Nobel Peace Prize of 2024 is NihonーHidankyou
自然科学分野のノーベル賞は日本からはもう出ないと予想しているが、自然科学以外の分野ではこれからも受賞があり得るようである。
昨日、今年のノーベル平和賞は日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に与えられるとの発表があった。平和賞はスエーデンではなく、ノールウエーで決められる。
今までも日本被団協はノーベル賞候補には上がっていたというが、アメリカをはじめとする国間の思惑から決めかねていたものと思う。
広島長崎の被爆はアメリカが落とした原爆の犠牲者であり、アメリカにとっては気分良いものではない。ノールウエー側に何らかの決断があったのではないかと推定する。
核兵器のみならず戦力があるから戦争が可能になる。完全な平和を確立するには、究極は核兵器のみならず兵力を無くすることが必須である。
核兵器とともに軍備を持つことにより平和は維持されるとの考え方もあるが、兵力をもっている限り必ず戦争は起こるというのが歴史的な現実である。
現に、ウクライナ、中東などで沢山の民間人が亡くなっている。ロシアにしてもイスラエルにしても国を守るための戦争と主張し、戦火を拡大している。
戦争は侵略を公言して始まるものではない。戦争は防衛のためであるとして始まっている。戦前の日本も同じであった。アジア諸国を侵略しますとは一言も公言していない。国及びアジアを守るためと国民を鼓舞して戦争は泥沼に入って行った。
防衛のためなら戦いは地球上で認められた当然の権利であるという考え方がある限り、戦争はこの地球からは無くならないと断言できる。
原爆をはじめ先の戦争の悲惨さから、戦後日本国憲法では「すべての戦力を永遠に持たない」とした。しかし御用学者の「憲法を超えて、人類にとって防衛力は認められたものである」という説明を背景にして、防衛力だけなら憲法違反ではないとして自衛隊が強化されてきている。
ノーベル平和賞はすでに佐藤栄作元首相が核三原則(核を持たない、製造しない、持込ませない)を堅持したということで受賞している。
その流れを継いでいる政府は、被爆者をはじめ多くの人々が要望する核拡散防止条約を批准していない。今の政権は全く矛盾した行動をしている。
今回のノーベル平和賞に政府は祝辞を述べているが、それが誠なら一刻も早く核拡散防止条約を批准する方向で動くべきと考える。
世界平和を沢山の人が望んでいるが、世界平和を叫ぶだけでは戦争は続く。この世から核兵器を始めとする兵器を無くすると主張することだけが、平和という言葉を使える資格があると考える。
平和には 防衛用も 武器なくす
(へいわには ぼうえいようにも ぶきなくす)
武器があることから平和が保たれているとか、この世界から武器を無くすることは不可能であるという見方が多いが、武器を無くすることが不可能という事ならこの地球から永遠に戦争は無くならない。
防衛のためと称して、今も戦争が続いている。