2021年3月30日火曜日

Disassembling Sliding Door(ふすまの解体)

 

Disassembling and reassembling Sliding Door

Cycling 10108m (Homecenter Kohnan)
Walking 3637 m, 5196 Steps
(Homecenter Kohnan)

  昨日に続いてふすまの補修作業を実施した。ふすま紙をはぎ取り桟もバラバラにして、新しい縁に合うように寸法を小さくした。

  そして再度組み立て、ベニヤ板と桟をねじ止め、接着剤で固定した。とりあえず1枚だけ加工している。再度骨組みが完成したので、新たにふすま紙を購入し貼り付けに入る。

新ふすま 自分で作る 趣味のうち
(しんふすま じぶんでつくる しゅみのうち)

  1枚が完成すれば、同じ手順で残り2枚も加工する予定である。

2021年3月29日月曜日

Edge of Sliding Door(ふすまの縁)

 

Homecenter Kohnan (Old Doit)

19mm Square Lumber for Edge of Sliding Door
New Medical Center of Tokyo Women's Medical University
(Under Construction)
Cycling 12068 m (Old Doit)

Walking 3438 m, 4912 Steps
(Old Doit)

  昨日ふすまの補修を開始したが、縁に使う角材がないか調べに行くことにした。

  先日は新しく開業したコーナンを訪れたが、ホームピック、島忠なども調べた。適切なものがないため、一番遠い旧ドイト(今はコーナンに買収されている)にも足を延ばした。

  ここには19mmの角材があり、ちょうどふすまの寸法にあいそうである。サンプルとして1本購入した。

  帰宅後、角材を確認したところ使えそうである。しかし、ふすまを分解し、この角材に合うよう骨組みから変える必要があり、順次作業を進めたい。

  帰りの途中、近くに新しい東京女子医大東医療センターの建築現場があることが分かった。今は山手線田端駅近くにあるが、今年中には移転するという。

女子医大 医療センター 移転する
(じょしいだい いりょうセンター いてんする)

  遠くになるため、これからは世話になることはないと思う。

2021年3月28日日曜日

Repairing sliding Door(ふすまの修理)

 
Repairing sliding Doors in Tokyo Home

Cherry Blossoms from my Home


Cherry Petals on Balcony of my Home

No Walking due to Bad Weather

  本日は外出せず、懸案のふすまの修理に取り掛かった。すでに補強用のべニア板は購入していたので、それを加工する。

  今までのものは木の桟にふすま紙を張りつけただけのものであったが、変形しやすく戸として頑丈でない。それで、全面をベニヤ板で補強することにした。

  洋室側の面にだけ、木ねじでベニヤ板を張り付けた。これでかなりがっちりしたものになった。ただ、縁につける材料の適切なものが見つかっていない。

  東京滞在のうちに、再度いろいろなホームセンターで探し、ベニヤ板に新たにふすま紙を張りつけ縁をつけ完成させる予定である。

  我が家からも満開の桜を楽しむことができる。今日は天候が悪く、早くも花びらが散りだした。ベランダにはピンクの花びらが落ち、桜のシーズンもピークを越えたように感じる。

ベランダに 桜舞い散る 春の風

(ベランダに さくらまいちる はるのかぜ)

2021年3月27日土曜日

Walking along Meguro River(目黒川をウォーキング)

 

Meguro Station (JR, Metro, Tokyu)

Walking Trajectory

(Meguro Station, Nakameguro Station)

Walking 6.51 km, 9722 Steps

  東京は桜満開。本日は目黒川の桜を見に出かけた。

  目黒駅はJR、メトロ、東急の三つの鉄道駅である。20年ほど前は、毎日メトロ南北線で通っていたことがある。目黒川沿いのアルコタワーにある会社に勤めていたためである。

  そして、昼休みには目黒川沿いによく散歩したものである。春になると桜のピンクを特に楽しんだ。

  目黒駅から行人坂(You-Tube で権之助坂と説明したのは間違い)を下ると、ホテル雅叙園とアルコタワービルに至る。そこから目黒川の上流に向かって歩く。大変な人出である。


