50th Aniversary Year of JR Kosei Line (WEB News)
JR Kosei Line crossing over Yanagawa
Rice Field of Shiga-Village(滋賀里)
就職して最初の赴任地は石川県小松市であった。当時は関西から北陸へは、東海道線米原経由の特急雷鳥を利用していた。
北陸線は米原を過ぎると一時的に車内電気が切れていた。当時北陸線は交流電気を使っており、東海道線の直流電気とは異なっていた。そのため電源を直流から交流に切り替える必要があった。
その後北陸線はすべて直流化され、今は交直切り替えの必要性はなくなっている。
そして就職して2年後には湖西線が開通し、特急雷鳥は湖西線を通るようになり北陸への時間短縮が実現されている。
今年は湖西線開通から50年になる。この20日には記念新快速電車を走らせるという。
今琵琶湖の湖西側に住んでいるが、学生の頃この辺りはまだ田んぼばかりであった。その田んぼも今では僅かになっている。
また毎朝の散歩時には柳川土手沿いに湖西線の下を歩き、雷鳥ならぬ特急サンダーバードが通り過ぎるのを見ている。
散歩時に サンダーバード 懐かしい
(さんぽじに サンダーバード なつかしい)
今朝の散歩は際川コースを歩いたが、途中滋賀里には田んぼが残っており田園風景を見ることが出来る。しかし今年は一部田植えをしていない場所がある。
この付近も徐々に田んぼが宅地化されており、この稲のないところはまた宅地化されるのだろうか。
田園風景が見られなくなるのは残念な気持ちになる。