鈴木梅太郎の話(You-Tubeから)
大津市内サイクリング 7.12km
散歩の記録 3.65km、4758歩
You-Tube はいろんな情報を伝えているが、嘘っぽいものもある中で、逆に貴重なあまり知られていない歴史事実も含まれている。
先日見た情報に鈴木梅太郎の話があった。ビタミン発見者で有名であるが、発見当時その学説は全く受け入れられていなかったという。
明治以降富国強兵のスローガンのもと軍隊も増強されたが、兵隊などの若者に脚気患者が増大し国家的対策が必要になっていた。
当時伝染病説が支配しており、伝染病であると信じられていた。その脚気の原因を研究したのが鈴木梅太郎であった。
もともと東京大学農学部出身の学者であったが、今でいうビタミン不足が脚気の原因であることを突き止めた。それは玄米から白米に加工するときにでる米糠に含まれる成分(オリザニンと命名した)で、それが不足すると脚気になり、与えると脚気にはならないことを発見した。
しかし日本では森鴎外を初め東大医学部出身の学者たちは伝染病説を主張し、たかが百姓風情の人間がとんでもないことを言っているとして嘲笑していた。
結局日本では認められることはなく、翌年海外の研究者により同じものが確認されたことによりビタミンと名付けられ、世界的に脚気の撲滅に寄与したという歴史である。
医学学会の権威主義が、より犠牲者を増やしていったという事実である。歴史は繰り返えされる。水俣病も同じような東大学者の権威主義により犠牲者が増大した例である。
熊本大学の学者が実験などで有機水銀が原因と唱えても、田舎の学者が何を言っていると、有機水銀ではないと主張し続けた。その結果患者は悲惨な生活を続け、また患者も増大し続けた。
当時、鈴木梅太郎の発見は日本の学界で否定され、世界にその発見を知られることはなかった。結局、その後のビタミンのいろいろな役割を研究した人がノーベル賞をとることになる。
日本の学界の権威主義がなければ、日本最初のノーベル賞は鈴木梅太郎に与えられていたであろう。
森鴎外は文学の世界では名声を得ているが、医者としては大きな罪を犯しているということを今回初めて知った。森鴎外といえば医者で文学者といわれているが、少なくとも医者の肩書は外した方が良いのではないかと思う。
今毎日
玄米を食べているが、明治以降に脚気が激増したのは白米を主食としたからである。米糠にはビタミンのみならずいろいろな有効成分が含まれているという。