2020年9月18日金曜日

Red Dragonfly(赤トンボ)

 

Red Dragonfly at Bank of Yanagawa

Red Dragonflies at Bank of Yanagawa
(Video)
Walking 5838 m, 8341 Steps
(Usual Course)

  柳川土手では赤トンボも飛び回っている。本当に赤いトンボも見かけることがあるが、大体飛んでいるのは薄い茶色の赤トンボが多い。

  調べてみると、日本では愛知・岐阜あたりから大きく分けると二種類の赤トンボが生息しているという。

  西日本にはウスバキトンボ(薄羽黄蜻蛉)といわれる種類が多く、赤ではなく黄色がかった体の色である。毎年東南アジアから飛来し、日本でも夏から秋の終わりまで産卵し世代交代して、その年に日本生まれとともに死滅する。

  一方東日本ではアキアカネ(秋茜)が生息しており、夏の暑い時は山で過ごし、秋になると低地に下りて産卵成長するという。このトンボは本当に赤く、赤トンボと呼ばれるにふさわしい。

  このアキアカネは夕方には殆ど飛ばない習性がある。三木露風の赤とんぼでは夕焼けの中、飛んでいる風景を描いている。三木露風は兵庫県の出身で、実際にはウスバキトンボを見て歌にしたのではないかと云われている。

  西日本では、あの世は海のかなたにあると信じられ、死者は海に帰って行くとしている。一方、東日本ではあの世は山の上にあるという。赤トンボの生態、ウスバキトンボは南の海から、アキアカネは山から下ってくるということで、赤トンボは精霊トンボといわれることがある。

  2種類の赤トンボの生態が死生観、来世観の文化圏の違いとなっていることは興味深い。

  柳川土手で見る赤トンボは、ウスバキトンボがほとんどである。

柳川で 薄羽黄蜻蛉 群れを成す
(やながわで ウスキバトンボ むれをなす)

2020年9月17日木曜日

Ohagi(おはぎ)

 

Green Onions after 1 Week

Sprouts 1 week after Seeding

Walking Trajectory (Kyoto City)

Walking 7225 m, 10322 Steps

Moving Distance 29700m

(JR-Kosei Line, Kyoto Subway)

  大丸に納豆「葵」が入荷しているとのことで、お彼岸には少し早いが墓参りもかねて京都に出かけた。

  墓参りの後、仙太郎本店に立ち寄った。半年に一回、ここのおはぎを食べることにしている。いつものおはぎを食べた。誠に甘い。その甘さが口に残り、あまり快適ではない。

  すでに砂糖を食べなくなってずいぶん経つ。砂糖の甘さはやはり強烈である。すでに体が砂糖に対する適応性から遠のいた感じがする。

  仙太郎のおはぎの味が忘れられず、年に二回だけ砂糖を使ったおはぎを食べることにしていたが、もうやめることにした。仙太郎とはさよならとなる。長い付き合いであった。

せんたろう 砂糖おはぎと さようなら

(せんたろう さとうおはぎと さようなら)

  いつもの無農薬野菜などの買い物して、最後に大丸に立ち寄り帰宅した。

  ところでネギを植えて一週間が経った。種から芽が出て、5cmほどに成長している。切り根からは葉が伸び、10cmくらいにはなっている。植物の成長はずいぶん早い。昨日切り根を追加した。さらに観察を続ける。

2020年9月16日水曜日

Calopteryx Atrata(ハグロトンボ)

Calopteryx Atrata(ハグロトンボ)at Bank of Yanagawa

Calopteryx Atrata (Video)

Agrion(イトトンボ)

 Walking 5910 m, 8444 Steps

(Usual Course)

  暑さも和らぎ、過ごしやすい気候になってきた。昆虫もセミは姿を消したが、トンボは元気である。

  柳川土手でハグロトンボイトトンボに出会った。トンボにとっても良い季節なのだろう。

暑さ過ぎ トンボが元気 飛び回る

(あつさすぎ トンボがげんき とびまわる)

2020年9月15日火曜日

Wrinkled Frog (ツチガエル)

Wrinkled Frog at Bank of Yanagawa

Walking 5906 m, 8438 Steps

(Usual Course)

