2025年2月15日土曜日
Moon sets in West(月が西に沈む)
2025年2月14日金曜日
Ohinasama of Oumi-Shrine(近江神宮のお雛様)
Ohinasama of Oumi-Shrine
我が家のお雛様はすでに和室に飾られているが、近江神宮でも社務所にお雛様が飾られている。
このお雛様は享保雛のようである。江戸時代に作られた豪華なお雛様で、今も日本で愛されている。
2025年2月13日木曜日
Remote Birthday Party(リモート誕生日パーティー)
今治のカフェ・マグノリアに注文していたバースデーケーキが、昨日東京自宅に住む長女の元に配達された。冷凍状態で梱包されたアップルシナモンホールケーキである。
今長女は週の三日は大手町の会社で勤め、残り二日はリモート勤務で自宅で仕事をしている。昨日、本日とリーモート勤務であるため、本日お昼休みにテレビ電話でリモート誕生日パーティーを実施した。
誕生日 テレビ電話で パーティー
(たんじょうび テレビでんわで パーティー)
次女もリモート勤務であるので、三箇所からの参加である。ホールケーキにローソクを灯して、長女が火を消した。長女はそのケーキの一部を切り取り味わい、我々はつくばリッツンで購入していたさつまいもモンブランケーキで誕生日のお祝いとしていただいた。
長女には、残りを冷凍保管して少しずつケーキを楽しむよう伝えた。三月に東京に行くが、その時まで残っていれば嬉しい。
2025年2月12日水曜日
Red Konjac(赤蒟蒻)
昨晩夜中に寝ていると、トイレに行きたくなった。トイレに行くと下痢である。
お腹が痛いわけではないが、しばらく便器に座り込んだ。まもなく全部出たようでスッキリした。
朝になって考えてみたが、なぜ下痢をしたのか分からない。
昨日の食べたものを振り返ると、一つあるのは期限切れの厚揚げを食べている。しかしパックを開封するまで冷蔵庫に保管しており、料理前にも問題ないか臭い外観などを確認している。
さらに何か違ったものを食べなかったか記憶を辿った。もう一つ思い出したのが滋賀県の特産である赤蒟蒻であった。
今まで食べた経験があるかは記憶が定かではないが、これが原因ではないかと考えた。それで調べてみると、赤色を出すために三二酸化鉄を添加して作っているという。いわゆるベンガラである。
三二酸化鉄は食品添加物としては、この赤蒟蒻用だけには認可されているという。これ以外には使用禁止となっている。
この赤蒟蒻は織田信長の安土城時代に考えられた蒟蒻で、以来滋賀県の郷土料理とし食べられている。
このような歴史的な中で、今も作られている。
胃を全摘していることもあり、三二酸化鉄が胃液と反応することなく直接小腸、大腸に達することにより消化吸収不良を起こしたものと推定している。
胃がないと 赤蒟蒻で 下痢するか
(いがないと あかこんにゃくで げりするか)
下痢の原因は赤蒟蒻という結論にしたが、また機会があれば食べてみて下痢するかどうか再確認はしてみたいと思う。
2025年2月11日火曜日
Buds of White Plum(白梅の蕾)
2025年2月10日月曜日
Yanagasaki Swimming Area(柳ヶ崎水泳場)
自宅マンションは柳ヶ崎湖畔公園に面している。毎日、自宅から琵琶湖の四季を楽しんでいる。
この公園は、昔、水泳場として賑わっていたと聞いている。You-Tube をサーフィンしていると、この柳ヶ崎湖畔公園の前身である水泳場の記録が出てきた。
1957年と1970年前後の写真である。その中の写真の一つに、水泳場から比叡山、比良山が写っているものがあった。
今朝のジョギング時に、同じ場所と思われるところから写真を撮った。比叡山、比良山は同じであるが、遠く湖畔にはマンションが入り、昔との違いがわかる。
柳ヶ崎水泳場には簡素な桟橋もあり、おそらく浜大津から船で水泳客を運んでいたと思われる。
柳ヶ崎湖畔には柳川から透明な水が琵琶湖に注いでおり、湖周囲の水は綺麗である。夏の暑い時には今も泳ぐことができる。
孫が来ると、泳いだり、魚釣りしたり、凧揚げしたりなど、孫との触れ合いの場になっている。
柳ヶ崎 孫と触れ合い 楽しい場
(やながさき まごとふれあい たのしいば)
2025年2月9日日曜日
Crampons(アイゼン)
Right Side Shoe attached Crampon
今朝も気温は氷点下で小雪が降っていた。
昨日滑って転んだ後遺症もかなり緩和され、散歩・ジョギングに出かけることにした。
道にはなお雪がかなり残っており、出かける前にアイゼンを靴に装着した。アイゼンを使うのは久しぶりである。
アイゼンのおかげで、雪の上でも難なく歩ける。近江神宮までの道のりは散歩状態であったが、帰りは軽いジョギングで戻った。
本日は滑ることもなく、難なく自宅に戻った。少し痛みが残っているが、帰宅後はいつものエクササイズを実施した。問題なく体が動くことに感謝である。
アイゼンで 雪踏めしめて 安全に
