2017年10月15日日曜日

蕎麦ろうじな

京都御幸町夷川
蕎麦ろうじなの看板
玄関
 席待ちのお客さん
 もりそば(大盛)
梅おろしそば
歩いた歩数 8755

  広島時代に通っていた蕎麦屋「茶話駄」(今ではミシュラン星の店)で紹介してもらった、京都三条東山近くの古川商店街に「なかじん」という蕎麦屋があった。京都に来た時に何回か食べているが、ある時店がなくなっていた。調べると店主の蕎麦アレルギーが判明して店を閉めたという。

  最近ある本で「なかじん」という店があることを見つけた。確認すると「天ぷら割烹なかじん」という。どうもそばを諦めて割烹料理屋に転向したようである。WEB情報では、その弟子が蕎麦屋を継いでいるとのことで、食べに行くことにした。

  京都御幸町と寺町の間の夷川にこの店はある。繁盛しているようで席待ちの人が多い。さっそくもりそばと梅おろしそばを注文した。おつまみの料理を注文し、お酒を飲んでいる人もあった。

  そばは細麺で、「茶話駄」と同じように最初は小皿に入れられている塩でいただいた。なかなか美味しい。その後、出汁につけて食べたが、かつおだしでありこれもおいしい。

  大盛を注文したのでお腹いっぱいになった。塩だけの方がそばの香りがより味わえる。次回は塩だけで食べたいと思う。

  ちなみに、店名の「ろうじな」はロシア語で故郷という意味で、京都の「路地」と野菜の「な」をかけているそうである。店の看板は、師匠である「なかじん」の主人が書いてプレゼントしている。

2017年10月14日土曜日

野菊

 ノコンギク(柳川土手)
ヨメナ(柳川土手)
散歩の歩数 5958

  柳川の土手にはいろいろな野花が咲いているが、今可憐な野菊も咲いている。野菊の一種である、ノコンギク、ヨメナである。

  野菊といえば伊藤佐千夫の「野菊の墓」を思い出す。主人公の正夫が秋の季節に民子のイメージを表現したものである。その花の可憐さが、民子の清楚な美しさを想像させる。

  寅さんでお馴染みの柴又帝釈天のすぐ東が江戸川である。ここには矢切の渡しがあり、対岸は柴又の都会と対照的に田園風景が広がっている。子供が小さいころ小さな船に乗り渡り、対岸の田舎道を歩いている。

  その先には小高い丘があり、ここが野菊の墓の舞台である。丘には野菊の墓文学碑がある。そして矢切の渡しは正夫と民子の最後の別れの場所となる。

  散歩しながら若い二人の悲しい物語を思い出し、若い時に読んだ名作を懐かしく感じる。

2017年10月13日金曜日

歯医者

DENTAL CLINIC
散歩の歩数 10921
(歯医者へも含む)

  昨年の引っ越し前に、前歯の被せた歯が外れたままになっていた。今朝、引っ越ししてきて初めて予約していた歯医者を訪れた。

  問診書を提出した後、まもなく治療となった。レントゲンを撮り即、治療の内容の説明があった。歯の上下のかみ合わせが悪く、前歯が下の歯に強く当たり治療した前歯がやられ、また下の歯もすり減っているとのこと。

  本日は、上の2本の前歯の根が残っているところに土台の歯が作られた。次からは、上前歯を完成させた後、下の歯のすり減ったところを被せることにより元の高さに修正する。かみ合わせをよくするため下の抜歯跡を盛り合わせし高さを調整するという。

  次回は一週間後で、しばらく歯医者通いになりそうである。本格的に歯医者に通うのは、ドイツ時代以来である。

2017年10月12日木曜日

ジョギング

久しぶりのジョギング
本日の歩数 4459
(内、約1kmはジョギング)

  30から40歳代の土日はトライアスロンをやっていた。その後も水泳、自転車、ジョギングとも時間が取れるときに楽しんでいた。しかし、昨年腰を痛めてから全く動けなくなった。毎日の腰痛体操のおかげでかなり腰痛も軽減し、歩く、自転車に乗ることは問題なくなってきている。