  先日、柳川土手でアオガエルに出会っているが、今回はツチガエルを見つけた。

  土色をしており保護色のため見分けにくかったが、飛び跳ねるので気が付いた。止まっているところを何とか写真に収めた。

  表面にイボがありその特徴がみられる。カエルも9月くらいまでが活動時期で、まもなく冬眠に入るものと思う。 

  カエルと云えば、芭蕉の句を思い出す。近江の岩間山正法寺の静寂の中で、カエルが池に飛び込むところを表現している。

  雰囲気としては元気に飛び跳ねるカエルではなく、ちょうどいま時期の冬眠に入る前の活動が下火になったカエルが跳び込む情景ではないかと思い浮かべる。

芭蕉の句 冬眠前の カエルかな

(ばしょうのく とうみんまえの カエルかな)

2020年9月14日月曜日

Red Morning Glory(マルバルコウソウ)

Red Morning Glory at Bank of Yanagawa
Walking 6287 m, 8982 Steps
(Usual Course)

  柳川土手は7月初めに除草されて緑が無くなっていたが、今ではまた背丈ほどの高い雑草で覆われている。

  その中で赤い花が満開である。今までも見かけているが、WEBで調べてみた。

  その名は、マルバルコウソウ(丸葉縷紅草)という雑草であった。北アメリカの暑い地域の原産で、今では南アメリカ、オセアニア、アジア、アフリカに分布しているという。

  ヒルガオ科サツマイモ属の植物であることから、除草しても地下茎は残っており今花盛りとなっている。

秋の土手 丸葉縷紅が 花盛り
(あきのどて マルバルコウが はなざかり)

  今、土手を彩っている。

2020年9月13日日曜日

Sprout(芽が出る)

Seeds of Green Onion sprouted

New Buds grew from Roots of Green Onion
 Walking 6071 m, 8673 Steps

(Usual Course)

  ベランダに置いたプランターのネギは、種を播いてから3日経ち早くも芽を出している。

  一方、埋められた切り株からも新たな芽が出ている。茎の残りからも青葉が日に1cmほど成長して、緑の部分が増えている。

ネギの芽が 早くも顔出す プランター

(ネギのめが はやくもかおだす プランター)

  朝夕の水やりは忘れずに続けるつもりである。さらに観察は続ける。収穫が楽しみである。

2020年9月12日土曜日

Cicadas disappeared(セミ消える)

No Cicadas Sound at Oumi-Shrine

(Sometimes Birds singing)

Walking 3918 m, 5598 Steps
(Yamashina Mujirushi)
Moving Distance 14485m (JR-Kosei-Line)

  今までセミの鳴き声がうるさいくらいであったが、昨日の散歩ではセミの鳴き声は全くなかった。

  近江神宮の森でもわずかに鳥の鳴き声が聞こえる程度で、静かな散歩であった。これからは虫の音が広がるのではないかと思う。

セミの声 聞こえてこない 宮の森

(せみのこえ きこえてこない みやのもり)

  秋である。

2020年9月11日金曜日

Green Frog(アオガエル)

Green Frog at Bank of Yanagawa
Walking 5841 m, 8345 Steps
(Usual Course)

  秋雨前線の影響か、今日は雨模様の日となった。長靴を履いて、傘をさしての散歩となった。

  柳川土手の散歩中に、一匹のアオガエルに出会った。今までもカエルには何度も出会っているが、動きが速く写真には撮れていなかった。本日初めて写真に収めることが出来た。

  最初アマガエルと思っていたが、帰宅後WEBで調べるとアマガエルには緑の体に、目元から耳掛けて茶色の筋があるという。写真のカエルにはその筋がないことで分かった。

  ここ琵琶湖では今まで青ガエルのほか、ヒキガエルは見たことがあるが、トノサマガエル、ガマガエルなどは見たことはない。ましてや筑波山の四六ノガマも見ることはない。

  以前は田植えのころには、田んぼでは激しくカエルの鳴き声が聞こえたものである。ここ大津京でも田んぼが少なくなり、カエルも少なくなっているようである。

カエル鳴く 田に響く音 僅かなり
(かえるなく たにひびくおと わずかなり) 

2020年9月10日木曜日

Green Onions(万能ネギ)

DIY Store "AYAHA DIO"
Seeds of Green Onions
 
Planter at Balcony
Soil for Organic Vegetables
Planting Roots and Seeds of Green Onion

Cycling 9702 m (Nionohama、におの浜)  

