Keihan-Otsukyo Station
Train of Keihan for Ishiyamadera
Keihan Biwako-Hamaotsu Station
Keihan Keishin Line
Keihan Train for Uzumasa-Tenjingawa
Keihan Misasagi Station
Walking Trajectory
(from Keihan-Misasagi Station to Seikanji)
Kazan-Do
Approach to Seikanji
Gate of Seikanji
Explanation of Seikanji
Main Hall of Seikanji
Autumn Leaves of Seikanji
Kogou-no Tsubone(小督の局)
Explanation of Yokyoku"Kogou"(謡曲小督)
Kaname Ishi(要石)
Landscape from Kaname-Ishi
Explanation of Kakko-Tei (Seikanji Tearoom)
Photograph of Kakko-Tei
(Dismantling due to Deterioration)
Kakko-Tei existed upper Pace of Bell Tower(鐘楼)
Monument of Saigo Takamori(西郷隆盛)
(Saigo had Conspiracy Meeting at Kakko-Tei)
Poem of Yosano Reigon (Father of Yosano Tekkan)
(Secluded Life of Reigon at Seikanji)
Photograph of Oil Painting
(Kuroda Seiki "Mukashi-Gatari")
Tomb of Emperor (Rokujo and Takakura)
京都には、マスコミではあまり報道されない紅葉の名所がある。東山の清閑寺である。本日はこの寺の紅葉を見に出かけた。
まずは京阪電車大津京駅から石山寺行電車で浜大津まで行く。ここで京阪京津線に乗り換え、御陵駅で降りた。
ここから歩いて国道1号線近くまで来ると、山道になる。まもなく旧東海道のトンネル
花山洞に至る。トンネルを抜けてさらに登ると清閑寺に着く。約50分の散歩になった。
参道の階段を登り切ると門があり、境内となる。本堂の前には紅葉が見られ、最盛期を少し過ぎた感じであった。
本堂には、菅原道真が梅の木から彫ったという本尊の十一面観音像が安置されているというが、お堂は閉じられており拝観することは出来なかった。
この寺の創建は802年で、高倉天皇の寵愛を受けた小督局(こごうのつぼね)が当時権勢をふるっていた平清盛により出家させられ晩年を過ごしたところである。
高倉天皇は平清盛の娘を皇后(建礼門院として晩年は
大原寂光院で過ごす)として迎えるが、平清盛は天皇が小督を寵愛するのに激怒し、小督を尼として清閑寺に送り込んだとの歴史である。
そして小督は毎日のように要石のあるところから御所を見つめて天皇を思い浮かべたという。ちょうど扇の要から広がるように京都が見えることから、要石という名がついている。
明治維新の時には、西郷隆盛がこの寺の茶室「郭公亭」で討幕の謀議をしたという。この茶室は今の鐘楼の上の場所にあったというが、今は老朽化により取り壊されている。石碑だけが残っていた。
与謝野鉄幹の父である与謝野礼厳もここに隠棲し、歌を残している。
さらには洋画家の黒田清輝は、清水寺を訪問した時清閑寺まで足を延ばし、住職から小督の話を聞き、「昔がたり」として絵を描いている。しかし本物は焼失し、今では写真が残っているだけとのこと。
高倉天皇は若くして亡くなり、清閑寺の山に御陵が作られた。その後小督は生き続け、高倉天皇の墓を守り、死後には高倉天皇の近くで眠りたいとの希望から、同じ山に埋葬されたという。
清閑寺 小督の悲恋 庭モミジ
(せいかんじ こごうのひれん にわもみじ)
紅葉を楽しむのみならず、清閑寺にまつわる歴史を色々知ることとなった。
この後、清水寺に向かった。