2018年5月19日土曜日

別子銅山跡

別子銅山跡の位置(愛媛県新居浜)
別子銅山東平(とうなる)地区の説明
別子銅山跡の建物(東洋のマチャピチュといわれる)

東平地区からの新居浜・瀬戸内海
別子鉱山鉄道の走っていたライン
貯鉱庫跡の説明
貯鉱庫跡
貯鉱庫の当時の写真
索道基地跡の説明
索道基地跡
索道基地の当時の写真
索道基地上部の建物
インクライン跡の説明
インクライン跡の階段
接待館の説明
接待館のあった場所
当時の接待館の写真
本日の散歩 5.89km、8819歩

  先週今治玉川のマグノリアで昼食を取った後、新居浜にある別子銅山跡に向かった。別子山の麓にはマイントピア別子という道の駅があり、そこを過ぎてさらに山道を上がる。

  トンネルを何回も通り過ぎると峠に至る。標高972mとの表示があった。ここで引返し、東平方向への細い山道に折れる。

  車1台しか通れないところもある曲がりくねった道の突き当りに別子銅山跡の東平(とうなる)地区があった。

  東洋のマチャピチュといわれるだけあって、山の上に古いレンガの建物が残っている。ここからは新居浜の瀬戸内海が望める。

  この銅山は1691年から住友グループにより採掘が開始されている。1973年に閉山になるまで産銅量は65万トンに達する。

  東平は標高750mに採鉱本部が置かれたところで、付近には5000人近い人が住んでいて、山の町になっていた。

  貯鉱庫、索道基地、物資を運ぶインクライン跡、接待館などのレンガ造りの建物が残っている。

  ガラス板に鉱山鉄道が走っていたラインが引かれ、ガラス越しに向かいの山を見るとその鉄道が走っていた軌道が分かるようになっている。

  今は緑一面の山であるが当時はほとんど禿山状態であったことは足尾銅山鉱毒事件から想像できる。

  古河グループが開発した足尾銅山での鉱毒事件は、命をかけて田中正造が鉱毒被害を訴えたことにより世間に知られることになった。この別子銅山でも同じように鉱毒被害があった。

  住友グループにしても、古河グループにしても人々の命を犠牲にして大きな企業になっていったということである。

  過去の過ちを正しく認識しないことにより、その後も水俣病、アスベストなどの公害問題が相変わらず続発している。

  今も各地でまた同じような過ちを繰り返すような政策がまかり通っており、畜生的生き方の人間の所業と思わざるを得ない。歴史を学ばないことに怒りさえ覚える。

  この後、松山自動車道、高松自動車道を走り、鳴門海峡に向かった。

2018年5月18日金曜日

新うみのこ大津港に接岸

 新うみのこの全景
 観光船ビアンカと並ぶ新うみのこ(大津港)
 本日はサイクリング
(西武百貨店、大津港)
移動距離 11.21km、2475歩

  16日に新うみのこが大津港に到着した。今観光船ビアンカの隣に係留されている。

  内装工事などの遅れにより一か月遅れの到着である。16日、17日の二日で旧うみのこの備品などを移動し、旧うみのこは堅田の杢兵衛造船所に移動している。

  当初の予定からほぼ一か月遅れて、6月4日に膳所小学校と瀬田南小学校の児童134人を乗せてびわ湖フローティングスクルールの初航海に出る。

  旧うみのこは造船所に係留され入札を待ち、入札者がない時には解体されるとのこと。湖上ホテルなど、何か使い道がないものかと思う。

  随分暑くなってきたためアルコールフリーのビール龍馬が欲しくなり、買いに出かけた。その帰りに大津港に立ち寄り新うみのこを見て帰宅した。

2018年5月17日木曜日

雑草刈り取り

雑草が刈り取られた柳川土手
 雑草が刈り取られた柳川土手
 刈り取られた雑草
 昼顔の芽が出る
 柿の花
 みかんの花

ボケの実
蝋梅の実
 紫陽花が色づき始める
本日の散歩 5.94km、8525歩

  この日曜日、柳川近辺の自治会の人々が柳川土手の雑草を刈り取る作業をしていた。定期的に行われており、歩道を確保するためである。

  その前まではお花がきれいな土手であったが、雑草も背が高くなり歩きにくくなっていた。

  土手道はきれいになったが、花もすべて刈り取られ残念な面もある。しかし雑草であるのでまた元気を取り戻すものと思う。

  咲き誇っていた雑草の花に代わって、昼顔が芽を出し、柿の花、みかんの花が咲き、それにボケの実蝋梅の実も出来ている。さらには紫陽花がようやく色づき始めた。6月に向けて色鮮やかな花になるのであろう。

