2016年9月28日水曜日

マクロビ丸スコーン

 マクロビ丸スコーン
丸型抜き型
丸型抜き残スコーン
三年番茶

  ケーキの抜き型が引っ越し以来不明であったが、ようやく見つけた。そこで早速、丸型スコーンを作った。

  今までは延ばした生地をスケッパで四角にカットしているので生地のロスは出ない。しかし丸型に抜くとどうしても生地のロスが出てくる。残生地をまた集めても、スコーン断面特有の口の開きが出来ないことは経験している。このため生地の切り抜き残はそのまま焼くことにした。

  材料、作り方はマクロビミニスコーンと同じである。200℃のオーブンで15分焼き完成である。この頃は紅茶をやめて、三年番茶に豆乳を加えてお茶の時間を過ごしている。スコーンの味とマッチし大変美味しい。

2016年9月13日火曜日

義仲寺

義仲寺門
「義仲寺」の説明
 芭蕉の木
芭蕉の墓
「芭蕉の墓」の表示
 木曽義仲の墓
「木曽義仲の墓」の表示
木曽八幡社
 木曽八幡社
 朝日堂への道
朝日堂
 翁堂
翁堂
 伊藤若冲の天井画
巴御前塚
巴地蔵堂
 巴地蔵堂

  におの浜近くにある西武百貨店にはよく買い物に出かける。この辺りは昔粟津ケ原といわれたところである。その一角に義仲寺がある。

  ここは木曽義仲と松尾芭蕉のお墓のあることで知られている。不思議な組み合わせであるが、芭蕉が大阪御堂筋で亡くなるとき義仲寺に葬ってほしいと遺言した。亡くなった後、亡骸は弟子により船で淀川を伏見まで上り、ここ義仲寺に運ばれたという。

  木曽義仲は平氏を打ち破った後、今度は義経などの軍勢と戦いここ粟津の地で討ち死にする。亡骸は義仲寺に埋葬されたが、その墓を手厚く供養したのが側室である巴御前である。その義仲の墓の隣に芭蕉の墓がある。芭蕉は武士の世界での敗れた者に対する情を感じていたようで、その中でも義仲は別格だったのだろう。

  翁堂には芭蕉座像が安置されているが、その天井には伊藤若冲の天井画「四季花卉」が描かれている。義仲寺の本尊のある朝日堂、鎮守の木曽八幡社、巴御前塚があり、寺の入口には巴御前を追福する巴地蔵堂がある。

  小さな寺であるが、歴史的には興味深い出来事を思いめぐらされる場所である。

2016年9月5日月曜日

明智佐馬之助湖水渡り

湖水渡りの説明(打ち出浜)
天正十年の石碑
 明智左馬之助湖水渡りの石碑
 背後は打ち出浜琵琶湖文化館
湖水渡り(打ち出浜から柳が崎へ)
駒止めの松の説明(柳が崎)
駒止めの松
明智佐馬之助の石碑
 駒止めの松石碑

  柳が崎湖畔公園の駐車場近くに駒止めの松がある。本能寺の変の後明智光秀が殺され、その娘婿(弟とも云われている)の明智左馬之助は攻めていた安土城から坂本城に逃げ帰る。しかし、打ち出浜で豊臣勢力に出くわし、苦肉の策として打ち出浜から馬に乗ったまま柳が崎まで湖を渡ったという。

  打ち出浜から柳が崎まで馬は浮き沈みしながら湖水を渡ったが、その打ち出浜と馬を繋いだという柳が崎には石碑が建てられこの出来事があったことを伝えている。

  その後左馬之助は坂本城にたどり着くが間もなく豊臣勢力に包囲され、坂本城は炎上し妻、並びに光秀妻子などとともに自害している。

  今年は真田丸ブームであるが、戦国時代の明日も知れない世界での逸話の一つではないかと思う。坂本城に戻るとき、一番乗りで駆け込んだ家来がいた。左馬之助はその家来に、私もお前と同じように先陣を切って戦ってきたが、その行き着く末はこのように死んでいくことになる。このような武士の人生よりも別の道で生きて行くようにとの言葉を残し、300両の餞別を与えたという。その家来は戦いの後生き残り商人として安泰な人生を送ったそうだ。

