2016年11月1日火曜日

宇佐八幡宮

 宇佐八幡宮登り口
 鳥居
 鳥居付近から見た琵琶湖方面
 御足形の説明
 御足形
 参道坂

表参道 
 金殿井
 霊泉井戸
 
階段
 
手水舎
 宇佐八幡宮本殿
 由緒書
本殿横の鳩置物
奉納された鳩置物
 境内
 舞殿
 階段(下り)
宇佐山城址への道表示
 宇佐山城址への道表示
野生の鹿
野生の狸(山中越に向かう道で)

  宇佐山の麓に近江神社があり、その中腹には宇佐八幡宮がある。源頼朝5代前の源頼義が平安時代中期に館を構えて住み、そこに九州大分の宇佐宮を勧請しこの錦織地区の氏神として祀った。毎年9月中旬には950年続くという伝統の夜祭が行われる。

  近江神宮横の坂道を登ると間もなく宇佐八幡宮の入口に至る。かなり急な坂を上がり鳥居を通り過ぎると、右手に御足形という石が見られる。この石に鳩が来てこの社の建立に導いたとして祀られている。

  そして表参道の途中には金殿井がある。天智天皇が病気になったときこの泉の水で癒したと伝えられている霊泉である。

  さらに急な階段を上がりきると本殿に達する。本殿横には建立のもとになった鳩の置物が奉納されている。本殿の近くには宇佐山山頂に至る登り道があり、その山頂には織田信長が築城した宇佐山城跡がある。

  帰り階段を下りる途中、先の方に野生の鹿が現れた。かろうじて写真にとれた。先日は狸にも出会っており、自宅から歩いて行けるところが自然のままで楽しめるのはうれしく思う。イノシシ、猿、さらにもう少し北に行ったところでは熊も出るというがまだ出会うことはない。

2016年10月24日月曜日

京都みなみ会館

 京都みなみ会館
会館入口
 会館内部
 シュガーブルースの看板
近くの東寺の五重塔

  世界遺産東寺の五重塔の近くに京都みなみ会館がある。小学生の頃はまだテレビは普及しておらず、映画産業が繁栄していた。特に子供にとっては正月にはお年玉をもらって映画を見に行くのが楽しみであった。その一つの映画館がこの京都みなみ館であった。

  映画産業の衰退によりとっくの昔にこのみなみ館も閉鎖されているものと思っていた。しかし、今でも健在であることを知った。場所は昔と全く同じところで営業を続けている。昔は邦画の封切り映画を上映し、結構賑わっていたと記憶する。

  今は世界の知る人ぞ知るという貴重な映画を毎日、それも1日の内でも何種類という題目の映画を上映している。今回観ることになったのはチェコの監督によるドキュメント映画であるが、これも朝の2時間だけでその他の時間はまた違った映画を上映している。特にテレビなどのマスコミで宣伝される映画ではないが、注目される映画ばかりのようである。

  鑑賞した映画は「シュガーブルース」である。自分自身の体験からの白砂糖の害についてのドキュメンタリー映画である。この映画の影響ではないが、10年前の病気以来マクロビ料理を食べるようにしている。砂糖もそれ以来とることをやめている。甘味はメイプルシロップ、果物などでとるようにしている。

  この映画を観て、今の食生活が私には正解であることをさらに認識することとなった。感染症による疾病以外の病気、例えばがん、糖尿病、内臓疾患、循環器系疾患、アルツハイマー病、膠原病、精神疾患、いろいろなアレルギーなどはすべて、大気汚染、食品添加物、ストレス、日常の食べ物などに原因があるのであろう。

  たばこもその原因の一つとしてWHOが指摘して半世紀以上経つ。今、世界でたばこ受動喫煙も避ける対策が進められている。公共の施設では禁煙となりつつあるが、日本はまだ分煙にとどまっている。とはいえ、その対策がようやく具体化していることは好ましいことである。

  さらに最近WHOは世界に向けて砂糖販売に税金をかけるよう推奨している。砂糖の害が認識され、その消費を減らす狙いがあるようである。さっそくポルトガルが砂糖税の検討を開始している。これは国民の健康を考えてのことであろうが、加えて国家財政窮乏の国であり、税金収入を増やそうとするもくろみもあるような気がする。

  日本の医療費はさらに増加することが予想されている。特に糖尿病、高コレステロールなどの慢性疾患には大量の薬が投与されており、医療費の大きな負担となっている。国民の健康と医療費の削減には砂糖の消費を減らすのも対策の一つではないかと思う。このような思いを強くさせる鑑賞であった。

2016年10月10日月曜日

鴨川公園

 鴨川公園
鴨川と高野川の合流点
亀の飛び石
鴨川から見る大文字山
 鴨川土手
 川床(南に向かって)
 川床(北に向かって)
 和装の女性
 鴨と白鷺
秋の雲

  今日は体育の日。秋晴れの良い天気で鴨川をサイクリングすることにした。

  下賀茂神社の南に鴨川公園がある。ここは鴨川と高野川の合流地点で、京都の人々の憩いの場となっている。休日でもありたくさんの人々が出かけていた。ここでは大文字山も望むこともできる。