(アイゼンで ゆきふめしめて あんぜんに)
これからは雪が積もればアイゼンを使うことを、肝に銘じたい。
2025年2月8日土曜日
Snowing heavely in Otsu(大津でも大雪)
Snowing in Bank of Yanagawa
Bud of Narcissus(水仙)in Snow at Bank of Yanagawa
大津市内でも今朝の最低気温は、−3.8°Cであったという。朝から雪が降っており、雪の中での散歩、ジョギングとなった。
柳川土手ではようやく水仙が蕾をつけ始めていたが、雪に覆われた姿になっていた。
近江神宮では、鳥居、参道、楼門、本殿が雪を被り、白い姿になっていた。
琵琶湖湖畔も真っ白な雪に覆われていた。
気温が氷点下のためアスファルトの湖畔の道は凍っており、ウッカリ滑って後ろに倒れ後頭部を打った。
帰宅するまでは何も感じなかったが、シュアイショウをしていると頭にコブができているのに気がついた。触ると痛みを感じる。
エクササイズは中止して、コブに湿布して様子を見ることにした。
夕方にはコブは小さくなったが、手、腕、足、腰などに痛みが出てきた。倒れるときに打撲したものと思われる。
明日の早朝のジョギングはこの痛みの具合次第であるが、出かけるにしても安全のため靴にアイゼンを嵌めて出かけるつもりである。
雪の日は アイゼン嵌めて 滑り止め
(ゆきのひは アイゼンはめて すべリどめ)
2025年2月7日金曜日
Estuary of Yanagawa frozen(柳川の河口凍る)
2025年2月6日木曜日
Nissan Motor(日産自動車)
(China Car Production was 25,225,000 Cars in 2020)
ホンダと日産自動車、三菱自動車の経営統合の話がまとまりそうにない。
まずは三菱自動車が、三菱グループとして統合によるメリットがないとして、統合協議から離脱している。
そして昨日、日産も統合協議から離脱する方向で検討しているというニュースが流れた。
客観的に見て、今回の統合協議は日産をホンダが救済する形になっている。具体的にホンダは、統合の条件として日産が独自に経営合理化を進めることが必須としている。
これに対する日産の経営合理化案がホンダに掲示されたようであるが、ホンダから見ればその案が甘いとの見方になったようである。
その結果、ホンダは合理化を強力に進めるため、日産を子会社化することを提案したという。
しかしこの案を日産は受け入れられないとして、統合の話は破談となる方向に向かった。
日産にとってはトヨタと並ぶ日本の自動車業界を牽引してきたプライドがあり、ホンダという新規参入会社の子会社になることには大きな抵抗があったものと思う。
しかし日本の自動車業界は、そのようなプライドで物事を判断していては、方向を誤るのは間違いない。
ちょうど You-Tube に、過去の世界の自動車生産実績のデーターが出ていた。
それによると、2007年までは世界で一番自動車生産が多かったのは日本で、年間約1200万台(私の記憶では最大約1300万台)であった。その前には中国が急成長しており、2008年には世界一の自動車生産国は中国となった。
そして日本は生産台数で世界第3位に落ち、800万台で推移している。
一方中国の生産台数は今や2500万台となり、ダントツの世界一の自動車生産国になり二位のアメリカを大きく引き離している。
中国が 車生産 世界一
(ちゅうごくが くるませいさん せかいいち)
その重要なポイントは電気自動車で、この分野でもアメリカと並んで世界の生産を二分している。
この電気自動車に乗り遅れたのが、日本であり、ドイツである。日産、ドイツのフォルクワーゲンの苦境の原因は中国での販売不振が大きい。
日産の経営難は今に始まったことではない。ゴーン社長が乗り出す前にも、ベンツが手を差し伸べようとしたが、日産の体質を見極めたのか断念している。
ゴーン社長が強力に合理化を進めて立ち直ったのであるが、ゴーン社長がいなくなるとまた昔の日産の体質に戻ってしまったようだ。
今回ゴーン社長と同じような合理化を期待したのがホンダであったと思う。日産の経営合理化案がホンダの期待するものとかけ離れていたことが破談の大きな原因と判断する。
現役時代にホンダと新しい開発技術商品について協議をしたことがある。ホンダの基本姿勢は、従来の他社にすでに紹介しているものはいらないとして、これから新たに開発する将来の技術、商品について協議したいと主張していた。
ホンダは過去の事例に従うことなく、とにかく先を見通して物事を進めることが社内の雰囲気にある。
会社の体質の違いがホンダ、日産の間では大きく、ホンダとしては統合するには完全に日産を子会社にしないとうまくいかないとの結論になったと考える。
世界はどんどん動いており、経済が停滞している日本ではまだ先頭を走っている感覚で物事を判断している状況がある。
シャープと同じようにいつの間にか、日産は台湾の会社の子会社になっているかも知れない。