  しかし、ジョギングはまだ出来ないでいる。今日は湖畔公園だけを散歩したが、後半はジョギングを試してみた。

  実に1年半ぶりである。最初は少しずつ駈けだしたが腰に痛みは感じないことが分かった。 マイペースで駈け続けた。結局1kmくらいを走ることが出来た。

  これからの散歩には、ジョギングも加えることを考えたい。

2017年10月11日水曜日

酒井神社

坂本地区の旧北陸道
酒井神社の説明
酒井神社鳥居
本殿の説明
 本殿と舞殿
向かいにある両社神社
 両社神社鳥居
 本殿の説明
舞殿と本殿
散歩の歩数 8988

  西近江路(旧北国海道)は現在ではほとんどが国道161号線となっているが、坂本地区には旧北国海道も残っている。この旧北国海道には古い寺社も残っており、昨日訪問した聖衆来迎寺もその一つである。

  さらに近くには酒井神社もある。810年にこの近くの大きな石の間から酒が湧き出し、酒の精を大山咋命として祀ったのが始まりという。この神社も信長の比叡山焼き討ち時に焼失しているが、その後再建された。1月には五穀豊穣を願うおこぼ祭りが催される。

  その向かいには両社神社がある。この神社は高穴穂神社の祭神を酒井神社境内に勧請したことにより始まったという。1620年に酒井神社から独立して今に至っている。

  この旧北国海道には他にも社寺が多く、調べてみたいと思う。

2017年10月10日火曜日

聖衆来迎寺

国道161号線比叡辻
 
聖衆来迎寺の石標
 参道
表門の表示
 表門
 本堂
 本堂に掛かる表示
 客殿の説明
 客殿
 開山堂の説明
 開山堂
森可成の墓の表示
 森可成の墓
サイクリングの距離 16.2km

  国道161号線比叡辻の国道沿いに聖衆来迎寺がある。最澄が創建したといわれる寺で、森蘭丸の父で宇佐山城主であった森可成の墓があることで有名な寺である。

  サイクリングで訪れた。表門から境内に入る。表門は明智光秀が城主であった坂本城の門を移設したもの。境内には本堂、客殿、開山堂が並んでおり、表門も含めていづれも重要文化財に指定されている。

  文化財も多く、特に有名なのは往生要集に説く六道(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天)を絵画化した絹本著色六道絵である。

  そして開山堂左奥には森可成の墓がある。信長による比叡山焼き討ちの前年、森可成は浅井・朝倉軍との戦いでこの比叡辻で討たれた。その亡骸は、聖衆来迎寺の住職によってひそかに運び込まれて寺に埋葬されたという。

  比叡山焼き討ちの時には比叡山から坂本に至る地区の寺はほとんど焼かれたが、この寺だけは免れている。森可成の墓があったからではないかと伝えられている。

  本日も歴史の一端を知ることになり、ますます寺社を訪れることに興味がわく。

2017年10月9日月曜日

秋の昼顔

昼顔(柳川土手)
昼顔(柳川土手)
カタバミ(柳川土手)
 カタバミ(柳川土手)
夕食の栗ごはん
散歩の歩数 8785

  柳川の土手では相変わらず昼顔の花が咲いている。6月から咲き始め、暑い夏場も通り過ぎて元気に咲き続けている。生命力には感服する。

  一方、カタバミは春に咲いて、一時夏場には花をつけていなかった。秋になってまた花を開かせて、今満開である。

  コスモスパンパグラス彼岸花ススキなどに続き、花の鮮やかな色を鑑賞しつつ、虫の音を聞きながら秋の深まりを感じる。夕食には栗ごはんを食べ秋の味覚も満喫している。

2017年10月8日日曜日

福王子・大伴神社例祭

福王子・大伴神社例祭の掲示
しめ縄で飾られた福王子神社鳥居
 例祭の模様
 本殿の飾り物
 大伴神社への山道にある古墳
福王寺古墳群
 しめ縄で飾られた大伴神社鳥居
大伴神社境内
 本殿前の飾り物
 この地区は大伴家が多い
この地区は大伴家が多い
散歩の歩数 7960

  今日の散歩は近江神宮を詣でた後、福王子大伴神社の例祭を見に行った。

  例祭といっても出店などは全くなく、氏神として支える地区の人々が集まり、神主、巫女が神事を執り行うだけの行事であった。

  いつもは何もない境内であるが、鳥居にはしめ縄、本殿前には飾り物がつけられていた。

  大伴神社で参加している人に聞くと、大伴姓とのことであった。この地区は大伴姓が多く、大伴黒主とのつながりがあるのではないかと思う。大伴家持とは関係ないとのことであった。

  今日は秋晴れの良い天気で、近くの幼稚園では運動会で歓声が上がっていた。