  植物を観察していると季節を実感として味わえる。今日はかなり暑い日となり、いよいよ夏が近づいていることを感じる。

2018年5月16日水曜日

大久野島

広島県忠海沖にある大久野島
 旧日本軍の毒ガス製造所の説明
(2005年10月訪問時撮影)
毒ガス貯蔵庫跡
(2005年10月訪問時撮影)
本日の散歩 6.13km、9061歩

  昨日のブログではベルギーの Ieper で、第一次世界大戦中の旧ドイツ軍が毒ガスを使い、地獄絵巻が現実に起こったことにも触れた。

  毒ガスといえば日本では大久野島である。ドイツのみならず日本も同じように毒ガスを作り、中国で戦争に使っている。その毒ガス製造場所は広島忠海沖の大久野島であった。

  第二次世界大戦当時、この島は日本の地図から抹消されている。国際法で禁止されている毒ガスは極秘で作られていた。徴用された作業員は防毒服を着用して作業したが、猛毒は漏れて体に染み込み死んだり障害をもたらしている。

  戦後も作業員はその後遺症に悩まされてガンなどで一生を終えている人が多い。それよりもこの毒ガスが中国で実際に使用されており、中国に対して多大な被害を与えていることも事実である。

  10数年前には広島は三原に住んでいたので、近くのこの島も訪れている。忠海から船で15分ほどで着く。

  今ではこの島には国民休暇村ができ、宿泊できるようになっている。毒ガス資料館、建物の残がいだけが昔の忌まわしい事実を思わせる。

  戦後、毒ガスが残っていないか知るためにウサギを放したのではないかと推測する。鉱山のガス漏れ探知にカナリアを使っていたのと同じ考え方である。今ではウサギが増えて、ウサギの島として知られるようになった。

  戦争は、国内外ともに多大な犠牲を与えることをこの島を訪問し実感する。しかし、中国に与えた膨大な被害のことは、この資料館ではほとんど触れておらず大変な手落ちではないかと思う。

  今でもシリアで毒ガスが使われたとの情報がある。畜生的生き方の典型である、目的達成には手段を選ばずの所業と思う。

  人間はもともと理性というものを備えている。しかし自我の確立前のゆがんだ育ち方が理性なき人間にしてしまうのではないか。生まれて中学生になるまでの無意識のうちに形成される人格の重要性をますます強く感じる。

2018年5月15日火曜日

Ieper の猫祭り

Ieper(イーペル・イーパー)の場所
(ベルギー西部、フランス国境に近いところ)
本日の散歩 6.12km、9499歩

  ベルギー西部、フランス国境に近い Ieper は、もともと繊維産業の盛んなところで、今でも繊維会社、繊維機械会社が多くある。ヨーロッパに駐在当時、自動車シートベルトのイーパーバンド、ジェットルーム・レピア織機のピカノールなどの会社に何度となく車で訪問している。

  この町は第一次世界大戦でドイツ軍が毒ガスを初めて使用した場所でもある。連合軍、住民に犠牲者が多数出ている。そのため、この町の入口にはお墓とその慰霊のための碑があり、亡くなったおびただしい数の人の名前が刻まれている。

  この日曜日にこの町で猫祭りが開催されたとのニュースがあった。駐在当時はこの祭りがあることは知らなかった。

  1938年に始まり、3年に一度、5月の第二日曜日に開催されているという。第一世界大戦後かなり経ってから始まった祭りである。今年はその3年目の年になる。

  繊維産業としての繁栄は毛織物工業であった。この羊毛に害を与えるネズミを駆除するために沢山の猫を使っていたという。

  一方、昔は疫病としてペストが流行し、それは魔女の仕業として魔女狩りが行わた。猫はその魔女の使者との理解から猫投げをすることが行われていたという。

  お祭りでは猫の姿に変装した人々と山車が街をパレードする。繊維会館では125mの高さから黒猫のぬいぐるみが投げられ、その黒猫を手にすれば幸運に恵まれるという。最後は魔女の人形を火あぶりにする行事で終了する。