  東急中目黒駅まで、約40分ほどで着く。とくに中目黒駅付近は人人でごった返していた。


目黒川 花見の人出 心配す
(めぐろがわ はなみのひとで しんぱいす)

  コロナ禍の第三波もピークを過ぎたが、これだけ人の動きがあるとまた感染拡大が気になるところである。

2021年3月26日金曜日

Shibuya Eurospace Kinohaus(渋谷ユーロスペースキノハウス)

Shibuya Eurospace Kinohaus

 

Lobby of Eurospace Kinohaus

Inside of Eurospace Kinohaus

Walking around Shibuya Area
(Shibuya Eurospace Kinohaus)
Walking : No Record due to Soft Damage
(Estimated 5.7 km, 8507 Steps)

  本日は午後から渋谷に出かけた。渋谷駅から映画館であるユーロスペースに向かったが、道玄坂から入った路地の中は複雑で、映画館を見つけるのに時間がかかった。


  京都みなみ会館と同じような規模で、観客は我々と同じような年代の人が多かった。佐古忠彦監督の「生きろ 島田叡(あきら)」の映画を鑑賞した。

  先の戦争末期、アメリカ軍が沖縄に上陸する直前に沖縄県知事に指名されたのが島田叡であった。大阪に家族を置いて単身で沖縄に赴任している。

  アメリカ軍の上陸に備えて、大規模な疎開、米の確保などの施策を実施した。アメリカ軍上陸後は、壕(自然の洞窟)に移動しながら行政を続けた。

  証言者の話を挟みながら、県民が戦闘に巻き込まれ日々命を落としていき、軍部から理不尽極まりない要求と住民第一主義にの信念との板挟みに苦渋の選択を迫られる様子が語られる。

  壕を転々とし行政を指揮するが、軍部は組織としての活動を停止する。兵隊にはゲリラとして活動し続けるよう指示し、司令官自身は自決する。このため戦闘は終戦後も続き9月になってようやく終了することになる。

  県庁自体も解散を決断、部下、住民には自由に行動し生きながらえよとの言葉を残して、行方不明になる。住民にはアメリカ軍に投降しても危害を受けることはないとして生きろと伝えている。

  この時代、捕虜になるよりも自決や玉砕こそが美徳として人々は刷り込まれていた。証言者も、島田叡から生き続けよと直接言われた時には違和感を感じたという。戦後、刷り込まれていたことを認識することになる。

  この島田叡の発言で、壕に隠れていたたくさんの住民が投降し、命が助けられた。

  むしろ、壕の中で子供が泣くと居場所が分かるとして日本兵が子供を銃殺、白旗を上げて投降しようとする住民を日本兵が切り殺すなど、日本兵による残虐行為が行われていた。

  アメリカ軍が日本兵をどう扱うかという中で、助けられた住民からは殺してほしいという発言が多かったとの証言も紹介されていた。

  戦後、島田叡は自殺したとの証言も出たが、その場所には遺体は発見されなかった。今も真相は不明である。

  大阪の家族とは沖縄に赴任した後、会うことはなかった。赤紙一枚で招集され戦死した一庶民と同じように、戦争の悲劇であったと思う。

  権力者への忖度、隠蔽、不正、偽装、改ざんなど今も理不尽な出来事が多い。また原発の安全神話ワクチンのような医療行政オリンピックなど、国・マスコミから利権者の都合の良いように刷り込まれている時代でもある。

今にこそ 島田叡が 必要だ
(いまにこそ しまだあきらが ひつようだ)

  島田叡のような良心を貫く政治家、官僚がいてほしいものである。

2021年3月25日木曜日

Shimada Akira(島田叡)

 

Sako Tadahiko Director made Documentary Film (Live 生きろ)of Shimada Akira (Web News)

Walking 8719 m, 12457 Steps

(Home Center Kohnan)

  先日の WEB ニュースで、佐古忠彦監督が戦中最後の沖縄県知事「島田叡」のドキメンタリー映画「生きろ」を製作し、公開しているとの情報があった。

  島田叡という名前を初めて知った。記事によると戦中最後の沖縄県知事で、アメリカ軍が沖縄に上陸する寸前の時に知事に任命されたという。当時は選挙ではなく政府が知事を指名していた。