  南に向かって土手をサイクリング。三条、四条付近には川床もある。夏場にはたくさんの人々で賑わうのであろう。和装姿の女性観光客も散策を楽しんでいる。外国人も非常に多くなっている。

  川面には鴨、白鷺も戯れている。上を見上げると、秋を象徴するうろこ雲が青空に白い模様を描いていた。

2016年9月28日水曜日

マクロビ丸スコーン

 マクロビ丸スコーン
丸型抜き型
丸型抜き残スコーン
三年番茶

  ケーキの抜き型が引っ越し以来不明であったが、ようやく見つけた。そこで早速、丸型スコーンを作った。

  今までは延ばした生地をスケッパで四角にカットしているので生地のロスは出ない。しかし丸型に抜くとどうしても生地のロスが出てくる。残生地をまた集めても、スコーン断面特有の口の開きが出来ないことは経験している。このため生地の切り抜き残はそのまま焼くことにした。

  材料、作り方はマクロビミニスコーンと同じである。200℃のオーブンで15分焼き完成である。この頃は紅茶をやめて、三年番茶に豆乳を加えてお茶の時間を過ごしている。スコーンの味とマッチし大変美味しい。

2016年9月13日火曜日

義仲寺

義仲寺門
「義仲寺」の説明
 芭蕉の木
芭蕉の墓
「芭蕉の墓」の表示
 木曽義仲の墓
「木曽義仲の墓」の表示
木曽八幡社
 木曽八幡社
 朝日堂への道
朝日堂
 翁堂
翁堂
 伊藤若冲の天井画
巴御前塚
巴地蔵堂
 巴地蔵堂

  におの浜近くにある西武百貨店にはよく買い物に出かける。この辺りは昔粟津ケ原といわれたところである。その一角に義仲寺がある。

  ここは木曽義仲と松尾芭蕉のお墓のあることで知られている。不思議な組み合わせであるが、芭蕉が大阪御堂筋で亡くなるとき義仲寺に葬ってほしいと遺言した。亡くなった後、亡骸は弟子により船で淀川を伏見まで上り、ここ義仲寺に運ばれたという。

  木曽義仲は平氏を打ち破った後、今度は義経などの軍勢と戦いここ粟津の地で討ち死にする。亡骸は義仲寺に埋葬されたが、その墓を手厚く供養したのが側室である巴御前である。その義仲の墓の隣に芭蕉の墓がある。芭蕉は武士の世界での敗れた者に対する情を感じていたようで、その中でも義仲は別格だったのだろう。

  翁堂には芭蕉座像が安置されているが、その天井には伊藤若冲の天井画「四季花卉」が描かれている。義仲寺の本尊のある朝日堂、鎮守の木曽八幡社、巴御前塚があり、寺の入口には巴御前を追福する巴地蔵堂がある。

  小さな寺であるが、歴史的には興味深い出来事を思いめぐらされる場所である。

2016年9月5日月曜日

明智佐馬之助湖水渡り

湖水渡りの説明(打ち出浜)
天正十年の石碑
 明智左馬之助湖水渡りの石碑
 背後は打ち出浜琵琶湖文化館
湖水渡り(打ち出浜から柳が崎へ)
駒止めの松の説明(柳が崎)
駒止めの松
明智佐馬之助の石碑
 駒止めの松石碑

  柳が崎湖畔公園の駐車場近くに駒止めの松がある。本能寺の変の後明智光秀が殺され、その娘婿(弟とも云われている)の明智左馬之助は攻めていた安土城から坂本城に逃げ帰る。しかし、打ち出浜で豊臣勢力に出くわし、苦肉の策として打ち出浜から馬に乗ったまま柳が崎まで湖を渡ったという。

  打ち出浜から柳が崎まで馬は浮き沈みしながら湖水を渡ったが、その打ち出浜と馬を繋いだという柳が崎には石碑が建てられこの出来事があったことを伝えている。

  その後左馬之助は坂本城にたどり着くが間もなく豊臣勢力に包囲され、坂本城は炎上し妻、並びに光秀妻子などとともに自害している。

  今年は真田丸ブームであるが、戦国時代の明日も知れない世界での逸話の一つではないかと思う。坂本城に戻るとき、一番乗りで駆け込んだ家来がいた。左馬之助はその家来に、私もお前と同じように先陣を切って戦ってきたが、その行き着く末はこのように死んでいくことになる。このような武士の人生よりも別の道で生きて行くようにとの言葉を残し、300両の餞別を与えたという。その家来は戦いの後生き残り商人として安泰な人生を送ったそうだ。

  いつの時代も、一時的な栄華を極めるという生き方よりも、人間らしく生きる別の道があることを知らしめる話である。今の時代では、武士に相当するのが政治家のようだ。しかしいまの政治家には、昔の武士のような潔い生き方がないのは残念に思う。