2018年5月11日金曜日

今治城

 今治城跡の石碑
 吹揚神社石標
 城内の配置図
 鉄御門の説明
 鉄御門
 高麗御門跡の説明
 高麗御門跡(灰色に塗られたところ)
勘兵衛石の説明
勘兵衛石(城最大の石)
藤堂高虎像
藤堂高虎は今治を含む伊予半石の領主であった
 天守と藤堂高虎像
天守閣入口の櫓門
 天守閣
 吹揚神社の説明
 吹揚神社鳥居
 拝殿門
本殿
堀(海とつながっており海水)
 堀では海の魚が泳いでいる
 ヒラメ
本日の散歩 7.61km、10903歩

  昨日朝はレストランマグノリアへ行く前に時間があったので、今治城を見て歩いた。今まで何回も今治に来ているがこの城を見学することはなかった。

  入口には今治城跡と刻まれた大きな石碑がある。入口道の反対側には吹揚神社の石標もある。

  道を進むと鉄御門に来るが、説明によるとこの門の前にはもう一つ高麗門があったという。今ではそのあった位置に灰色で印がつけられていた。

  そのすぐ突き当りの石垣に巨大な石が使われている。勘兵衛石と呼ばれ、今治城の築城奉行であった渡辺勘兵衛にちなんだ名前で呼ばれている。

  二の丸・三の丸跡の広場には藤堂高虎の像がそびえる。関ケ原の戦いで功績を上げて徳川家康から今治も加増され、伊予半国の領主となった。そして今治城を築いている。

  天守閣にも入れるのであるが、時間が早くまだ開館しておらず横にある吹揚神社にお参りした。

  この神社はもともと今治市内に鎮座していた四つの神社を明治になって合祀したもの。その後、藤堂高虎も祀られている。

  神社を出たところで小学生たちが先生の指導のもと社会調査しており、インタビューを受けた。どこから、目的は、などであった。関西から観光に来たと答えた。ウォーキングしている人が見られることから、近くの人のみならずそんな遠くからも来ていると驚きの反応であった。

  城を出て、堀も歩いた。堀は海とつながっており、ヒラメも見られた。ちょうど潮が引きつつあるところで堀の水が少なくなりつつあった。

  昨日はこの後、玉川にあるマグノリアに向かった。

2018年5月10日木曜日

マグノリア

 
マグノリアは鈍川温泉手前玉川にある
 マグノリアの看板
 マグノリアの建物
 マグノリアの説明板
 周辺の風景
 マグノリアの玄関
レストラン内部
厨房と販売棚・机
 サラダ
 カレーセット
 オニオンスープ
ヨモギプリン
二階のギャラリー
二階のギャラリー
本日の移動軌跡
(今治、新居浜、別子銅山跡、淡路島、京都東)
本日歩いた距離 13.29km、7364歩

  朝から車で今治の南西にある玉川上流の方向に出かけた。30分ほどで上流にあるダム湖、玉川湖に着く。目的のレストラン、マグノリアは田園風景の中、その途中にあった。

  引き返してマグノリアに入った。二階建てのきれいな洋風建物で、一階がレストラン、商品売り場、二階がギャラリーになっている。絵は抽象画が展示されていた。

  本日のランチを注文した。まずはサラダが出てきたが、何とも言えない旨みのある味付けであった。

  メインはカレーセットである。カレーと玄米、それにインド風天ぷら、オニオンスープがついている。

  動物性、乳製品、それに砂糖は全く使わず植物性だけの料理である。

  カレーは今までのマクロビレストランのカレーと違って、少し辛めの味付けであった。レンズ豆を使っておりこの豆の旨みが出て美味しい。

  天ぷらはインド風ということでカレー味になっていた。当然材料は野菜である。

  デザートにはヨモギのプリンを注文した。初めて味わうヨモギ味のプリンである。これも乳製品など動物性は使用していない。

  帰りに弁当として、ハンバーグ、サンドイッチ、トルチーア、それにおやつとしてケーキをテイクアウトした。

  昼食を満喫して、新居浜にある別子銅山跡マイントピア別子を見学して、鳴門大橋、明石大橋を渡り帰宅した。

  今回のドライブは走行距離、トータル約900kmであった。帰宅するまでに、弁当、ケーキはほとんど食べてしまった。

  天候も良く、また連休を避けたので車も少なく人にまみれることもなく、味を楽しむドライブであった。

2018年5月9日水曜日

しまなみ海道

新名神高速道路(高槻 ~ 神戸JCT)
しまなみ海道をドライブ(尾道 ⇒ 今治)


