Explanation of Shidori Shrine
志賀八幡宮の少し北には倭神社という古い神社がある。
倭の読み方は「しどり」といい、天智天皇の皇后であった倭姫王(やまとひめおおきみ)を祀っているという。
この神社は古墳の上にあり、この古墳は赤塚古墳と呼ばれている。天智天皇御陵は京都山科にあるが、この赤塚古墳は倭姫王が埋葬されているともいわれている。
倭社に 天智の妻が 祀られる
(しどりしゃに てんちのつまが まつられる)
Explanation of Shidori Shrine
志賀八幡宮の少し北には倭神社という古い神社がある。
倭の読み方は「しどり」といい、天智天皇の皇后であった倭姫王(やまとひめおおきみ)を祀っているという。
この神社は古墳の上にあり、この古墳は赤塚古墳と呼ばれている。天智天皇御陵は京都山科にあるが、この赤塚古墳は倭姫王が埋葬されているともいわれている。
倭社に 天智の妻が 祀られる
(しどりしゃに てんちのつまが まつられる)
Otsu-City Buried Cultural Property Research Center
Special Exhibition
"Ancient Tom of Otsu and Peaple from Overseas"
Anou-Nozoe Aicient Tombs
Gold Utsurotama excavated from Anou-Nozoe Aicient Tombs
Oldest Top in Japan excavated 2 Years ago from Minamishiga Ruin
Top excavated again this Year from Minamishiga Ruin
Roofing Tiles excavated from Minamishiga Ruin
Earthenware (Sueki/須恵器)excaveted from Shigasato Ruin
Roofing Tiles excavated from Anou Ruin
Earthenware (Sueki/須恵器) excavated from Anou Ruin
Model of Horizontal Stone Chamber
(Tumulus Period/古墳時代)
Seta-Shijimi Clams excaveted from Awazu(粟津)Lake-Bottom Ruin
(about 4500 Years old/縄文時代)
ここ大津京駅近くの錦織、南滋賀、滋賀里、穴太、坂本にかけての山の斜面には後期古墳時代(1500~1400年前)の1000を超える古墳がある。
近年になって道路建設や宅地開発に伴い発掘調査が行われ、新しい発見となっている。その一つがこれら古墳群には、遠く大陸から海を越えて「渡り来た人々」渡来人との関りがあることが分かってきたことという。
日本書紀や古代の戸籍には、錦織から坂本にかけて大陸から移り住んだ渡来人たちを祖先とする志賀漢人と呼ばれる人々が暮らしていたと記録されている。
穴太村主、錦織村主、大友村主などに分かれていたそうである。(村主/すぐり、渡来人に与えられていた姓)
大津市埋蔵文化財調査センターでは、この志賀漢人との関りの強かった遺跡、遺構などの発掘結果を企画展として展示している。
667年に天智天皇は奈良飛鳥の地から大津京に都を移したが、先進的な知識と技術を持った渡来人が多く住む地域であったことも、遷都の理由の一つと考えられている。
企画展見学の帰り、センターの人から粟津湖底遺跡から出土した約4500年前(縄文時代)の瀬田のシジミをお土産にもらった。
京都伏見に住んでいた子供時代、瀬田シジミを売りに来ていた行商のおじさんを思い出した。シジミは味噌汁に入れており、その時から好きな食べ物である。
瀬田シジミ 縄文時代 同じ味
(せたシジミ じょうもんじだい おなじあじ)
ビーガンになって久しいが、シジミも最後に味わったのは2013年の夏、青森、秋田をドライブした時、青森十三湖のシジミ汁である。
味は今も縄文時代も変わらないものと思う。
一か月ほど前に昨年度の報道の自由についての世界ランキングで、日本は67位との情報を載せた。その後今年2022年度のランキングも報道されている。
今年はさらにランキングを下げて71位との位置づけである。
その理由は、大手マスコミと権力者との関係がさらにウインウインの状態になっていると指摘している。
報道が 独裁国家と 同じよう
(ほうどうが どくさいこっかと おなじよう)
マスコミは、司法、行政、立法の三権と並び、これら三権を監視する役目から「第四の権力」といわれている。しかし日本では行政からの圧力により、その役目をマスコミ自体が放棄して、行政に追従して久しい。
