五木寛之作の「孤独のすすめ」
サイクリングの距離 10.2km
昨年の引っ越し時、
断捨離を徹底した。70歳を迎え終活の意味もあり、大きな家具のみならず、電化製品、小物、衣類、本、書類など家にあるものすべてを見直した。
加えて人のつながりについても、現役時代の人間関係はなくし、親戚と僅かな友達以外は年賀状のやり取りも止めた。おそらく来年の年賀状はわずかなものとなるはずである。
両親が亡くなった後、家の整理に大変困った経験がある。人生で一番忙しい時に亡くなっている。家財道具の他、庭には物置2個、仕事部屋には無数の道具、備品などがあった。
地理的に離れているためしょっちゅう家に来ることは出来ない。明日は出張しなければならないという時に整理するのは難しい。結局、家の中にあるものすべての処分も含めて二束三文で不動産業者に売却した。今だったら十分に時間があり、一つ一つ調べて整理し、売却など出来るのであるが。
断捨離の際にはタンスなどの大物をまずは処分し、この数年使っていないものはすべて処分した。案外書籍・書類が多いが、これも基本的にすべて処分した。唯一残したのはアルバムである。
最近「孤独のすすめ」という本が売れているという。読んでみると、人生50歳(今は60歳と思う)を過ぎると、下り坂を歩むことを自覚して孤独を楽しむとよいという。山登りの登り坂では景色を楽しむ余裕はないが、下り坂では楽しむことが出来る。人生も同じで、登りの人生前半の思い出を回想することにより、人生の下り坂を楽しく降りられるという。
そこで昔を回想するにはいろいろな思い出のものを残しておいた方が良いという。しかし、自分が亡くなった後の子供のことを考えると余計なものを残すわけにはいかないと思う。アルバムだけでも残したのは正解であったのかもしれない。
もちろん人生の上り坂でも、トラウマになるような苦い経験もたくさんあるが、それも含めて楽しむということと思う。時たまアルバムを見ることはあったが、今までは一人で
音楽を聞いたり、
演奏したりするのが楽しみであった。これからは加えてアルバムも開けたいと思う。パソコンが普及してからはメモリーに入っており、ほとんどスペースをとらずに大量の写真・動画が残っている。新たな発見もあるかもしれない。
孤独の意味には、群れないという意味も含んでいる。これからの日本は極端に言えば、60歳以上の人が働き盛りの人より多くなるような状態になるということである。僅かな若い人が年金生活者を支えるという前代未聞の事態が現実となる。年金生活の老人が群れて世の中を闊歩しているのを若者が見て、嫌老意識が出てくる心配があると指摘する。
下り坂の人生を自覚して孤独の生活を楽しむのが、これからの老人の進む道との話である。嫌老意識が顕在化すると、年金負担者と年金生活者との間で階級闘争のような世界になると危惧している。
一方でそのような世の中にならないよう、年金生活者でも収入のある人は、年金の返上も考えるべきではないかと主張している。全く同感である。