2017年4月20日木曜日

満月寺浮御堂

 日吉神社神馬仮屋地
 唐崎浜の戦い跡
 唐崎苑
北大津湖岸緑地
 芭蕉句碑
 芭蕉の句
 芭蕉句碑
北大津湖岸緑地(唐崎水泳場跡)
水泳場シャワー跡
ヨシ群落
 
ヨシ群落保全区域
 比叡辻漁港
(山王祭船渡御神輿上陸港、中央左 近江富士)
 若宮神社
 若宮神社
 満月寺(堅田)
 近江八景堅田落雁の場所
 浮御堂
 芭蕉の句碑(浮御堂が見える)
 芭蕉の句
句碑の説明
 出島灯台
 出島灯台
出島灯台の説明

  近江八景のうちまだ訪れていないのが堅田落雁の場所である。今日は、坂本から堅田への湖岸沿いを巡る。

  下坂本では、山王祭の船渡御の際、神馬を繋ぎとめた場所跡の碑がある。粟津の御供の後、神様が神馬に乗って日吉社に戻ったといわれている。

  また唐崎の浜には唐崎神社と共に、唐崎苑、北大津湖岸公園がある。唐崎苑は唐崎浜の戦いのあった場所との説明がある。後醍醐天皇と鎌倉幕府勢力との戦いで、天皇側が勝つ。その後2年で鎌倉幕府は滅びることになる。

  北大津湖岸緑地は昔は水泳場であったが、今は公園である。その南端には芭蕉の句碑が、北にはヨシの群生が広がる。

  その北続きには比叡辻漁港と若宮神社があり、山王祭の船渡御の粟津御供神事の後の神輿が上陸する場所である。

  堅田にかかる琵琶湖大橋の手前に、湖にかかるお堂、満月寺浮御堂がある。ここからの風景が堅田落雁である。この浮御堂が見える公園には芭蕉の句碑もある。芭蕉もここの門下宅を訪れ句を残している。

  さらに北に行くと、出島灯台がある。珍しい木で出来た灯台である。明治8年に作られているが、今でも点灯しているという。

  これで近江八景すべての景勝地を見て回ったことになる。これからもそれぞれの最適の時期に訪れると趣があると思う。

2017年4月19日水曜日

堂山

 湖南アルプス麓の田上公園
田上公園からの堂山(中央のピーク)
 鎧ダム上の砂地
 植樹の看板
 植樹された松
 砂地の奥左に堂山方向の表示
 堂山・新免方向に進む
 なだらかな道が続く
 なだらかな道が続く
 左に進む
 坂道になる
 急な坂道
 右に進む
 尾根沿いに歩く
 石の多いはげ山になる
 崖を登る
 一つのピークに達する
 さらに次のピークに向かう
(崖を這い上がる)
 崖を這い上る
 次のピークに達する
途中ピークからの琵琶湖方面
 ピークを半周する
 さらに次のピークに向かう
 次のピークからの琵琶湖方面
 さらに次のピークに向かう
 次のピークに達する
 そのピークから見える堂山頂上
 そのピークから見える近江富士(真ん中)
瀬田の夕照(唐橋)

  先日は湖南アルプスの堂山に行こうとしたが、鎧ダム上の砂地からの山道を間違えて全く異なる山に紛れ込んでしまった。再度トライすることにした。

  自転車で湖南アルプス麓にある田上公園に至る。この公園から堂山の頂上が見える。前回のルートを登り、鎧ダムに達する。

  ダムの上の砂地を歩いていると、左手に植林の看板がある。子供のころ来たときは、湖南アルプスといえば山全体が禿山であった。それ故アルプスといわれていたと思う。戦前、材木供出のため木を容赦なく伐採したためである。それから約60年、植林の努力で緑が戻っている。

  砂地の奥左に堂山の表示があった。左に折れ、堂山・新免方向のなだらか道を進む。かなり歩いた後、坂になってくる。だんだん急になり、回りには緑が少なくなり、岩の道になる。道は尾根沿いにピークが何回もある。尾根は昔の禿山の面影が残っている。

  4つのピークに至る坂道は崖であり、這って登る。ロープが用意されているところもある。それぞれのピークからは琵琶湖が望め、絶景である。北の方には近江富士も見ることが出来る。