  沖縄で軍部は沖縄住民に対して玉砕覚悟の方針を徹底させるプロパンガンダを展開していた。今まで知っていたのは、それに従った住民の自殺行為であった。岸壁に追い詰められた住民が子供と共に、海に飛び込む当時の記録映画を昔何度も見ている。

  しかしその時に、「生きろ」と動いた知事がいたという。たとえアメリカ軍につかまっても、「生きろ」という。その背景に捕虜になっても、生き残れるとの真の情報を持っていたのではないかと推定する。

  軍部の方針に従えない場合、良心を貫き通すには苦渋の判断が必要になる。戦前の困難な時代にも、良心を貫き通した人物がいたということである。住民には「生きろ」と動き、本人は銃撃戦の中で行方不明になったそうである。

  先日のブログに書いた今の官僚の劣化現象に対して、良心ある官僚の苦悩と共通するものがある。

島田知事 戦時貫く 人の道
(しまだちじ せんじつらぬく ひとのみち)

  その生きざまをぜひ知りたくて、映画を見に行きたいと思う。調べると本日と明日、関東では渋谷ユーロスペースだけで上映されるという。関西では同時上映で、例の京都みなみ会館だけの公開である。

  今東京にいるので、明日渋谷へ映画を見に行くことにした。

2021年3月24日水曜日

Weeping Cherry Tree at Ookunitama-Shrine(大國魂神社の枝垂桜)

 

Weeping Cherry Tree at Ookunitama-Shrine in Fuchu City
Keio-Line Shinjuku Station
Keio-Line Fuchu Station
Walking Trajectory
(Fuchu Ookunimitama-Shrine)
Walking 7944 m, 11349 Steps

  府中にある大國魂神社の枝垂桜を見学した。昨年秋に訪問しているが、桜の季節は初めてであった。

  本殿前に大きな枝垂桜が植えられており、今満開で美しい姿を見せていた。

  本日は、新宿から府中までは京王線に乗っている。片道30分ほどの乗車であるが、その行程を動画にとり You-Tube に載せた。


  新宿と府中の間はビル、住宅が連なり、田園風景は皆無であった。40年ほど前に東京のマンションを購入する前にはこの辺にも出かけているが、田園風景が残っていたことを思い出す。

府中の地 40年前は 田舎町
(ふちゅうのち 40ねんまえは いなかまち)

2021年3月23日火曜日

Cherry Blossoms in Ogunohara Park(尾久の原公園の桜)

 

Metropolitan Ogunohara Park

Weeping Cherry Tree in Okugahara Park

Walking 5746 m, 8209 Steps

(Ogunohara Park)

  本日は枝垂桜で知られている都立尾久の原公園を散歩した。すでに枝垂桜は満開に近い。


  もともとこの公園の場所は、化学会社アデカの最初の操業工場であった。その工場閉鎖の跡にできた公園で、その跡地西には東京都立大学健康福祉学部もできている。

  昔の化学工場では有害物質に対する認識が甘く、土壌に染み込んだ有害物質がそのままになっている場合が多かった。ここも閉鎖後公園になってから、調査して汚染が発見されている。

  この話、豊洲市場の事件と同じである。汚染されていることは工場側は知っていたはずである。東京都もよく調査せずに購入したということである。

  結局、税金で対策工事が実施されている。完全に土を入れ替えてはおらず、土は掘り返さないでとの注意がきもあるという。今後も漏れ出しの心配は残っており、行政のいい加減さには言葉もない。

  そんな心配をよそに、桜はきれいな花を咲かせている。これらの桜には近所の方々の寄贈者の名前も記載されている。

土壌汚染 それでも桜 ピンクの花
(どじょうおせん それでもさくら ピンクの花)

  昨年に続いて、花見の宴は禁止されている。散策だけでも春の気分は楽しめる。

2021年3月22日月曜日

Walking along Syakujii-River(石神井川をウォーキング)

 

Otonashi-Shinsui-Park in Ouji

(Syakujii-River)

Nakajuku(仲宿・旧中山道)

