Konpukuji at Ichijoji(一乗寺)in kyoto
Konpukuji related to Yosa Buson
Entrance to Hondo(本堂)
Hondo of Konpouji
Painting Scroll of Okuno-Hosomichi(奥の細道)by Yosa Buson
Portrait of Matsuo Basho by Yosa Buson
Garden of Temple
Red Leaves at Temple
Basho-An
Inside of Basho-An
Grave of Yosa Buson
Benten-Do founded by Murayama Takajo
本日は朝から京都に出かけて、一乗寺にある金福寺を訪れた。この寺は与謝蕪村ゆかりの寺で、お墓もこの寺の小高い丘に建てられている。
叡電一乗寺駅を降りて、東に歩いて30分ほどで金福寺に着いた。さすがここまでくると観光客はほとんどいない。
本堂に入るとこの寺に関係する資料が置いてあった。蕪村は俳句と共に絵画も得意としていた。有名なのは芭蕉の奥の細道を、文字と絵画で描いた「奥の細道画巻」で、その巻物も展示されていた。
そして芭蕉の肖像画も展示されており、蕪村が如何に芭蕉を崇拝していたがわかる。
本堂に座って庭園を鑑賞した。すでに紅葉が赤くなりつつあり、11月中旬くらいには鮮やかな紅葉庭園になるように感じた。
紅葉色 蕪村ゆかりの 金福寺
(もみじいろ ぶそんゆかりの こんぷくじ)
本堂を出て、庭の小山の奥にある芭蕉庵に向かった。かなり急な坂であった。松尾芭蕉は関西の各所も訪問し、俳句を残している。この金福寺にも立ち寄りその記念として芭蕉庵が作られている。
その後荒廃していたが、与謝蕪村がこの建物を再興したことにより今の姿として残っているとのこと。
蕪村は後半の人生を京都で過ごし、68歳で亡くなっている。芭蕉庵からさらに山を登ったところに蕪村の墓があった。
山を降りて寺の門を出たところには弁天堂があった。これは山村たか女が建てたものであるという。
たか女は彦根藩出身で幕府の隠密として活動していた。桜田門の変で井伊直弼暗殺事件の後勤王の志士に捕らえられたが、逃げてこの金福寺の尼として余生を過ごしたそうである。
たまに日本人の老夫婦に出会うくらいで人も少なく、京都らしい静寂の中の訪問であった。
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