  いつの時代も、一時的な栄華を極めるという生き方よりも、人間らしく生きる別の道があることを知らしめる話である。今の時代では、武士に相当するのが政治家のようだ。しかしいまの政治家には、昔の武士のような潔い生き方がないのは残念に思う。

2016年8月31日水曜日

イングリッシュガーデン

イングリッシュガーデンの看板
大津館から見たガーデン入口
 ガーデン入口建物
 ボーダーガーデン
 ノットガーデン
ノットガーデン(大津館3階から)

大津館の紋章
展望ガゼボ
 花壇
 薔薇
 ガーデンから見えるミシシッピー船
 薔薇花壇

睡蓮池

睡蓮池と大津館

池の睡蓮
モネの睡蓮池(フランスジベルニー)
睡蓮(フランスジベルニー)

  大津館の横にはイングリッシュガーデンがある。花壇のメインは薔薇であるが、睡蓮、桜、チューリップ、モクレン、シャクヤク、フジ、ボタン、アヤメ、ラベンダー、アジサイ、クレマチス、ハーブ類、ダリアなどなど。咲く花は季節によりいろいろである。この季節、薔薇と睡蓮が花をつけていた。

  花壇の先には展望ガゼボがありここからは花壇を全貌できる。その真ん中に睡蓮の池がある。フランスジベルニーのモネの睡蓮池の超小型版である。同じように太鼓橋もあり真似をしたのではないかと思われる。可憐な睡蓮の花が咲いていた。

  大津館のすぐそば、ガーデンの角にノットガーデンがある。大津館の紋章である結び目を模したものである。大津館3階からはその形を確認することが出来る。

  入園料は320円であるが、65歳以上は160円である。入園者も少なくゆっくりと過ごせるガーデンで、これからも散歩を兼ねて季節、季節に訪れたいと思っている。

2016年8月14日日曜日

伊藤若冲

 
錦天満宮鳥居
錦小路通
錦市場
錦市場
伊藤若冲生家跡
 伊藤若冲の説明
 象
鳥、花
 犬
 魚
 鶴
 伏見人形
 野菜
 蛙、蝶
 虎
鸚鵡

  京都の中心街四条通の北、東西に高倉通から寺町通に至る錦小路通に有名な商店街、錦市場がある。今日は買い物に京都に出かけ、錦市場も訪れた。京都の台所と言われるいつもにぎわっている商店街であるが、この頃は特に外国からの観光客で混み合っている。

  若冲はもともとこの市場の青物商の主であったという。商いをしながら絵も独学で描き続けた。現在、若冲の生誕300年を記念して各地で展覧会が開かれている。ここ錦市場でも生誕300年の行事として、アーケードに若冲の絵を描いた垂れ幕を飾っている。また若冲の生誕場所、略歴などが説明されている。

  有名な鶏をはじめいろいろな動物、魚、野菜、植物、伏見人形など。本物のようなち密さはないがその雰囲気は伝わる。

  話はかわるが、東山通りで雷を伴った激しい夕立にあい、軒先で雨宿りした。西洋人と日本人の若者2人も一緒であった。話しかけたところ、その西洋人はフィンランドの若者で、現在日本で金属工芸を習っているという。富山大学に芸術関係の学部があり、日本人の若者もそこで学んでいる。京都見学に来ているとのことで若冲にも興味があり若冲展を見に行くところとの話であった。

  私はドイツデュッセルドルフに住んでいたことがあり、フィンランドにも何回も訪れたことがあると話したところ、小学生の頃はデュッセルドルフに住んでいたとのこと。当時アメリカンスクールに通っていたとのことで、我が娘も同時期に同じ学校に通っていたことを思い出した。世の中狭いものである。