りを北に行くとすぐに白河天皇陵がある。

  鳥羽離宮を造営し、8歳になった第一皇子を堀河天皇として、自分は上皇になりこの鳥羽離宮を拠点に院政をしいた。その後、孫(鳥羽天皇)、曾孫(崇徳天皇)3代に渡って幼主に代わって43年間、院政を行う。

  白河天皇が即位したときは藤原一族の摂関政治が続いており、親政を目指していた。父である後三条天皇が藤原一族と関係のある白河天皇の異母弟親王の息子を皇太弟と定めた。しかし若くして亡くなり、その時を利して禅譲し実子を天皇につけ堀河天皇とし、藤原一族の影響を弱めるのに成功している。
  白河天皇御陵のある京都南西地区は子供のころはのどかな田園風景が広がるところであった。しかし今では、すぐ南600mのところには京セラの本社があり、任天堂本社も北2kmのところに、また西3kmのところには日本電産本社がある。

  京都で生まれた世界的企業の集まるビジネスの町になるとは、白河天皇も御陵の中でびっくりしていることと思う。

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