2017年3月10日金曜日

比叡平2

道標
 左 比叡平への山道、右 舗装道路
比叡平への山道
途中の石垣
山道
途中の石垣
道標
竹林への川原道
川原
竹林
仙人草
仙人草?
藪椿
藪椿
山藤
山藤
丸太橋
登り道
青い鳥の谷台地
比叡平住宅を見ながら
(下は青い鳥の谷)
比叡平への最後の上り坂
青い鳥の谷
青い鳥の谷入口
比叡平住宅地
京阪バス停留所
(比叡平二丁目)
ルート山道に至る崖
間違えた登り道
右に折れた細い登り道が正しいルート

  自転車で出かけることもあり、今まで比叡平へは舗装道路を使っていた。今日は途中から山道ルートを歩いてみることにした。

  舗装道路を歩き、比叡平へ20分との道標の所から山道に入る。石垣がところどころに見られる道を登って行くと、道がはっきりしなくなる。先はかなりの崖であるが、這うようにして登る。まもなく山道に達した。

  その道を進むと、道標があり竹林への川原道との表示である。下を見ると川と竹林が見える。川へは下りないでそのまままっすぐ歩く。仙人草?、藪椿、山藤などの植物を見ながら、丸太橋に至る。

  橋を渡るとまた急な登り道になり、上がりきると青い鳥の谷台地に着く。青い鳥の谷に下りる道もあるが、谷に沿った山道をさらに上がる。谷の向こうには比叡平の住宅が見えるようになる。

  比叡平への出口(青い鳥の谷の入口)に出てくる。住宅の道となり、少し行くと京阪バスの比叡平二丁目のバス停に達する。このバス停は終点の一つ手前のものである。

  ここで引返し、帰りも青い鳥の谷入口から入り、今来たルートを戻った。途中崖を登ってきたところを確認しルートの山道を下ると、登りの時に道を間違えたところが分かった。途中右に折れて細い登り道を進むべきところを、まっすぐに行ったことが間違いであった。

  そして舗装道路のところに出て、そのまま近江神宮に下りた。歩いて行くなら舗装道路に比べて、この山道ルートの方が距離的にも短く、時間も半分くらいで行けることが分かった。これからの散策にはこの山道ルートを利用したいと思う。

2017年3月9日木曜日

銅版画

 西武百貨店大津店アートサロン
 清水敦銅版画展
銅版画展パンフ
 我が家の銅版画
(デュッセルドルフ旧市街)
我が家の銅版画
(デュッセルドルフ近くのベンラート城)
我が家の銅版画
(マルティン祭)
我が家の銅版画
(デュッセルドルフベルガーアレー)

  知り合いの息子さんが東京の画廊に勤めている。その仕事で大津西武百貨店のアートギャラリーで展示会をしているとのことで、いつもの買い物をした後訪れた。

  銅版画といえば線で描かれた単色の絵を思い浮かべるが、清水敦の銅版画は黄・赤・青・黒色で描かれた銅版画である。北海道の風景、生活の様子、静物、民芸品、植物など、30点ほど展示されていた。

  結構売れているようで、販売済のものもあった。息子さんにも会えるかと思っていたが、外出中とのことで残念ながら会うことは出来なかった。そういえば広島に住んでいた時には、広島の百貨店でも展示会があり、その時は出会っている。東京が本拠であるが全国を回って販売活動をしているそうだ。

  我が家にもドイツ時代に購入した銅版画があり各部屋に飾っている。ドイツの作者である Editha Hackspiel から直接買ったものである。住んでいたデュセルドルフの旧市街、デュッセルドルフ近くのベンラート城、毎年11月に行われるマルティン祭、それにライン川沿いの住宅を描いたデュッセルドルフベルガーアレーなど。

  これらドイツ人の作品と比べると、清水敦の作品は色鮮やかで立体感のある柔らかい雰囲気をもった銅版画であることが理解できる。

2017年3月8日水曜日

玄米餅

玄米餅米「でわのもち」
パン焼き器
(餅メニューで炊き始める)
餅用はねでこねる
玄米餅
玄米餅ぜんざい

  パン焼き器を使って玄米餅を作った。玄米餅米は山形産の有機栽培米「でわのもち」を使う。水洗後一晩水に寝かし、適量の水を加えパン焼き器に投入する。もちメニューにセットしてスタートをかけると、炊き始める。

  75分経ち、炊飯のあと半つきの状態で蓋を開ける。開けたままさらにはねでこね、15分後には完成である。取り出し、30gづつくらいの丸い形にする。ちょっと硬めの餅となった。

  早速ぜんざいを作り、焼いた餅を入れて食べてみた。玄米餅らしい香ばしさがあり上々の出来である。ちょっと硬めのため、次回は水の量をもう少し多くする必要があるようだ。

2017年3月7日火曜日

お墓参り

 渉成園
 渉成園の説明
長講堂
長講堂の説明
 連光寺
 連光寺の説明
 連光寺本堂
富小路通り(六条付近)
(右 連光寺)
ビルの中の墓地
本覚寺
本覚寺の説明
富小路通り(五条付近)
(左 本覚寺)
五条富小路の交差点

  今月下旬には東京へ出かける予定であり、お彼岸にはちょっと早いがお墓参りに行くことにした。JR京都駅から歩いて渉成園を通り、六条富小路に来る。

  この富小路通りにはお寺が多い。長講堂は平安末期に後白河法皇が晩年を過ごした六条殿内に建立された。法華経を長期間講じ阿弥陀仏を念じる道場であった。

  連光寺には関ケ原の戦、大阪の夏の陣で知られている長曾我部盛親の墓がある。夏の陣の後、徳川側に捕らえられ六条河原で処刑されたが、連光寺の住職が手厚く葬った。長曾我部一族はすべて処刑され長曾我部家は断絶したという。信長秀吉がやったことと全く同じである。勝てば官軍ということか。しかし、近年その生き残りがいたとの話があるそうである。

  そして我が家の墓地に至る。お寺の中にあるが、仏教・神道など宗派に関係なく埋葬されている。ビルの谷間にある墓地である。半年ぶりにお墓の掃除と、榊を供えてお参りした。

  五条通りの手前には本覚寺がある。この寺には源融(みなもとのとおる)の像が安置されている。嵯峨天皇の子であるが天皇にはなれず、この六条の地に六条河原院を作り優雅な生活をしていたという。源融は源氏物語光源氏のモデルといわれている。

  その後、四条通りに出て河原町から烏丸通りまで歩き、買い物をして、地下鉄、京阪電車で帰宅した。