  4つ目のピークに立つと、前方にもう一つピークが見える。これが堂山山頂と思われる。谷に下りてまた崖を這い上がる必要がある。もう体力が限界と感じた。尾根伝いに登り下がりして景色は楽しんだことで良いとして戻ることにした。

  同じ道を戻ったが、途中新免へ下りる道もあった。今度来るときには逆に新免から登ることも考えたい。

  麓に戻り自転車で帰る途中、後ろのタイヤがバンという音をたてて破損した。タイヤが古くなっていたようだ。仕方なく自転車を押して歩いた。

  黄昏時には瀬田の夕照の唐橋を渡り、自転車店があれば修理するつもりであったが、大津市内のホームセンターまで見当たらなかった。

  ホームセンターでもこのタイヤの在庫がなく、自宅近くの自転車店まで戻ってきてしまった。ここでも在庫がなく、取り寄せを依頼をした。結局自宅まで歩いて帰ってきた。約3時間の予期せぬウォーキングとなった。

  帰宅後WEBで調べると、前方に見えた最後のピークが堂山の頂上であることを確認した。最後はロープを使って岩をよじ登ることになるという。断念したのが正解であった。

2017年4月18日火曜日

大津市歴史博物館

 大津市歴史博物館
 玄関からの風景
(琵琶湖方向、中央 近江富士)
 伊香立にある新知恩院蔵の釈迦涅槃像
(パンフレットから)
近江八景の展示(パンフレットから)
 大津絵の展示(パンフレットから)

  三井寺北横の坂を上がると大津市歴史博物館がある。初めて見学することにした。大津市の歴史を旧石器時代から、現在までの展示をしている。

  大津に住んで1年が経ち、歴史に関する知識は増えている。今日はその知識を整理することもでき、また新しいこともいろいろ知ることになった。

  古墳時代の遺跡、弥生・縄文遺跡、大津京の話などすでに現場を見て回って頭の中に入っている。皇子山古墳百穴古墳穴太野添古墳なども説明されていた。

  大津京については、内裏の建物の遺跡は発掘され存在が確認されているが、大津京としての市街地跡は確認されていない。それ故、正確には大津宮と呼ぶのが現状では正しいようである。

  崇福寺、滋賀の里廃寺、宇佐山城壺笠山城坂本城大津城膳所城、延暦寺、三井寺石山寺義仲寺幻住庵、など大津市の歴史的展示説明がなされていた。

  最近発見されたのが、先日サイクリングした伊香立にある新知恩院(応仁の乱の時、京都知恩院が一時疎開していた)の釈迦涅槃像である。僅か12.8cmの小さな木造涅槃像である。この現物が展示されていた。

  非常に小さい涅槃像であるが、作者は快慶かその弟子ではないかといわれている。説明ではこの像は携帯移動可能なように小さく造り、どこでも拝めるようにしたのではないかという。

  近江八景の展示もある。これは中国の瀟湘(しようしよう)八景に模して定められた8景勝。比良の暮雪矢橋の帰帆石山の秋月瀬田の夕照三井の晩鐘、堅田の落雁、粟津の晴嵐、そして唐崎の雨夜である。すでに見て回ったところばかりである。

  特別展として、大津絵れきはく蔵出し展が開催されていた。大津絵は江戸時代に宿場の追分から大谷の界隈で売られていた名産であった。

  本来は仏画であったが、土産物として大衆化し美人画、役者絵、動物、鬼なども描くようになった。現物の大津絵が多数展示されていた。大津市内のいたるところに大津絵のタイル絵などがあり、日常の生活の中でも見ることが出来る。

  近代の展示の所では京阪電車、江若鉄道の歴史も紹介されている。子供のころにジーゼル車の江若鉄道に乗った経験もあり懐かしく感じる。また今住んでいる柳が崎が平成の初めまでは水泳場で賑わっていたという写真も展示されていた。

  水質の悪化により廃止されたとの説明であるが、広島三原時代に瀬戸内の水泳場で泳いだ経験のあるものからすると今でも十分泳げる水質ではないかと思うが。むしろ、昨年の夏経験した温暖化による水草の異常発生が理由のように思う。