この指摘は日本の国民からではなく、国際的なジャーナリスト団体からの指摘である。コロナ禍の実態でもわかるように、国民は行政の都合の良い情報だけを鵜呑みにしている。
多くの国民がグーミン(愚民?)化しているようである。グーミンとは自分で真実を知る努力をしない人のことである。
いつも言っているが、基本的に教育から変えていかないと、日本の凋落は底なしになるのであろう。
ところで久米宏のラジオ番組が突然なくなって二年たつ。一昨年の6月、TBSラジオの最後の放送を聞いたが、番組終了の理由について何の説明もなかった。結局は行政からの圧力によりTBSが自主的に打ち切りとしたと考えざるを得ない。
この時以来、ラジオもクラシック音楽以外は聞くことはなくなった。もちろんすでにテレビ、新聞を見なくなって久しい。
Left Side is Yanagawa
昨年の8月下旬から始まった柳川の浚渫工事は、川から取り除いた砂が柳川河口の柳が崎湖畔公園に集められ、大きな砂山となっていた。
この春にはこの砂山の砂を運び出す作業が実施された。油圧ショベルで砂をダンプトラックに積んで、どこかに運んでいた。
5月末には砂山は完全になくなり、作業事務所、砂地補強用鉄板、そして最後には油圧ショベルも運び出されて、すべての工事が終了した。
柳が崎湖畔公園はもともと芝生がほとんどで湖の近くだけが砂浜であったが、流されてきた砂の一部が公園全体にばらまかれ、公園全体が砂浜に変貌している。
しかし、まもなくその砂の上にも植物が生えてくるものと予想する。
砂浜の 湖畔公園に 草生える
(すなはまの こはんこうえんに くさはえる)
大きな砂浜は、もうしばらくの景色となるだろう。砂浜も趣があって、しばらくは楽しめそうである。
大津館のツバメの雛は3羽いることが確認されている。孵化して一週間以上たって、ずいぶん大きくなった。
今年は巣が大きくなっており、3羽ならすし詰めではない。雛たちは余裕をもって巣の中に居る。
雛の数が少なく、親鳥が餌を与えるのは瞬間で、すぐに巣を飛び出していく。
あと一週間ほどで巣立ちになるものと思う。
巣立ちまで あと一週間 待ち遠し
(すだちまで あといっしゅうかん まちどおし)
コロナ禍になりこの数年大津館には観光バスがほとんど来ていなかったが、本日散歩中に観光バスが駐車しているところに出会った。
観光バスは足立ナンバーで東京からの観光客であった。イングリッシュガーデンや湖畔公園、それに大津館の見学・土産の買い物などを楽しんでいるようであった。
昨日の京都も修学旅行生が多く見られ、すでにコロナ禍は忘れられたような印象を受ける。
コロナ禍で 観光バスが 動き出す
(コロナかで かんこうバスが うごきだす)
この1月、2月の超過死亡が異常な数値を示していることについて、政府厚生労働省は原因は分からないとしてはぐらかしている。
その後の3月以降のデーターが出てこないので、はぐらかしたまま3月以降の超過死亡は公表しない可能性がある。
この数年の統計数値の改ざんを見ていると、またまた隠蔽・改ざんかと疑いたくなる。
コロナ禍はますます深刻な事態になっていると判断して、行動する必要があると考えている。
Zero Waiste Organic Supermarket Totoya
(Selling by Weight)
(kawaramachi Marutamachi in Kyoto City)
昨日からベルリンに住む知り合いの来訪があり、一泊して本日東京に向かった。
昼食後京都駅まで送って行った。その後河原町丸太町にあるスーパーマーケット斗々屋を、初めて訪れた。
この店は廃棄物を少なくするため必要な量を量り売りするする店で、またオーガニック商品を多く取り寄せている。
子供のころは量り売りの商品が多かったが、プラスチックの普及で何でも袋に入れられたものばかりになっている。
プラスチック公害が認識されてきて、ようやくこのような量り売りのスーパーマーケットも出現した。
野菜も量り売りで、また味噌、醤油、納豆、せんべい、お菓子などなど、子供時代を思い出す。
量り売り 子供時代を 思い出す
(はかりうり こどもじだいを おもいだす)
場所は荒神橋口南の河原町通りにあり、京都駅からはバスで行くことになる。本日はトウモロコシとオレンジを購入した。
帰宅後トウモロコシを蒸して食べた。甘くて美味しかった。しかし、ちょっと行くには不便であるためいつも買い物に行くことにはならない。このような店が近所にもできることを期待したい。
ところで、京都駅にはたくさんの修学旅行生が見られた。この数年京都市内では観光バスをほとんど見かけなかったが、修学旅行生が乗ったバスが連なっていた。・
まだコロナ禍は終息していないのに、心配なことである。