2018年6月11日月曜日

株主総会

定時株主総会の通知
来場記念品廃止の通知
 大津中央郵便局で配当金の受け取り
 大津中央郵便局へ自転車で出かける
 本日の散歩 2.97km、5772歩


  午後一番に大津中央郵便局へ配当金の受け取りに出かけた。

  現役時代に勤めていた会社の自社持株会で購入していた僅かばかりの株を所有していることから、毎年株主総会の案内が来る。

  何年か前にその株主総会に出ているが、大きなホールの席がほとんど詰まっていた。総会そのものはシャンシャンで終わっている。出席しても意味がないのでもう行かないことにしている。

  いつもは自社製品をお土産に配っていた。しかし、今年からそのお土産も無くすという。それを目当てに来ている人もいるようであり、今年は出席者が減るのではないかと予想する。

  今年も株主総会には行かないが、ただ年に二回僅かでも配当金が入るので、これは受け取ることになる。本当に小遣い銭である。

  税金、健康保険などの支出からすると僅かではあるが、少しは慰めになる。

2018年6月10日日曜日

ボヤ

 6月10日放送のTBSラジオ
「安住紳一郎の日曜天国」
本日の散歩 5.66km、8919歩

  毎週、日曜日はTBSラジオの「安住紳一郎の日曜天国」を聞いている。

  本日の番組の最初に先日TBS本社でボヤがあったとの報告があった。14階のエアコンの漏電が原因のようである。

  安住アナウンサーは出張で不在であったが、TBSの社員は一斉に地上に避難して大変な騒ぎになったという。

  14階より下にある放送施設では通常通り放送は可能で、放送には影響なかった。

  ところで現役時代同じようなボヤに二回出くわしている。まだ30代の時、東京飯野ビルで仕事をしていたが、地下食堂街の厨房から出火、煙がビル全体に充満した。原因は厨房ダクトの油汚れに引火したものであった。

  7階で仕事をしていたが、隣の日比谷公園に避難している。階段を降りる時には煙で前がほとんど見えないが、何とか逃げられた。この出来事はテレビニュースでも報道されている。

  そして二回目は、三原、岩国の会社を任せられている時である。通常は三原にいるが、その時は岩国に来客があり会議に出席するため、三原から岩国へ新幹線で移動中の時であった。

  携帯に電話が入り、岩国工場が燃えているとのこと。そのまま急いで工場に入ったがすでに現場の敏速な消火活動で大事には至らずボヤで済んでいた。原因はエアコンの漏電であった。

  出火と同時に消防局に連絡が行き消防車が入ったため、後の聴取など後始末が大変で会議は中止とせざるを得なかった。

  全国的に火事の原因は、現在は放火が一番多いとのこと。その次が漏電のようである。日常の漏電チェックでOKでも、設備が古くなれば定期的に部品交換することが必須であると悟った事件であった。

  今日は、現役時代の苦い経験を思い出す日となった。

2018年6月9日土曜日

五條會館

 五條會館の位置(高瀬川五条下がる)
 高瀬川
 歌舞練場小道の表示
 五條會館(旧五條楽園歌舞練場)
 開花堂の入口
 ショウウインドウの茶筒
 高瀬川船廻し場跡
高瀬川船廻し場跡の説明
今日の散歩 10.15km、9471歩

  一週間前、八坂神社御供社を見た後、バスで四条河原町まで乗り、そこから高瀬川沿いに南下し京都駅の方に向かって歩いた。

  五条を過ぎると、昔の五條楽園の地区に入る。昔は入口にアーチ状の大きな看板があったことを覚えているが、今はなにもない。南下して行くと昔の面影はなく、普通の下町風情である。

  ところどころに昔の旅館のような建物も残っているが、営業はしていない。すっかり変貌していた。

  唯一その面影として残っているのが五條會館であった。ここは昔、五條楽園歌舞練場であったという。芸妓と娼妓が混在する花街にあって、芸妓が舞う場所であった。今は地区の集まりなどに利用されているようである。

  京都の遊郭は、島原とこの五条地区にあった。島原は公家、武士のためのもので、五条は町民のためのものであった。

  島原は今も歴史遺産として角屋などが残っているが、ここ五条は遺産として残されているものはない。唯一この五條會館が過去の痕跡を残すものになっている。

  さらに南下すると高瀬川船廻し場跡に来る。京都中心街と淀川伏見を結ぶ海運のために作られた川であるが、船廻しをした場所として石碑が置かれている。

  そして茶筒で有名な開花堂があった。本体筒と蓋の精密なはめ合わせで蓋が自重でゆっくりと下がっていく茶筒である。ウインドウにはその製品が並べられていた。

  今回は立ち寄らなかったが、近くには任天堂発祥の建物も残されている。京都は歩くことにより、いろいろな歴史を知ることになり興味は尽きない。

2018年6月8日金曜日

ガン

ガン罹患数(男)の年推移
(国立がん研究センター資料)
ガン罹患数(女)の年推移
(国立がん研究センター資料)
本日の散歩 5.02km、7745歩

  同い年の知り合いがまたガンで亡くなった。昨年も同い年の知り合いが食道ガンで亡くなっている。学生時代の同級生が夭折しているのも、そのほとんどがガンであった。

  ガン、膠原病、アレルギー、パーキンソン病などの難病が急激に増えだしたのは1972年以降という統計がある。日本経済が飛躍的に成長している時期に相当する。

  そして、この十年ほどでさらに急激に増加し、今では成人二人に一人はガンになるという。

  経済成長に伴い、大気汚染、食品添加物、農薬、化学肥料、食肉用飼料、養殖魚、最近では福島原発事故による汚染などなど、それまで量的にも少なかった化学物質が大量に世の中に出回ることになった。

