2017年10月19日木曜日

フェノロサ

法明院の石標
法明院への山道
法明院への階段
法明院客殿
庭園、フェノロサ墓地への入口
フェノロサの墓(ロンドンの墓と分骨)
フェノロサの説明
ヨーガ・スートラを初めて英訳したウッズ博士の説明
ウッズ博士の墓
散歩の軌跡
 散歩の歩数 9111
法明院の高度 170m

  アメリカはマサチューセッツ州生まれでハーバード大学出身のフェノロサは日本の美術を世界に紹介したことで有名である。イギリスロンドンで客死し、ロンドンと大津に分骨されて埋葬されている。

  今日の散歩は、フェノロサの墓のある法明院に向かった。三井寺の北、長等山の中腹にその寺はある。山道を歩き、階段を登ると法明院の客殿に達する。その左横には庭園の門がある。門をくぐり庭を通り過ぎて、登り道を上がるとフェノロサの墓に至る。

  フェノロサは明治初めに日本に来て東京大学で教鞭をとり哲学などを教えている。日本の美術にも興味を持ち教え子の岡倉天心と共に東京美術学校(現在の東京芸術大学)の設立に尽力している。

  アメリカに帰国後は、マサチューセッツ州ボストン美術館東洋部長として日本の美術の発掘紹介に貢献している。その後には岡倉天心が東洋部長として活躍しており、ボストン美術館には天心を記念した天心園が造られている。

  なぜフェノロサの墓が大津にあるか。滞在中に法明院で受戒していることから、遺志によりこの地にも埋葬された。

  フェノロサの墓の隣には、ヨーガ・スートラを初めて英訳したウッズ博士の墓もある。ヨガは日本へは空海が伝えたといわれているが、ウッズの日本人弟子が日本語訳しており、明治時代にもアメリカ人を通じてその原典を学ぶこともあったようである。

  今回この人物の名前を初めて知ったが、今腰痛体操を毎日続けておりそのほとんどはヨガである。ありがたく拝んで帰宅した。

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