Walking 4153 m, 5934 Steps

  少しでも野菜を自家栽培することを、つくば以来久しぶりに検討することにした。

  毎日の朝食には、納豆に多い目のきざみネギを混ぜて食べている。このネギは万能ネギとの名で売らている。まずはこのネギを栽培することにした。

  におの浜にあるアヤハディオでプランターと有機栽培用土、そして万能ネギの種を購入した。さっそくベランダにプランターを置き、土を入れて種をまいた。さらには今購入している万能ネギの根元をカットして、それを土に埋めた。

  水を散布して準備は完了である。いつ種が芽を出すか、またカットした根っこからまた芽が出てくるか観察することにした。

プランター ネギの芽が出る 楽しみだ
(プランター ネギのめがでる たのしみだ)

  水の散布はこれからの日課となる。

2020年9月9日水曜日

Old Roof Tiles Exhibition(古瓦展)

Inisde of Otsu-City Buried Cultural Property Research Center 
(大津市埋蔵文化財調査センター)
Tanben Hachimonrengemon Nokimarugawara
Oldest Roof Tiles in Otsu
(First Half of 7th Century)
 
 
Tanben Hachimonrengemon Nokimarugawara
 Sokushigata-Rengemon Houkei Nokigawara
(側視形蓮華文方形軒瓦)
Encavated from Minami-Shiga Machi Haiji
(南滋賀町廃寺から出土)
Eaves Tile excavated from Ishiyama Kokubu Iseki Ato Kawaragama
(石山国分遺跡跡瓦窯出土軒瓦)
Roof Tiles were carried using Seta-River, Uji-River and Kizu-River
from Ishiyama-Kokubu to Fujiwara-Kyo before Nara Period 
Hiunmon Roof Tiles(飛雲文瓦)
(Fujiwara Nakamaro in Nara Period)
 Hiunmon Roof Tiles(飛雲文)
 (Excavated from Souyama Iseki・大津惣山遺跡)
Roof Tiles excavated from Nishikoori-Iseki 
(Middle of Heian -Period)
 
Red Roof Tiles of Sakamoto Castle
Mitsudomoemon Nokimaru-Kawara
(三巴文軒丸瓦)
Red and Black Roof Tiles of Sakamoto Castle
Walking 6199 m, 8857 Steps
(Oumi-Shrine, Buried Cultural Property Center)

  本日の散歩は少し早い目に出かけ、昨日立ち寄った大津市埋蔵文化財調査センターを訪れた。玄関に入り左手の部屋が企画展「古瓦の世界」の会場であった。入場は無料である。 

  日本に瓦が伝わったのは、588年の飛鳥寺創建に伴い、百済から4名の「瓦博士」が来日したことによる。

  大津でも飛鳥時代の瓦が前期穴太廃寺から出土している。7世紀の前半のことで、大津での最初の瓦の使用である。その瓦は「単弁八弁蓮華文軒丸瓦」と呼ばれる。蓮の花を上から見た文様である。

  白鳳時代には、衣川廃寺、後期穴太廃寺、崇福寺、南滋賀町廃寺などの寺院が建立され、瓦を焼成する窯も構築されている。

  南滋賀町廃寺から出土した軒瓦の文様は、蓮の花を横から見たもので、丸瓦ではなく、方形をしてる。「側視形蓮華文方形軒瓦」と呼ばれており、サソリに見えることから「さそり瓦」と呼ばれることもある。

  持統天皇時代の694年に藤原京が造営されたが、近江の石山国分遺跡瓦窯で作られた瓦が使用されている。瀬田川、宇治川、木津川の河川を利用して運搬し、泉木津で陸揚げされ、平城山を越えて奈良橿原の藤原京へ運ばれたと考えられている。

近江製 かわらを奈良へ 運搬す
(おうみせい かわらをならへ うんぱんす)

  奈良時代には流れる雲をデザインした飛雲文の瓦が作られ、国府跡から発掘されている。当時藤原仲麻呂は近江の守に任命されており、好みの瓦であった可能性がある。

  錦織遺跡、穴太遺跡からも瓦が出土しており、平安時代に京都で作られたものもあるという。

  明智光秀の坂本城は本能寺の変の後炎上消失するが、瓦が出土している。赤瓦と黒瓦の両方が出土している。赤瓦は炎上により変色したものではなく、もともと赤色に焼成した瓦であるとの調査結果が説明されていた。

  本日は大津の歴史の一端を知る機会となった。