Organic Market Miidera
Cycling 5964 m
(Miidera)
Organic Market Miidera
Cycling 5964 m
(Miidera)
Cosmos and Usayama from Yanagawa
Moving Distance 13.4 km
(Yamashina-Mujirushi)
Walking 1764 m, 2521 Steps
毎日の散歩で宇佐山は常に景色に入ってくる。この頃は秋の風情を楽しんでいる。
柳川から、コスモスの花、菊の花ごしに緑の山が見える。近江神宮への神宮道からも紅葉を見ながらの宇佐山である。
神宮へ 紅葉見つつ 宇佐の山
(じんぐうへ こうようみつつ うさのやま)
Number of infected People a day was Maximum
Walking 5779 m, 8256 Steps
(Usual Course)
一日当たりの全国のコロナ感染者数が昨日は最大になったという。本日も同じような感染者数である。
特に、東京、大阪など大都市と北海道が多く、第三波の感染となっている模様。収まるどころか、ますます広がっている。これは欧米でも同じである。
欧米も規制緩和を実施したとたん、また爆発的感染が起こっている。日本も GO TO キャンペーンなどの影響が出ていると見てよい。
コロナウイルスは世界中に充満し、規制を厳しくすると減り、緩和すると増えるという鼬ごっこになっている。今後もこの状態が続くのであろう。
しかし日常では生活していく必要があり、可能な限りリスクを少なくして、最小限の活動はせざるを得ない。
世界的にマスクが普及したが、この効果については今年初めから内海聡医師はウイルスに対しては意味がないと言っていた。欧米ではマスクする習慣はなかったが、このごろは殆どの人がマスクをつけている。それでも感染者が激増している。日本でも同じである。
皮肉にも、マスクをするしないではその差がないことが証明された。感染予防には、とにかく密を避けることではないかと思う。
コロナ禍の 抜本対策 密無くす
(ころなかの ばっぽんたいさく みつなくす)
この意味で、東京、大阪などの大都市の込み具合を解消することが、抜本的対策と考える。都市集中を分散型に変えていく方策を検討する時期ではないか。
Hydoroplane flying above Biwa Lake
Panel Exhibition in Otsukan
Mitsuhide and Usayama Castle
Mitsuhide burnt Mt. Hiei
Mitsuhide and Sakamoto Castle
Mitsuhide fought at Biwa Lake
Akechi Hiroko (Wife of Mitsuhide)
Honnouji Incident
Samanosuke (Younger Brother of Mitsuhide)
crossed Biwa Lake riding Horse
Walking 6463 m, 9234 Steps
(Usual Course)
NHK「麒麟がくる」展の他に、大津館では2階のロビーで光秀に関するパネル展を続けている。おそらく今年いっぱいは展示しているものと思う。
毎日の散歩で宇佐山の麓の近江神宮に出向いているが、その宇佐山には城があった。もともと森可成(森蘭丸の父)の城であったが、朝倉・浅田軍との戦いで討ち死にし、その後光秀が城主になった。
歴史に残る信長の比叡山焼き討ち事件は、信長に命じられた光秀が、この宇佐山城から出陣して、実行している。
この時延暦寺のみならず、西教寺など周辺寺院も焼き払ったという。
宇佐山城はその後廃城となり、光秀は新たに信長から坂本城を与えられている。その時、良心の呵責からか、すぐに焼き払った西教寺を再興している。
本能寺の変の後光秀亡き後は、西教寺が手厚く葬り、西教寺は明智一族の菩提寺となった。
この他、明智左馬之助の湖水渡りの説明もある。散歩コースは、歴史のおさらいができる道でもある。
光秀の 歴史横切る 散歩道
(みつひでの れきしよこぎる さんぽみち)
(Kiringakuru by NHK)
Main Area Mitsuhide was active
Last Moment of Mitsuhide
(Daughter of Mitsuhide)
(Temple with Mitsuhide Family Grave)
Walking 6396 m, 9138 Steps
(Usual Course)
本日から、大津館でNHK「麒麟がくる」の全国巡回展が開催された。
散歩の途中に立ち寄った。光秀の足跡をパネルにて展示、現在放送中の大河ドラマもテレビモニターに写していた。
興味があるのは2点で、妻煕子が死んだ時期と、山崎の戦いの後ほんとうに伏見で死亡したのかである。
歴史としては、煕子は本能寺の変の後坂本城で自害したとなっている。また光秀も伏見で農民に殺されたとなっている。今回の展示も、この歴史に従っている。
しかし別の情報によると、煕子は本能寺の変の前に病死したという資料、光秀は山崎の戦いの後逃げ延びて延暦寺の僧になり人生を全うしたという説などがある。
光秀は 延暦僧で 生き延びる
(みつひでは えんりゃくそうで いきのびる)
死んだのは身代わりの進士作左衛門という具体的な人名まであげられている。
今回のドラマは従来の定説の歴史をそのままたどるのか、定説を覆す話になるのか、興味深い。
結末を見守りたい。