2016年9月5日月曜日

明智佐馬之助湖水渡り

湖水渡りの説明(打ち出浜)
天正十年の石碑
 明智左馬之助湖水渡りの石碑
 背後は打ち出浜琵琶湖文化館
湖水渡り(打ち出浜から柳が崎へ)
駒止めの松の説明(柳が崎)
駒止めの松
明智佐馬之助の石碑
 駒止めの松石碑

  柳が崎湖畔公園の駐車場近くに駒止めの松がある。本能寺の変の後明智光秀が殺され、その娘婿(弟とも云われている)の明智左馬之助は攻めていた安土城から坂本城に逃げ帰る。しかし、打ち出浜で豊臣勢力に出くわし、苦肉の策として打ち出浜から馬に乗ったまま柳が崎まで湖を渡ったという。

  打ち出浜から柳が崎まで馬は浮き沈みしながら湖水を渡ったが、その打ち出浜と馬を繋いだという柳が崎には石碑が建てられこの出来事があったことを伝えている。

  その後左馬之助は坂本城にたどり着くが間もなく豊臣勢力に包囲され、坂本城は炎上し妻、並びに光秀妻子などとともに自害している。

  今年は真田丸ブームであるが、戦国時代の明日も知れない世界での逸話の一つではないかと思う。坂本城に戻るとき、一番乗りで駆け込んだ家来がいた。左馬之助はその家来に、私もお前と同じように先陣を切って戦ってきたが、その行き着く末はこのように死んでいくことになる。このような武士の人生よりも別の道で生きて行くようにとの言葉を残し、300両の餞別を与えたという。その家来は戦いの後生き残り商人として安泰な人生を送ったそうだ。

  いつの時代も、一時的な栄華を極めるという生き方よりも、人間らしく生きる別の道があることを知らしめる話である。今の時代では、武士に相当するのが政治家のようだ。しかしいまの政治家には、昔の武士のような潔い生き方がないのは残念に思う。

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