五條會館の位置(高瀬川五条下がる)
高瀬川
歌舞練場小道の表示
五條會館(旧五條楽園歌舞練場)
開花堂の入口
ショウウインドウの茶筒
高瀬川船廻し場跡
高瀬川船廻し場跡の説明
一週間前、八坂神社御供社を見た後、バスで四条河原町まで乗り、そこから高瀬川沿いに南下し京都駅の方に向かって歩いた。
五条を過ぎると、昔の五條楽園の地区に入る。昔は入口にアーチ状の大きな看板があったことを覚えているが、今はなにもない。南下して行くと昔の面影はなく、普通の下町風情である。
ところどころに昔の旅館のような建物も残っているが、営業はしていない。すっかり変貌していた。
唯一その面影として残っているのが五條會館であった。ここは昔、五條楽園歌舞練場であったという。芸妓と娼妓が混在する花街にあって、芸妓が舞う場所であった。今は地区の集まりなどに利用されているようである。
京都の遊郭は、島原とこの五条地区にあった。島原は公家、武士のためのもので、五条は町民のためのものであった。
島原は今も歴史遺産として角屋などが残っているが、ここ五条は遺産として残されているものはない。唯一この五條會館が過去の痕跡を残すものになっている。
さらに南下すると高瀬川船廻し場跡に来る。京都中心街と淀川伏見を結ぶ海運のために作られた川であるが、船廻しをした場所として石碑が置かれている。
そして茶筒で有名な開花堂があった。本体筒と蓋の精密なはめ合わせで蓋が自重でゆっくりと下がっていく茶筒である。ウインドウにはその製品が並べられていた。
今回は立ち寄らなかったが、近くには任天堂発祥の建物も残されている。京都は歩くことにより、いろいろな歴史を知ることになり興味は尽きない。
0 件のコメント:
コメントを投稿