  この町は4万人くらいの小さな町で街を一歩外れると、延々と田園が広がっている。毒ガスの地獄絵たる惨事は墓と慰霊碑が伝えるだけである。

2018年5月14日月曜日

プレマルシェ

プレマルシェの場所(京都植物園近く)
プレマルシェ
 正面
 Premarche の表示
レストラン内部
 テンペバーガー
 玄米タコライス

甘酒ジェラート

甘酒ジェラートの説明
本日の移動軌跡
 (散歩:四条烏丸、植物園、プレマルシェ)
本日歩いた歩数12492歩

  今日は朝から晴天である。京都植物園近くにヴィーガン料理が食べられるイタリアンがあるとの情報を得たので訪れた。

  京都駅から地下鉄で四条まで行き買い物を済ませて、烏丸通りを北に向かって歩いた。北大路通りを越えて北山通りを東に進み、植物園近くの北山通りを少し北に入ったところにプレマルシェがあった。

  この店はヴィーガン料理のみならず、普通の料理も食べられるが、半分はヴィーガン料理という。またジェラートが美味しいと評判とのこと。

  ヴィーガン料理としてテンペバーガーと玄米タコライスを注文した。テンペバーガーはつくばのりっつんより少し小さめのパンにテンペ、野菜が挟んである。味はりっつんと同じである。大変満足した。

  また玄米タコライスは玄米に野菜などが入り少し辛めの味であるが、動物性食材は全く使われていない。

  最後にジェラートを食べたがお米由来の材料で出来ており、甘味は甘酒で大変甘かった。

  このお店の夜のメニューにはピザがあり、これもヴィーガン仕様がある。また次回ピザも試してみたいと思う。

2018年5月13日日曜日

京大のタテカン撤去

京大のタテカンの一つ
本日の散歩 4.7km、7339歩

  本日は日曜日。京大ではタテカンがすべて強制的に撤去された。朝早く、学生がいない間に撤去されたという。

  WEBではタテカン撤去に関していろいろな意見が発信されている。その中で、タテカンにはこのようなものもあるよとの情報が載っていた。

  今年の受験生にあてたタテカンである。

問:次の文を英訳せよ

受験生の皆さんへ、
偉い人の言うことがすべて
正しいなんてあり得ない。
偉い人は自分の立場を
守るために平気で嘘をつくし、
真実をもみ消そうとする。
だから人の言ったことを
安直に信じるのではなく、
自分の力で真理を、自分の考えで
探求し
物事を判断してほしい。
真実は自分の目で
確かめるものです。
大学とはそういう
場所だと思います。
試験頑張ってください。

京大の今を憂、
一京大生

  今国会で問題になっているお偉い方々の言動をはじめ、歴史的にも水俣病、アスベスト問題など、政治家、官僚、御用学者、御用知識人たちが犯した過ちをズバリ言い当てたタテカンである。

  さすが京大生である。理性と知性あるウイットを利かしたタテカンに恐れ入る。

  このような機知に満ちたタテカンもあり、また先月タテカンにより京大合唱団の発表会を知りその音楽を堪能してきている。タテカンの役割は大きい。

  タテカンが消えることは誠に寂しい限りである。

2018年5月12日土曜日

船上ウェディング

観光船ミシガンに乗り込む結婚式参列者
 新郎新婦と参列者
クルーズに出た観光船ミシガン
 クルーズ中のミシガン
 近江富士とミシガン

夜のクルーズ
夜景の中のミシガン
本日の散歩 6km、8876歩

  本日は大安。散歩中に湖畔公園港に観光船ミシガンが入ってくるのを目撃した。すでに日常の観光船の最終便は終わっている。

  港近くのイングリッシュガーデンにはたくさんの人がくつろいでいたが、まもなく船に移動していた。

  ウェディングドレスの女性は日本人で礼服の男性は欧米人のようである。観光船を貸し切ってのウェディングであることが分かった。参列者には外国の人も見られた。

  これから琵琶湖をクルーズし結婚式披露宴が始まることと思う。参列者の中には、ギターを持った人もおり、披露宴で披露するのであろう。

  今日は天気も良く、夜景を見ながらの披露宴で、二人にとって思い出に残る結婚式になるものと思う。