2025 Nobel Prize of Chemistry : Dr. Kitagawa Susumu
Dr.Kitagawa graduated from Tohnan Highschool of my Alma Mater
昨日、今年のノーベル化学賞は京都大学の北川進博士に授与されると報道された。
長い間、ノーベル賞候補として毎年名前が上がっていた人の一人であった。微細な穴に二酸化炭素などを自在に分離・貯蔵できる「金属有機構造体」の開発が受賞理由である。
この開発はすでに40年ほど前に実施されおり、日本のバブルが弾ける以前の研究成果である。日本の各分野での凋落から、ノーベル賞、特に自然科学の分野ではあり得ないと考えていた。
しかし依然として日本にはバブル崩壊以前の研究成果が残っており、40年以上経ってようやくノーベル賞に到達したということになる。
まだ日本にはバブル崩壊以前のノーベル賞候補が、色々あるということを認識せざるを得ない。この「金属有機体構造体」も、温暖化、環境対策などの対策としてクローズアップされ取り上げられたものと思う。
現役時代関係していたカーボンナノチューブの発見者である飯島澄男博士も、すでにノーベル賞はあり得ないと考えていたが、まだ可能性はあるのかもしれない。
ところで北川博士は、私の卒業した京都市立塔南高校の4年後輩である。受験に関して京都の高校で有名なのは、中高一貫の私立の高校である洛星高校、洛南高校などである。これら高校からは毎年京大、東大へ進学する人が大勢いる。
普通の公立高校である塔南高校からも毎年京大へ進学する人はいるが、せいぜい一桁の人数だったと思う。その一人が北川博士である。
日本で初めてのノーベル賞は湯川秀樹博士であった。京都出身で高校は府立洛北高校であった。湯川博士以外にも、ノーベル賞を得た朝永振一郎博士も洛北高校出身であった。
無数の優秀と言われる卒業生を出している京都の中高一貫私立高校からは、一人もノーベル賞受賞者は出ていない。
その理由ははっきりしている。私立の中高一貫高校を目指した小学生時代からの塾通いは、記憶したり、物事をきっちりこなす能力に優れていても、創造力にかけているのである。
創造力は、小学生時代の塾通いでは育たず、むしろ害になっているという私の説を支える結果ではないかと思う。
北川博士の話では、数学、理科などの科目は中学時代から自分で教科書を勉強して、数ヶ月でその学年の分を終了していたという。要するに習うのではなく、自分で考えて進める姿勢ができていたということである。
創造は 習うことなく 考える
(そうぞうは ならうことなく かんがえる)
創造性とはそういうものであると考えている。
日本の凋落が続いてすでに40年近くになる。この凋落を食い止めるにはいろんな分野での抜本的改革が必要になっている。その一つが教育であるというのは間違いない。
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