Walking Trajectory 1 (Ouji, Syakujii-River)

Walking Trajectory 2 (Syakujii-River, Itabashi)

Walking Trajectory 3 (Itabashi, Nakajuku, Shimoitabashi)
Walking 10408 m, 14869 Steps

  昨年秋に王子の音無親水公園を訪れている。流れる石神井川を少し散策しているが、本日は可能な限り上流に向かってウォーキングすることにした。

  音無親水公園の桜はすでに咲いており、ほぼ満開に近い。秋は紅葉であったが、石神井川にそって桜も植えられている。

  土手には野花も咲いており、ビルに囲まれた川であるが、自然もちょっぴり味わえる。

  1時間ほど歩いて、旧中山道仲宿に着いた。石神井川に架かっている橋を板橋と称している。ここは板橋宿のあったところで、今は商店街になっている。

  ここまでの動画を You-Tube に載せた。

(2) Walking along Syakujii-River from Ouji to Nakajuku 1(石神井川をウォーキング 1) - YouTube

Walking along Syakujii-River from Ouji to Nakajuku 2(石神井川をウォーキング2) - YouTube

 王子から 石神井川の 土手続く

(おうじから しゃくじいがわの どてつづく)

  商店街を通り過ぎて、東武鉄道東上線の下板橋駅から、池袋経由で帰宅した。

2021年3月21日日曜日

Degradation of Bureaucrat(官僚の劣化)

 
Cherry Blossoms in front of my Home in Tokyo
Tokyo University Professor Mr. Makihara explained Cause of Bureaucrat Degradation (WEB News)

 No Walking due to Bad Weather Condition

  本日は一日、雨と強風で外出ができず、春嵐といったところであった。

  しかしすでに家の周りの桜は花をつけだした。咲き始めといった所でこれから桜のシーズンとなる。

  一日家で過ごしたが、 インターネットニュースで一つの記事に気が付いた。「何が日本のエリート官僚をここまで劣化させたのか」という題で、東京大学教授の牧原氏が日本の保守政治が続く中での原因について論じている。

  安部政権下で表面化した「モリ・カケ・サクラ」(森友・加計学園・桜を見る会)問題をめぐり、各省の高級官僚たちが政権を守るために公文書の破棄、隠蔽、虚偽答弁などを平然と繰り返す様を見せつけられている。

  野党から公開を求められたその日に関係者総出で関連証拠を一斉にシュレッダーにかけたうえで、国会の場でその文書はルールに則り適切に処理したという嘘を平然をつく官僚。

  また管政権下でも、総務省の接待スキャンダルで、官僚たちは当たり前のように「記憶にございません」などという答弁を繰り返している。

  この言葉は、ロッキード事件の国会証人喚問において、宣誓下で虚偽答弁すれば議院証言法違反に問われることを恐れた国際興業の小佐野社主が連発したことで有名になった。

  少なくとも戦後史に残る大疑獄事件で、天下の政商と呼ばれた小佐野氏のような曰くつきの人物が初めて口にすることが許される台詞であって、役所が日日の業務を遂行する上で発生した不都合な事実を隠蔽するために、国会という言論の府で平然と口にしていいような台詞ではない。

  ロッキード事件、リクルート事件、佐川急便事件などの「政治とカネ」をめぐる疑獄事件を経て、1993年以降の四半世紀をかけて制度改革が実施された。

  小選挙区制、政党交付金の導入、政治資金規正法の強化などである。これにより、政治家個人の人の力は党へと集約され、個人としての活動ができなくなっている。

  2014年には内閣人事局が設置され、官僚の幹部クラスの人事権を掌握することになる。政権の命令には忠実に従うようなヒラメタイプの官僚を官邸内の重要ポストに登用することになる。

  政治の劣化とともに、官僚の劣化の最大の原因は制度と共に、絶大な権力を手中に収めた首相にあるとの見解である。

  しかし、このような政治家を選んでいるのは国民である。官僚を選ぶことはできないが、政治家は選ぶことができる。

政治劣化 官僚劣化 同じ道

(せいじれっか かんりょうれっか おなじみち)

  我々が何をすべきかは自ずと分かってくる。