  これら有害物質が直接これら病気の原因とは決めがたく、世の中には禁止されないままさらに増え続けている。

        たばこでさえ、世界的にその害が指摘され受動喫煙も含めた対策が進められつつあるが、全面禁止には至っていない。

  急性毒性がはっきりしている化学物質以外の有害と思われる物質については野放しの状態で、対策されているのはガン検診の指導だけである。早期発見はガン死亡の対策にはなるが、ガンそのものを撲滅することにはならない。

  ガン細胞は正常な人でも常に発生しているといわれる。ガン細胞が出来ても免疫機能によりガン細胞は破壊されガンにはならない。しかし免疫力が下がってくると免疫細胞が負けて、ガン細胞が増殖することになる。

  私の場合にも、ガンと診断される3年ほど前に帯状疱疹にかかっている。これはすでに免疫力が下がっていたことの証拠であった。

  ガン細胞は、選択的に動物性養分を吸収して増殖する。かかっていた元京大の先生、またコンタクトのあるイタリアの先生などが指摘している。これは医学的にすでに証明されているとのこと。ガン細胞の増殖を抑えるには動物性食品を取らない方がよいという根拠である。

  免疫力低下の最も大きなものは睡眠不足である。私の場合も現役時代あるプロジェクトで忙しく、夜12時ころ帰宅し朝5時には起床し出かけるという日々が続いていた。いつの間にか免疫力が低下していたということである。

  たばこのみならず有害物質を取り込まない努力と、免疫力維持に努める日々を過ごすことがガンにならない鉄則と考えている。

  前述の元京大の先生は、いろんな努力をしても睡眠不足になれば水の泡となるということを強調しておられる。

  さらに、昨日のWEBニュースで東京湾河口のセシウム量に高い数値が観測されているという。この影響も気になる所である。

  原発事故以後、農水産物の許容値は従来よりも随分高く設定され、基準値内と称して市場に出回っている。人への影響は無視して、むしろ出荷できるように許容値を引き上げているといっていい。

       しかし、つくば研究所でのガイガーカウンター測定では針が振りきれ測定不能であった。激しく汚染されており、少なくとも東京以東の東日本の農水産物を食べる気にはならない。

  これからも50年、100年と、放射能汚染の人体実験が続いていくということである。

        公の情報は当てにはならず、自分でいろいろな事実を調べて判断して行動することが必須な時代となっている。

  なぜなら犠牲になるのは結局、自分であるから。

2018年6月7日木曜日

柳川の鮎

琵琶湖に流れる柳川
鮎の稚魚(動画)
本日の散歩 5.58km、8809歩

  昨夜来の雨が上がり、今日は曇り空である。いつもの散歩コースを歩いたが、柳川には今年も鮎の稚魚が泳ぎ始めた。

  昨年は6月19日、20日にプログに載せている。10日ばかり早く姿を見ることになった。

  昨年に比べて姿が大きい感じであるが、まだ数は少ない。これからもっと増えるのであろうか。楽しみである。

2018年6月6日水曜日

エッセンフィルハーモニー

 エッセンフィルハーモニーのメンバー
 オペラハウスオーケストラボックス
(エッセンフィルハーモニーが演奏する)
 観客席
本日の散歩 5.3km、8239歩

  本日は一日雨であった。ようやく梅雨入り宣言が出された。昨年より1日早い。来月の祇園祭くらいまでは雨模様の日が続く。

  ところで、先日エッセンフィルハーモニーのホルン奏者の日本人の方が亡くなったとの訃報を受けた。大腸がんであったという。

  ドイツに住んでいた時、娘のバイオリンの先生のご主人であった。同い年で、しかも京都出身ということでそれ以来お付き合いが続いている。

  以前は毎年のようにエッセンを訪れているが、最後は3年前に滞在した時であった。自宅を訪問し夕食を共にさせていただいた。

  その時にはすでにリタイアされて、ベルリンにいる孫の成長が楽しみと云っておられた。娘さんもバイオリニストで活動されており、演奏旅行の時などは孫をエッセンに引き取り世話しているという。

  日本人である奥様が来月に一時帰国するとの連絡があり、また琵琶湖でお会いしいろいろお話を伺うつもりでいる。

  3年前は全くお元気であったが、その後病魔が襲ったようである。急な話で信じられないがまことに残念である。

  ご冥福をお祈りし、合掌。

2018年6月5日火曜日

十八神社

十八神社鳥居
 十八大明神の扁額
十八神社本殿
本日の散歩 5.88km、9152歩

  昨日は三室戸寺を散策したが、本堂の左奥階段を上がったところに十八(いそは)神社がある。この本殿も重要文化財に指定されている。

  祭神は大物主命、熊野樟日命、手刀男命の三神が三室村の産土神として祀られ、もともと三室神社といった。

  840年に智証大師が三室戸寺を創建するにあたり、本山の鎮護神として十五神を合祀して、十八神社と称するようになったといわれている。

  今は三室戸寺に参拝する人がほとんどであるが、位置的にも三室戸寺の上にあり、昔はこの地区の信仰としてはこの十八神社の方が重要な位置づけであったそうである。