多々羅大橋の石標
 多々羅大橋
 瀬戸内海
来島海峡大橋からの瀬戸内海(動画)
本日の移動軌跡
(京都、三原、尾道、今治)
 歩いた距離 4.55km、8430歩

  本日は今治に向けてドライブである。京都東から名神高速道路に入り、高槻で新しく開通した新名神に乗り換える。

  そして山陽道を走り、三原に着いた。ここは10年ほど前に住んでいたところ。市内を見て回ったが、旧商店街はシャッター通りになり、別の場所に新しい建物が立ち、すかっり変わってしまっていた。

  すぐに尾道向島からしまなみ海道を走る。三原在住の時には何度も走った道である。この街道は10年前と変わりはない。この間は刑務所脱走犯が隠れていたところで有名になってしまった。

  向島大橋に始まり、因島大橋、多々羅大橋などを走り、最後の来島海峡大橋を渡ると今治である。

  今日は今治に宿泊した。明日、今治玉川にあるマクロビレストランマグノリアで食事するためである。

  自宅から約400kmのドライブであった。

2018年5月8日火曜日

柳川土手の花

ネモフィラ
本日の散歩 3.59km、5448歩

  柳川土手は雑草と思われる花がいろいろ咲いている。今までにブログに載せた花以外で、最近撮った写真を並べてみた。

  いづれもきれいな花であるが、名前が分からない。調べてみるが判断が難しい。中には雑草ではなく、人が植えたものもある様である。

  季節を彩るこれらの花を見て毎日の散歩を楽しんでいる。

  本日も雨模様で、沖縄地方は梅雨に入ったという。関西地方もまもなく梅雨に入るのか。もうしばらく春の気候を満喫したいのだが。

2018年5月7日月曜日

田植え終わる

田植え機(動画、柳川近くの田んぼ)
柳川近くの田んぼ
 際川近くの田んぼ
 際川近くの田んぼ
本日の散歩 5.16km、7378歩
(柳川、際川を歩く)

  昨夜から雨である。それでも傘をさして柳川、際川を歩いた。

  近くの田んぼでは畑に水をはり田植えの準備中であったが、連休の間に田植え作業が完了している。まだ田植えが終わったばかりで蛙の鳴き声は聞こえてこない。

  昨年も連休明けに田植えが終わり、その後稲の成長をブログに載せている。今年もその成長の状況を観察していきたい。

  台風などの被害を被ることのないよう、秋にはお米がとれることを願う。

2018年5月6日日曜日

豊国神社(長浜)

 
豊国神社鳥居
豊国神社の説明
 
社殿
御祭神の説明

加藤清正像
虎石
虎石の由来
長浜城家臣団屋敷跡と地名起源歌碑
長浜の地名起源歌碑の説明
本日の移動距離 7.32km、歩数 7033歩
(京阪電車で石場往復も含む)

  昨日は竹生島を訪れた後、長浜に立ち寄り市内を散策した。今まで訪れていなかった豊国神社も見て歩いた。

  名前からして豊臣秀吉を祀る神社であるが、豊臣氏が滅んだあと徳川幕府はこの神社を取り潰している。

  しかし、町衆によって密かに秀吉を祀り続け、その後商売の神様として恵比須神社を創建するときにその本殿の奥に秀吉も公にならないように祀られた。明治維新になって豊国神社として復活している。

  神社内には秀吉に仕えた加藤清正の像があったり、清正が長浜城主秀吉に献じた虎石などがある。

  神社を出てすぐのところには二つの石碑がある。一つは長浜城家臣団屋敷跡と、もう一つは長浜の地名起源歌碑である。

  秀吉は浅井家を滅ぼし長浜城を築くが、家臣たちの屋敷がこの神社近くにあった。加藤清正もこの近くに住んでいたのかもしれない。

  秀吉が城主になるまではこの地は今浜と呼ばれていた。城主になって、信長の長の字を使って長浜としたといわれている。歌碑は家来である竹中半兵衛の歌である。

  昨日はこの後、JR新快速電車で山科まで乗り、湖西線に乗り換えて帰宅している。