JR琵琶湖線安土駅
駅前の地図
前方に見える繖山(きぬがさやま)に向かう
繖山ほとりの道標
(瓢箪山古墳、桑実寺、文芸の郷)
桑実寺への坂道
観音正寺、桑実寺方向の石標
階段が続く
桑実寺の門
門からの風景
安土城考古博物館、文芸の郷の方へ歩く
安土城考古博物館、信長の館、文芸の郷
田園風景が広がる
(すでに田植えは終わっている)
安土城址への道
(前方が安土山)
安土城跡の説明
空撮した安土山全体写真
石塁と大手三門の説明
石塁と大手三門の跡
東側石塁北上段郭と虎口の説明
安土城址の全景
本日の歩数実績は14508歩
歩いた距離は7.07km
消費エネルギーは2542キロカロリー
帰宅直後の血圧
今日は安土城址付近を訪れた。JR琵琶湖線安土駅から歩いて、まずは繖山(きぬがさやま)にある桑実寺、観音正寺の方に歩いた。晴天であるが黄砂の影響か、もやっている感じがする。
繖山の麓には道標があり、桑実寺の方向に登る。途中から階段になり、桑実寺の門に至る。ここからの景色を見ながら休憩を取った。桑実寺を通りさらに階段を上がると、西国三十三観音32番の観音正寺に行けるが時間がかかるので諦めて、下山し安土城址に向かった。
田園風景の中、文芸の郷、信長の館、安土城考古博物館を通り過ぎ、安土城址に達した。織田信長が武田勝頼を長篠の戦で打ち破った翌年、1576年から畿内、東海、北陸から最新の技術を持った職人をかき集めて築城した。
三年後には天守が完成し、信長が住み始めている。そしてその三年後には本能寺の変が起こり、すぐに焼失することになる。まもなく廃城となり今に至っている。
城主として君臨した信長は、禁足を破って近くの桑実寺に参拝した女中たちと、その女中たちを擁護した桑実寺の高僧達を殺害したという。歴史に名を遺した人物であるが、一方では信長の残虐性を示す歴史的事実をまた知ることとなった。
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